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 一言で言えば、シンプルな部屋だった。女性の部屋など滅多に足を踏み入れることはないのだが、やけに殺風景というか、生活感がないというか――。合理主義で理屈っぽい女の部屋らしいといえば、それらしい。必要最低限のものしか置いていない部屋は、暗闇の中で調べて回っていることもあってか、やけに冷たく感じられた。私物の持ち込みが一切禁止されているというわけでもないのに。


 支給品である簡易的なベッドと、これまた支給品であり、本棚付きで学習机のようだと不評の多い机が並んで設置されている。楠木はなんとなく机に歩み寄り、一通り調べてみた。引き出しを開けてみる、本棚に並んだ本を引っ張り出してみる。引き出しの中にはなにも入っておらず、本棚の本は哲学書らしきものばかり。しかし、何冊目かの本を手に取った時に、一通の封筒がページとページの間から抜け落ちた。それを拾い上げてみると、封筒には実に意味深な文字が書き殴られていた。――遺書。


「ちょっと来てくれ。妙なものを見つけた」


 中身を確認してからでも遅くはなかったのであろうが、どうにも嫌な予感がした楠木は、あえて倉科のことを呼ぶ。


「どうした?」


 さっぱり収穫がないといった様子の倉科が、懐中電灯の明かりと一緒に楠木の元へとやって来る。


「こいつを見つけたんだが――どう思う?」


 本の間から見つけた封筒を倉科に差し出す。遺書――などと物騒な文言が書き殴られた封筒は、この暗闇の中で見ていることもあってか不気味に思えた。


「遺書? どうしたってこんなものが――」


 封筒を受け取った倉科の言葉に、楠木はただただ首を横に振るだけだ。この遺書の存在理由など分かるはずがない。


「それは俺が知りたいくらいだ。本の間に挟まっているのを見つけたんだよ」


 解放軍と似たような思想を持ち、そしてアンダープリズンを去っていったという疑惑の男である芦ヶ崎。その芦ヶ崎と男女の関係にあったという流羽。そして、彼女の部屋から見つかった遺書。これで不穏なものを抱くなというほうが無理な話である。倉科も同じようなものを感じ取ったのか、やや乱暴に封筒を開けた。


 互いに頷き合い、そして封筒の中から倉科が便箋を取り出す。それを開くと、懐中電灯の明かりが向けられた。手書きではなく、そこには整然とした明朝体のフォントが並んでいた。互いに無言でざっと黙読をしたのだが、その内容が信じられぬものだったのか、倉科が口に出して読み上げた。


「遺書――。これが発見される頃、我々解放軍は目的を完遂し、そして偉大なる革命を終えているだろう」


 思わず固唾を飲んでしまう。坂田の解放を要求した解放軍の意図。それは今のところ不明のままであったが、どうやらこれで明らかになるらしい。文章の先に目を通していた楠木にとって、まるで倉科の読み上げがこだまのように聞こえた。


「もう、お分かりかと思うが、我々解放軍はアンダープリズンに従事する者の中で、国の対応や自身の待遇に不満を持った者で結成された組織である。国は国民には内緒で、この地下に監獄を作った。それに伴い、表向きは死刑が執行されたように偽装して、九十九殺しの殺人鬼を収監した。その目的が、多様化する犯罪に対応するためとは酔狂なものである。計画の頓挫を取り繕う手段は、もっと他にあったのではないか。国民に対して、これほどの裏切り行為はない。この施設もまた、国民の血税で運営されているのだから」


 徐々に明らかになる真相。どうやら、解放軍はアンダープリズンの在り方――しいては国に対して不満を抱いていたようだ。後、これは何もなく分かったいたことであったが、やはり解放軍はアンダープリズン関係者で結成されたものだったらしい。それならば、内部的なシステムが弄られていたり、このアンダープリズンに解放軍が詳しいことも頷ける。


 芦ヶ崎はアンダープリズンを去った者。ライオンのラバーマスクを被っていたのは、今は非番のアンダープリズン職員である二階堂。芦ヶ崎の姿は確認できていないが、恐らくはアンダープリズンに不満を持つ者達が集い、解放軍という恐ろしい集団と化したのだ。


「たった一人の囚人のために、馬鹿みたいに人材を投入し、またその人材には機密を強要する。しかも、機密を優先するばかりに、一度仕事となれば職員は数ヶ月は缶詰だ。外出するにも許可が必要であるし、制限もされている。何よりも、ここの職員のほとんどが、騙されてアンダープリズンに従事していると言っても過言ではないのが問題である」


 そこまで読み上げると、倉科が言葉をつまらせる。0.5係という中途半端な立場の倉科は、アンダープリズンの事情を知らないのであろう。咳払いをしてから「騙されてって――本当なのか?」と問うてくる。どう答えていいものか分からないが、楠木は頷いたような、それでいて首を横に振るような中途半端な仕草をしてしまった。


「これは噂だが、本来なら公務員試験に落ちていたはずの人間を補欠合格にして、ここにぶち込んだなんて話を聞いたことがある。刑務官やら法務官も国家公務員だからな」


 アンダープリズンは、カテゴライズするのであれば日本のアンダーグラウンドに分類されることであろう。すなわち、ごく一般的に国民が知っている面が表であるのならば、間違いなくアンダープリズンは裏の面。ほんの一握りの人間しか知らぬ施設になる。それゆえに、人材の確保も正当なルートを辿ることができない。


 楠木はSATの引退を決めた際に、当時の上司にあたる人間から斡旋され、アンダープリズンの守衛となった。ここで働く理由は人それぞれであり、自らの意思で働いている人間も少なくはない。ただ、妙な噂が流れている辺り、あながち単なるデマというわけでもないと楠木は思っている。


「本来なら不合格になるはずの奴らを、ぬか喜びさせてアンダープリズンにぶち込んだってわけか。それが本当だとしたら、いよいよお上のお偉さん方はクズだな。自分達の保身のためだけに、他人の人生までをももてあそぶか」


 アンダープリズンは綺麗事ばかりで成り立っている施設ではない。そこには政治的な思惑があったり、人の汚い部分が入り混じったりもしている。それは、ここで働いている人間ならば、誰しもが言われずとも理解していることであろう。楠木は自らの意思でここに来たわけであるが、そうではない人間にとって、ここで働くことに葛藤と苦悩があったのかもしれない。国に騙され、決して整っているとは言えない労働環境に叩き込まれる。しかも数ヶ月単位で地下に潜るという、超変則性の労働方式でだ。不満を持つ人間が出てきても不思議ではない。


「それだけ体裁を整えることに必死だったんだろうな。アンダープリズンを稼働させるのには、それなりの人材が必要になる。それこそ、アンダープリズンがアンダープリズンとして動き始めた頃は、多くの人間が騙されて、ここにぶち込まれたんだろうな。恐らく、そんな事情があったからだろうが、このアンダープリズンの職員同士で、ここにやって来た経緯を聞くのは自然とタブー視されてるんだよ」


 アンダープリズンには、変則的で巧妙ではあるが、騙されて働くことになった職員がいる。そのような経緯があったからこそ、お互いの経歴などを問うのは、職員の間で御法度となっていた。もっとも、楠木のような境遇の人間は、ふとした時に自らの経歴を口にしてしまうこともあるのだが。


「とにかく、解放軍は国に騙されてアンダープリズンで働くことになった職員の反乱だったってことか? しかし、何もこんなことまでしなくとも――」

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