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 麻田はそう言うと、何もできずに佇むだけの縁と尾崎を一瞥して、厳しい一言を放った。それは理にかなっていて、どう考えたって反論のしようがない言葉だった。


「あのね、めそめそしたり悲しんだりして、彼女が戻ってきてくれるなら、好きなだけやればいい。でも、もう彼女はなにをやっても帰ってこないわけ。だったら、自分がやるべきことに真剣に向かい合うべきじゃないの? なんのツテでこっちに応援に来たのかまでは知らないけど、あんたらはこういった事件のプロフェッショナルなんでしょ? まぁ、そんな人間が特別枠で警察組織に組み込まれているとはどうしても思えないけどさ、あんたらも刑事ならしっかりしろよ」


 その言葉は深く縁の心に突き刺さった。叱咤激励というのは、正しくこのようなことを指すのではないだろうか。もやもやしていたものが晴れたような気がした。それでも、やはりミサトが犠牲になってしまったということに戸惑いは隠せなかったが。


「とにかく、手伝いだろうがアドバイザーだろうが、あんたらにも協力して貰う。この事件は警察としてではなく、少なくとも彼女との関わり合いがあった俺達で解決すべき事件なんだから」


 麻田の強い口調には、近しい人間を失ってしまった悔しさが、目一杯詰め込まれていた。そんな彼は「それじゃ、現場に戻るから」とだけ言い残して、投光器の明かりの中へと姿を消した。それを見送った縁は、目が覚めたかのような感覚と一緒に頷く。


「尾崎さん、ちょっと予定を変更しましょう。今日の始発で神座に戻れますか?」


 本来の予定ならば、ある程度のまとまった情報を仕入れてから、神座の街へと戻ることになっていた。今は便利な世の中で、電話やメール、ファックスなどで資料を送ることもできるが、どこかで万が一にも情報が漏れてしまう恐れを懸念し、事件の情報は直接持ち帰ることになっていた。これは倉科との約束である。まだ試験段階であるがゆえに、0.5係が通信機器を用いて進捗しんちょくを報告することは、念には念を押して禁じられているのだった。


「――縁はどうするんすか?」


 当たり前の問いが返ってくる。


「私は安野警部と一緒に、この事件を追います。尾崎さんは一度、これを坂――倉科警部のところに持って行って、意見を聞いてきて下さい」


 安野がいる手前上、坂田の名前を出すわけにはいかなかった。意見を聞くのであれば、こちらにいても幾らでも方法があるではないか――そんな安野からの視線が向けられていたが、あえて言及はされなかった。


「安野警部。今言った通り、尾崎さんには神座に一度戻って貰います。状況が状況ですし、倉科警部の意見を直接聞いておきたいので」


 もう、このままの勢いで押し切ってしまおう。意見を求めるだけならば、別に電話一本でも構わない。ただ、本当に意見を求めるべき相手は、地下深くの牢獄の中にいる。アンダープリズンへの直通電話はあるものの、あの男を――坂田を独房から出すなんて危険な真似はさせられない。資料も持ち帰って貰わねばならないし、不便ではあるものの、なんにせよ尾崎には一度神座に戻って貰わねばならない。


 縁の目がよほど真剣に映ったのであろう。安野はやや気圧されたように頷き「そっちにはそっちのやり方があるだろうし、それについて俺は口を出せる立場じゃないからな」と言ってくれた。それに対して尾崎も小さく頷くと、姿勢を正して敬礼をしてみせた。


「それでは安野警部。自分は任を一旦離れるっす! 倉科警部に意見を聞き、方針を打ち出してから戻ってくるっす!」


 残っていた酒がすっかり抜けたのか、それとも、尾崎もまた自分のやるべきことをしっかりと見出し、それに向かって走り出そうと決意したのか。尾崎はそう言うと、きびすを返して駆け出した。それこそ、脱兎だっとのごとく速さで。


「――彼、この辺りの地理を知ってるのか? ここから駅まで、結構な距離があるぞ」


 尾崎の姿が消えてから、安野がぽつりと呟いた。それにはもう、縁も苦笑いを浮かべるしかなかった。


「か、彼も子どもではありませんし、タクシーを拾うなり、なんなりして帰ってくれると思います」


 なんだか、尾崎のせいで気の抜けた空気が辺りに漂った。それを払拭するかのように、煙草を取り出すとくわえる安野。


「とにかく、今は麻田から情報が上がってくるのを待つしかないな。あいつは俺と違って、科捜研やら他の管轄の部署にも顔が利く。多少の時間はかかるだろうが、捜査本部に情報が上がるよりも早く、こっちに情報が上がってくるだろう」


 現場のほうへと視線を移す安野。つられて、縁も視線を移す。その視線の先の明かりの中では、つい数時間前まで元気だったはずのミサトが横たわっている。それこそ、変わり果てた姿で――。


 縁は安野に見えないように拳を強く握り込み、そして唇を噛み締めながらも、この事件に対する考えを改める。自分は部外者ではない。こうして新たな事件に立ち会った時点で当事者なのだ。事件の発生を阻止できなかったのだから、もう部外者面はしていられない――。縁はそう自分に言い聞かせ、無力な自分を奮い立たせたのであった。

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