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【10】


 尾崎を待ち続けることしばらく。桜は相変わらず目を覚まさない。時折、うなされるかのごとく小さく声を上げるから、命には別状ないと思うのであるが、やはり心配である。一刻も早く、こんな暗闇に包まれた空間から出してあげたい。


 電力が供給されなくなったからだろうか。恐らく空調も切れてしまったのであろう。ただでさえ、じっとりと水気を帯びていて重苦しい空気が、体にいやらしくまとわりつく。なんだか呼吸も苦しいような気がした。


 あの暗闇の中で、しっかりと調べたのか怪しいものではあるが、坂田によるとアンダープリズンの電力は簡単に復旧できるものではないらしい。わざわざそのような仕様にするために、解放軍は桜を引き連れて電気室を訪れたのかもしれない。となると、電力を復旧させるには、とにもかくにも桜が目を覚ましてくれないと始まらないわけだ。


 何度か気つけで頬を叩いたりはしてみたのであるが、短く唸ったり、首を横に振るだけで、桜が目を覚ますということはなかった。まるで目を覚ますのを拒否しているようにも見えた。非現実的な出来事に彼女の精神的な面が限界をきたし、彼女の防衛機能が自分を守るため、意識を現実逃避させたのかもしれない。


 ――遅い。正確に時間を知ることのできるものが近くにないため、完全に縁の体感的な問題であるが、尾崎の戻りが遅いような気がする。もしかすると尾崎が離れてから、まだ数分しか経っていないのかもしれないし、逆に縁が思っているよりも長い時間が経過しているのかもしれない。地下であるから昼と夜の概念も分からないし、時間を知ることのできる道具もない。そして、暗闇の中に放り出されてしばらく経つ。時間感覚が狂わないほうがおかしいだろう。


 尾崎に何かあったのか。それに、まだ楠木達も約束の場所へと戻ってきていないようだ。何度か詰め所の扉を開け、その冷たい無人の廊下を確認していた。念のためと桜のそばを離れ、もう一度だけ廊下を伺ってみる。やはり、そこには冷たい廊下が伸びているだけだった。電力を失い、その機能すら失ってしまった何枚もの鉄格子が、なんだか重々しくペンライトの明かりを反射した。その光景になぜだか背筋が冷たくなり、縁はそっと扉を閉じた。


 このまま尾崎を待ち続けるべきか。普通、このような状況下において、もっともやってはならないのが、待つべき人間が痺れを切らしてしまうことだ。すなわち、ここで勝手に縁が動いてしまうことは、もっともやってはならないことである。


 このまま尾崎のことを待とう。ここにいれば楠木達が戻ってきた時にも、すぐに合流することができるだろう。それに、勝手に動いてしまって尾崎達と合流が困難になってしまったら目も当てられない――。下手に動かないように自分に言い聞かせるのであるが、しかしどうにも落ち着かない。


 あまり考えたくないことだが、尾崎の身に何かが起きたのかもしれない。約束の時間になっても楠木達が帰ってこないのは、彼らの身にも何かが起きたからなのかもしれない。もしかして、みんな解放軍に囚われてしまって、助けを待っているのかもしれない――。時間感覚が狂っていることも相まってか、縁は【待つ】という行為ができなくなっていた。


 頭の中で散々葛藤を繰り返した縁であったが、小さく「よし」と漏らすと、ホルスターの拳銃を引き抜いた。このまま待っているのが正解なのかもしれないが、どうにも落ち着かないのも事実。このまま無為に時間ばかりが過ぎ行くというのは耐え難いものがあるし、時間が経過すれば経過するほど、不安が募ってくることは間違いない。そうなる前に動いておくべきだ。周囲が思っているほど、縁は精神的に強いわけではないのだから。


 とりあえず、この詰め所の中ならば、しばらく桜を放っておいても大丈夫だと思われる。解放軍は大半が食堂に集まった。坂田の独房と0.5係の詰め所しかない第四階層に用はないだろうし、そもそもアンダープリズンを一度制圧したからこそ、解放軍の面子は食堂に集ったわけだ。第四階層に改めて向かう理由などないはず。


 縁は早速動き出した。一時的ではあるが、ここに桜を置いて行くことは忍びない。解放軍に見つかる可能性は低いかもしれないが、真っ暗闇の中、彼女が目を覚ました時のことを考えると後ろ髪引かれるものがある。自分がどこにいるのかも分からずに、辺りは真っ暗闇だ。パニックを起こしてしまうかもしれない。そう考えると、このまま全てが終わるまで気を失っていて欲しいとさえ思ってしまう。


「すぐ戻ってきますから――」


 いまだに現実には戻らぬ桜に向かって呟くと、縁は0.5係の詰め所を後にする。左手にはペンライト。右手には拳銃。廊下に出ると辺りをペンライトで照らしつつ、自分の中にあるアンダープリズンの地図と重ね合わせながら、まずは第三階層へと向かう。


 階段を上り、第三階層に到着すると、辺りを調べて回った。無力化した解放軍――ゴリラのマスクを被っていた男を放置した階層ということもあり、かなり警戒していたと思うし、神経も過敏になっていたと思う。しかしながら、どこにも解放軍の姿はなかった。拘束したわけではなかったし、目を覚まして仲間達と合流したのかもしれない。周囲に潜んでいるような気配も感じられなかった。


 警戒は解かずに、むしろ万が一のことを念頭に置きつつ辺りを一通り調べ終える。本命は第一階層と第二階層であり、この第三階層はざっと調べて回る程度のつもりだ。楠木達や、それを探しに向かった尾崎が、第三階層に寄る理由はないだろうからだ。彼らがいるのであれば、第一階層か第二階層かのいずれかであろう。


 ――みんな無事だろうか。尾崎達のことを考えると同時に、頭の中に犠牲となった刑務官達の姿がフラッシュバックした時のことだった。先を照らす光の輪の中に人影が見えたような気がした。おかしいなと思った次の瞬間、勢い良く髪の毛を背後から鷲掴みにされた。


「くくくくっ――。これが俺じゃなかったら、お前殺されてたなぁ」


 とりあえず髪の毛を掴んだ手を振り払い、間合いを取ってから振り返る。縁が向けた明かりの中で、坂田がにたりと笑みを浮かべた。影の正体が解放軍ではなかったことに胸をなでおろしつつ、縁は坂田を問い質した。いちいち坂田の悪戯に反応していてはキリがないし、情報収集を優先させたい。すなわち、今知りたいのは、姿を消してから坂田はどこで何をやっていたかだ。どうやら、敵情視察をしていたらしい。


 坂田の話によると、やはり現状は解放軍のほうが有利であり、こちらは明らかに不利とのこと。それを解消するために、解放軍を何人か殺しても構わないか――なんてことを聞かれたが、断固として拒否してやった。


 坂田は仕方がないといった具合に、事態を収束させる現実的な手段を口にする。それは、解放軍を束ねているであろうレジスタンスリーダーを叩くことだ。


 解放軍と対峙した時に抱いた印象。そして、縁より長く解放軍に関わった尾崎の話を統合すると、どうやら解放軍はレジスタンスリーダーを核とする烏合の衆のようだ。レジスタンスリーダーありきの集合体であり、レジスタンスリーダーが抜けてしまったら、途端に何もできなくなる。にわかには信じられないことだが、レジスタンスリーダーを叩くことは、事態を沈静化する鍵になり得るのである。

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