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確かに、こんな地下空間に数ヶ月も閉じ込められていたら、精神的な面でよろしくないだろう。システムの面で曖昧な部分が多いアンダープリズンだが、働く人間のことを全く考えていないわけでもないらしい。申請制なのは面倒ではあるが、ここの人間にとっては素晴らしいシステムだといえよう。
「女子は色々と大変だからねー。ここに美容室があるわけじゃないし、エステがあったりするわけでもないから、結構重宝するんだー」
桜が言うと流羽が同意するかのごとく頷く。特別外出というシステムは、ここで働く女性の味方でもあるのだろう。縁は好きなタイミングで美容院などに通えるが、ここで数ヶ月単位で働くとなると、そうはいかない。ある種、特別外出という概念は、限定的な休暇だと捉えていいのかもしれない。数ヶ月単位の交代勤務ということは、基本的に船乗りと同じで、集中的に働いて集中的に休むことになるのであろうが、そこに特別外出というシステムを組み込むことで、働きやすい環境を整えたのだろう。このシステムのように、他の面も整備を進めて欲しいものだ。
「特別外出っすか――。改めてアンダープリズンで働くのは大変っねぇ。自分達は蛍の光が流れたら帰れるっすけど、みんなはここに住み込みっすからねぇ」
恐らく、カップラーメンだけでは足りないのであろう。あっという間に平らげてしまったカップラーメンの容器を惜しむように見つめつつ、尾崎がぽつりと漏らした。そこですかさず口を開いたのは流羽だ。
「チョンマゲさん、残念ながらアンダープリズンで【蛍の光】は採用されておりません。よく、お店で閉店時に流れるメロディーではありますが、あれも実は【蛍の光】ではないのです。勘違いなさっている方が多いのですが、あれは【別れのワルツ】という曲名であり【蛍の光】ではないのです。その証拠に、アンダープリズンの終業点検時に流れるメロディーは、曲名にワルツとある通り三拍子――。一方、みなさんがご存知の【蛍の光】は四拍子の曲です。原曲が同じであるため混同されがちなのですが、実は全く別の曲なのですよ」
相変わらず理屈っぽい喋り方ではあるが、その豆知識のようなものには感心した。善財も「本庄さんは博識だねぇ」と感心している様子だった。桜にいたっては「三拍子ってなんだっけ?」と言い出す始末だ。それに対して「多分、何かの暗号っす」と尾崎。そして縁は溜め息を漏らす。こうして、休憩時間はゆっくりとすぎていく。
――異変が起きたのは、桜達が食事トレイを返却口へと返して戻ってきた時のことだった。最初は、それが異変だなんて微塵も思ってはいなかったし、何かの冗談かとさえ思った。
何やら食堂の外が騒がしい。人の怒鳴り声のようなものが聞こえ、そして続けざまにミシンの作動音のようなものが聞こえた。タン、タン、タン――と、軽快なリズムが食堂まで響いてくる。それから少し間を置いて、独特な火薬の匂いが漂った。
一同が食堂の出入口のほうに視線をやる。廊下のほうから複数の足音が響いた。しかも、それらの足音は合わせたかのように一定のリズムで聞こえる。まるで軍隊の行進であるかのごとく。
ふと、食堂に奇妙な格好をした連中が入ってきた。上下ともに迷彩色で統一した服装の上に、まるで警ら隊であるかのような重装備。そんな物騒な格好でありながら――動物なのだ。馬、ライオン、うさぎ、猫、犬など、動物の被り物をしていた。ちょっと種類が多いのだが、さながらブレーメンの音楽隊といったところだ。
その奇妙な連中が、たずさえていた銃器の銃口をこちらに向けるのと、流羽が「伏せてください」と呟いたのは、ほぼ同時だった。状況が全く理解できないままに、けれども流羽の言葉が的を射ていると直感的に思った縁は、テーブルの下へと伏せた。尾崎、桜、流羽、善財も縁と同じタイミングでテーブルの下へと潜り込む。本能的な危険を一斉に察知したのか。息がぴったりと合った動きだった。
次の瞬間、先ほど聞こえたものと全く同じ音が辺りに響く。何台ものミシンを一斉に動かしたかのごとく耳障りな音が頭上を突き抜けた。それが鳴り止むと、何人かの刑務官が時間差で床へと伏せる。いいや、伏せたのではない。倒れたのだ。倒れた刑務官を中心にして、じんわりと血の赤が広がる。少し遅れて火薬の匂いが鼻をついた。
――何が起きているのかは分からないが、良からぬことが起きていることだけは間違いない。辺りを見回すと、縁達のようにテーブルの下に伏せている者が多数見受けられた。たまたまなのであろうが離れたテーブルの下にいた楠木と目が合った。
「今、この時刻をもってして、アンダープリズンは我々が占拠した。抵抗をする者は容赦なく排除する。一同、両手を挙げてテーブルの下から出てこい」
不意に機械で作った合成音声らしきものが響いた。全く人間味を感じさせない無感情な音声が不気味で仕方がなかった。
「え? なにこれ? なんなの?」
誰かに問うかのごとく桜が口を開くが、それに答えてやることはできなかった。むしろ縁が知りたいくらいだ。
「とにかく、相手は銃器を持っているようです。この場は指示に従うのが賢明かと」
流羽は冷静に現状を分析しているようだったが、声がやや震えているように思えた。感情のブレが少ない彼女であっても、この状況に全く動揺していないわけではないらしい。もっとも、この状況で全く動揺していないほうがおかしいのであるが。
尾崎がスーツの内側に手を伸ばして舌打ちをする。恐らく、無意識のうちに拳銃を探したのであろう。しかし、模擬弾の入った拳銃を取り扱うのは、坂田と接見する時だけで、常に携帯しているわけではない。もちろん、縁だって帯銃していなかった。
「指示に従わぬ者も排除の対象だ。死にたくなければ我々に従え。5――4――3――」
突如として始まったカウントダウンに、縁は尾崎達と顔を見合わせると、慌ててテーブルの下から出た。両手を挙げてゆっくりと立ち上がる。
しかし、全てが全てテーブルの下から出てきたわけではなかったようだ。こんなわけも分からない状況下に叩き落とされ、迅速に正確な判断をしろというほうが無理な話だろう。混乱の中、どうしていいのか分からなくなり、結果として指示に従えない人間だって出てくる。
「2――1――0。我々に歯向かう者には死をっ!」
合成音声はライオンの被り物をした人物から発せられているようだった。その号令を合図に、ライオン以外の被り物をした連中がテーブルの下を覗き込みながら縦横無尽に動き回る。そして――テーブルの下に隠れている者、指示に従えず床にうずくまっている者に対して、容赦なく銃口を向ける。
そしてまた、耳障りの悪い音。タン、タン、タン――と、小気味の良いリズムでありながらも、おぞましくて耳を塞ぎたくなるような銃声が轟く。それもひとつばかりではない。輪唱であるかのごとく、方々から発せられたのだ。そこに人の悲鳴らしきものが混じっていたことを、果たしてどれだけの人が現実として受け入れることができたのだろうか。
さっきまで……ほんのさっきまでは、ごくごく当たり前の日常があったはずなのに、それがほんの数分間で非日常へと変貌を遂げた。辺りには火薬の匂いがより濃く漂い、そこに血の匂いが混じり合う。返り血を浴びた動物の被り物は、そのファンシーな雰囲気も相まってか不気味だった。
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