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 アンダープリズンを占拠するという暴挙は、元を正せば不満を抱いた者達による反乱だった。決して、労働環境が整っているわけではないし、楠木だって現状に大満足かと言われれば嘘になる。しかしながら、かといって反乱を起こすまで不満を抱いているわけではない。ここは明らかに特殊ではあるが、仕事なんてどこに行っても必ず不満は出てくるものだし、働く人間から不満が出ないほうがおかしい。ただ、そのような考え方ができるのは、楠木がここに来る前に他職種――違う職場を見ていたからなのかもしれない。


「とにかく、この物騒な遺書とやらを、最後まで読んでみよう。今の段階であれこれと模索したところで、あまり意味はないのかもしれない」


 楠木は遺書の続きを読み上げるように倉科を促す。別に明かりがあるのだから、勝手に先を読み進めても構わない。構わないのであるが、しかし一人で真実を知るような気がして、少しばかり気後れしたのだ。どうせ知らなければならないのなら、倉科と一緒のほうが、いささか気も楽だ。


「そうだな――。では、続きを読むぞ」


 倉科は大きく咳払いをすると、改めて遺書のほうへと視線を落とす。中断したところまで目で文章を追い、そして意味もなく、もう一度咳払いをした。


「よって、我々はここに国との徹底抗戦を宣言する。我々は何事も恐れない。いかなる手段を使ってでも、この国に蔓延はびこる悪しき慣習を白日の下に晒すのだ」


 倉科が読み上げるものを聞いて、楠木は思わず溜め息を漏らした。たかだか一個人が集まって組織を作ったところで、相手は国である。まずかなわないだろうし、ここで何をやったところで、実のところ国は痛くも痒くもないのだ。どうせやるなら、こんなところで反乱を起こすのではなく、街中でテロでも起こしたほうが効果的なような気もする。ここで起きたことは、きっと国によって揉み消されてしまうだろうから。機密まみれの施設で起きたことは、きっと闇に葬られることだろう。


「我々はこのアンダープリズンを占拠し、多くの人間を殺すだろう。次に、国の連中が必死になって匿っている坂田を檻から出してやろう。そして、我々はこのアンダープリズンと共に死を選ぶことになるだろう」


 自分の思考が一瞬だけ止まったことに気付いた。あまりにも突拍子のないことが遺書として残されていたからだ。アンダープリズンの占拠、職員の虐殺までは分かる。これらは国に対する復讐なのだ。しかし、坂田を独房から出すことになんの意味があるのだろうか。そして、もっとも気掛かりなのは、解放軍が最終的に死を選ぶようなニュアンスが含まれているということだ。


「また中断するようで申し訳ないが、これ――どう思う? 解放軍の連中は死ぬ気なんだろうか?」


 楠木と全く同じ点に引っかかりを覚えたのか、倉科が神妙な面持ちで問うてくる。懐中電灯の明かりは遺書に向けられており、倉科の顔を照らし出すのはジッポライターの明かりだ。そのせいか、妙に倉科の表情に陰影がついて、感情が浮き彫りになっているように見えた。その表情は驚きと不安といったところか。


「俺に聞かれても困るが、もしかするとそうなのかもしれない。現実的に考えても、彼らには最初から逃げ場がない。言わば籠城事件みたいなもので、犯人に待っているのは警察による逮捕だ。もしくは、自ら命を断つか、日本では珍しいケースだが、昭和の時代には狙撃されて死亡したなんて例もある。なんにせよ、籠城事件なんて起こした時点で、たどる末路はたいてい決まっている。車を用意させて逃走……なんてのは、映画の中の話でさえ胡散うさんくさ臭い」


 アンダープリズンが解放軍によって占拠されてしまった事件。規模は大きいが籠城事件と言ってもいいだろう。そして、そもそも籠城事件とは成功率が極端に低い犯罪である。解放軍の人間だって、それくらいは分かっていることだろう。倉科が口を開く。


「でも、だからと言って命を絶って何になる? 言わば集団自決ってやつだろ?」


「――どうやら、解放軍の目的が見えてきたみたいだな」


 楠木はそう呟くと溜め息を漏らした。坂田を解放するように要求し、そして最終的には集団自決へとたどり着くような雰囲気の解放軍。遺書が残されていることも、解放軍の自決に繋がる証拠になり得るだろう。これらの一見して意味不明の行動から見える彼らの真意とは――。


「解放軍は事件を隠蔽されぬよう、できる限り事件を大きくしようとしているんじゃないだろうか?」


 楠木の溜め息につられるようにして、倉科も溜め息を落とす。改めて遺書に視線をやり「そうみたいだな――」と同意した。同意できるだけの根拠が、きっと遺書にも記されていたのだろう。やはり、先に遺書を最後まで読んでしまったほうが手っ取り早かったのかもしれない。そんな楠木の心情を察したのか、再び遺書の読み上げを再開する倉科。


「ここの職員、そして我々が自決することにより、このアンダープリズンが死体で溢れかえることになる。事件が大きくなれば、人知れず事件を処理するなんてことは不可能になる。無数の死体を運び出すにも身内だけでは対処できないだろう。結局、外部の人間が入り込むことになり、それだけ機密漏洩の恐れも大きくなる。国民に謝罪する文言をじっくりと考えておくことだ」


 これが真の目的などふざけている。こんな自己犠牲的な――かつて戦時中の日本軍が実行した神風作戦のようなことをしてまで、国に不満をぶつける必要があるのだろうか。この国に……そこまでの価値はあるのだろうか。それに、多くの命を犠牲にするという手段を取るわりに、あまりにも不確定なことが多いのではないか。


 確かに、事件が大きくなれば、それだけ処理が大変になることだろう。死体を運び出すことだって容易ではないのに、それを歓楽街のど真ん中でやらねばならないのだから当然。なんとか人目につかずに作業するにしても、身内だけの手では足りず、外部の人間を使うことになるのは必至だ。しかし、外部の人間が介入しても、アンダープリズンの機密が漏洩するとは限らない。集団で自決しているのに、これではわりが合わない。下手をすれば無駄死になんてこともあり得る。


「我々はないがしろにされてしまった当たり前の人権を国に主張する。このような施設は本来存在してはならないし、坂田のようなイレギュラーな存在が平気で認められてもならない。そして、国によって騙され、人生を棒に振る者が出てもならないのだ。二度とこのようなことが起きぬよう、我々が――人柱となろう」


 倉科がそこまで読み上げて息を飲んだような気がした。ここまでの文章の感じだと、とうとう自己犠牲を行う自分達を神格化しようとしているのが伺えるのであるが、特に息を飲むようなことを言っているわけでもないように思える。


「こいつを見てくれ。どうやら、事件は解決みたいだぞ。俺の出番もそこまでなかったみたいだな」


 倉科が遺書を手渡してくる。それを受け取ると、わざわざ倉科が懐中電灯で、ある部分を照らしてくれた。どうやら、さっきの文章で遺書は締めくくられていたらしく、最後の最後――倉科が懐中電灯で照らしてくれたところに、なんと署名がしてあったのだ。それは楠木も良く知る人物の名前だったのである。


「まさかとは思っていたが――。あの人物こそがレジスタンスリーダーだったということか。事実は小説より奇なりとは良く言ったもんだ」


 楠木は遺書を呆然と眺めていたが、はたと我に返ると、それを折り畳んでポケットへと入れた。どうやら、事件もいよいよ大詰めらしい。


「中嶋のことも気になるが、解放軍の目的が集団自決だとすれば、それを止めることを優先すべきだ。とりあえず、山本達と合流したほうがいい」


 倉科の言葉に楠木は大きく頷き、そして二人は部屋を飛び出した。この暗闇の先に何があるのかも知らずに――。

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