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【3】


 尾崎から連絡があったのは朝一番であり、悲しきことに倉科は非番であった。刑事なんて生き物は、休みがあってないようなものであるが、やはり非番の朝一から電話がかかってきて、非番が非番でなくなるのは嫌なものである。もう長いこと刑事をやっているが、こればかりはいまだに慣れないでいる。


 独り者であるがゆえに、途中でコンビニに寄ってパンを買い、それをかじりつつ神座の街へと車を走らせた。現在、昼をちょっと過ぎたくらいの時刻。こちらに一度戻る――そんな尾崎からの連絡があってから、ざっと数時間は経過していた。あっちに向かったのが昨日のことになるのだが、もう事件の情報が集まったのであろうか。とにもかくにも、こちらに戻るとのことしか伝えずに、尾崎は電話を切ってしまったのだった。


 いつものところに車を停め、アンダープリズンの入り口まで向かう。さすがに昼時ともなれば、少なからずとも人通りがある。なんだか【人妻ヘルス】の前で待っていることが小っ恥ずかしくなった倉科は、少し離れたところにあるベンチへと腰をかけた。通り過ぎ行く人の姿を目で追いつつ、待つことそこからさらに一時間。もしかして、先に尾崎はアンダープリズンへと潜ってしまったのかもしれない――そんなことを考え始めていた頃になって、ようやく尾崎が姿を現す。ここまで全力で走ってきたのか、両手を膝について呼吸を整えている。


「途中までタクシーで向かおうと思ったんすけど、なんか馬鹿みたいに料金メーターが上がって、それで新幹線やらなんやらを手配したり、なんだかんだでお金が足りなくてATMを探したり、そんなことをしていたら、こんな時間になったっす……」


 何を言っているのか良く分からないが、ここまで尾崎が苦労して戻ってきたことだけは分かった。その様子からも、かなり慌てて戻ってきたことが伺えた。


「あぁ、それ関連の領収書は後で出して、経費で落としておけよ」


 とりあえず、そう言ってやると、ようやく呼吸が落ち着いたのか、尾崎が茶封筒を差し出す。


「これ――あっちで起きてる事件の資料っす。まだ全部揃ったわけじゃねぇっすけど、一度坂田に話を聞いておきてぇっす」


 戻ってくるタイミングや、あちらでの滞在期間。その辺りは特に決めていなかったし、尾崎と縁の判断に任せていた部分がある。しかしながら、まさかこんなに早く戻ってくるとは思ってもみなかった。


「あんまりでかい声で坂田の名前を口にしないほうがいいぞ――。それにしても、そんなに慌ててどうしたんだ? お前達があっちに行ってから、そんなに大きく事件も動いていないだろうに」


 言ってしまえば、あちらで起きている事件は倉科の管轄外だ。もちろん、大きな事件ともなれば、ある程度の情報は入ってくるようになるが、しかしマスコミにさえ箝口令かんこうれいが出されているような事件であるため、まだ倉科は知らなかった。まさか、三人目の犠牲者が出ているなどとは――。


「動きがあったっす! あったからこそ、戻って来たっす」


 尾崎から茶封筒を受け取ると、その様子からのっぴきならないことが起きていると察する倉科。


「分かった。とりあえず詳しい話は後で聞こう。こいつを検閲に通さなきゃならんから、すぐに意見を求めるということはできないだろうがな」


 とにかく、尾崎が神座に戻って来たのには理由があり、その慌てようから急を要するものであると思われる。どちらにせよ、資料の検閲で多少待たされてしまうだろうが、早いとこ地下に潜ることに越したことはない。倉科は資料を片手にアンダープリズンへと潜るべく、いつも通り周囲の様子を伺いながら【人妻ヘルス】のへの階段を下った。なんだか、人目をはばかって女遊びをしに来ているように見えてしまうため、この出入り口の位置はどうにかして欲しいものである。


 よほど気が急いているのか、用心深く周囲に人がいないか確認する倉科を尻目に、大して何も考えていない様子でアンダープリズンへの扉を開く尾崎。周囲の目を気にする余裕がないのか、それとも、その気が最初からないのか。できることならば前者であってくれるとありがたい。まぁ、そんな時に限って人目というものはなく、咎めるにも咎めようがないのだが。


 尾崎に続いて扉をくぐると、またしても地下へと伸びる階段を下り、エレベーターに乗り込んで、いつものように無駄な押し問答をした後にアンダープリズンへと入る。出迎えてくれた中嶋に資料を渡し、早急に検閲を通すように頼むと、例の詰め所で待たされた。後に0.5係専用の詰め所になる予定の場所であるが、今のところはまだ、がらんどうである。


 しばらくすると中嶋が二人を呼びに来て、検閲済みの判子が押されたての茶封筒を持ってきた。本来ならば坂田のいる独房の手前で、設置されているボックスから資料を取り出すのだが、きっと尾崎の切羽詰まった様子が中嶋にも伝わったのであろう。今回ばかりは特例で、その面倒な手順を踏まなくていいらしい。だったら、普段からそうしてくれるとありがたいのだが――。


 そんなことを考えつつ、中嶋の先導でさらなる地下へと潜る。ずらりと並ぶ鉄格子の前で、模擬弾入りの拳銃を手渡され、尾崎にいたってはそれを構えつつ、幾重にも連なる鉄格子を認可証で開けて行く。


 坂田のいる独房の前までやってくると、これまで何度となく経験しているはずなのに、妙な緊張感に包まれる。いい加減慣れてもいい頃合いなのであるが、きっと坂田が持つ殺人鬼特有の雰囲気に、本能的な拒否反応が出てしまっているのだろう。


 尾崎と無言で頷き合い、そして独房を開けるべく認可証を読ませる。ゆっくりと独房への道が開き、湿っぽい空気が漂った。


「坂田、事件っす!」


 拳銃を構えつつ、さっさと中に入ってしまう尾崎。その軽率さというか、坂田に対して物怖じしないことに感心しつつも、倉科は小さく溜め息を漏らした。この軽率さは若さゆえのものなのであろうが、いつか尾崎の足を引っ張りかねないような気がする。


「相変わらず、騒々しいんだよ――。お前達はよぉ」


 独房の鉄格子の向こう側で、ベッドに腰をかけた坂田が待っていた。普段は静まり返った地下深くの独房であるがゆえに、来客がある時は嫌でも騒々しく聞こえてしまうのであろう。


「坂田、今尾崎が言った通り事件だ。今回もお前が気に入りそうな事件だよ――。そんなもん、起きないことに越したことはないんだがな」


 こうして坂田に会いに来る時は、決まって事件が起きた後だ。そもそも、プライベートで坂田と会うような用事はないし、正直なところ関わり合わなくて済むのであれば関わり合いたくはない。あくまでも、事件の意見を聞くためにアンダープリズンへと潜るわけであって、何よりもアンダープリズンに潜るようなことがないのが一番だ。それでも、悲しきかな凶悪な猟奇殺人事件は起こってしまうわけであり、だからこそ0.5係は存在している。


「――ちょうど退屈していたとこだ」


 事件と聞いてスイッチが入ったのか、気だるそうに二人を出迎えた坂田は、いつものようにゾッとするような気持ちの悪い笑みを浮かべた。


「こいつがその資料になるんだが、今回は遠方の地で起きた事件でな。山本と尾崎に任せてあるんだ――。俺自身も事件のことを詳しく把握していないから、まずはざっと確認させてくれ」


 倉科自身も、今回の事件の詳細は一切知らない。よって、坂田と話をするにも、まずは自身が事件のことを把握する必要があった。銃口を向けるのは尾崎に任せて、資料を取り出した倉科だったが、まず一番に残酷な写真が目に入ってしまい、思わず息を飲んでしまった。

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