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中嶋の準備という言葉で、せっかく0.5係の詰め所にやって来たというのに、いまだにロッカーの中に拳銃を仕舞ったままだったことを思い出した。倉科に連絡をしたりと忙しかったから、後回しにしていたのである。慌ててロッカーに歩み寄る。
「縁、模擬弾を使うっすよ。模擬弾なら遠慮なくぶっ放せるっすから」
元より模擬弾を詰めるつもりでいた縁。どうやら尾崎も縁と考えは同じようで、ほぼ同時にロッカーに歩み寄って鍵を開けると、先に拳銃を取り出しつつ呟いた。そんなこと言われなくても分かっている――なんてことを言えない縁は「そうですね」とだけ相槌を打った。
先に模擬弾を詰め始めた尾崎と、模擬弾を詰める前にホルスターを装着しようと、まず手始めにホルスターに手を伸ばした縁。基本的に縁が使っているとホルスターは、ショルダーホルスターのホリゾンタル。倉科が使っているものと同じだったはずだ。しかし、それを取り出して装着しようとスーツの上着を脱いだところで、楠木が意味深なことを口にした。
「ショルダーのホリゾンタルか――。ホルスターとしては一般的だが、それを装着していて使いにくいと思ったことはないか?」
どうして知っているのだろうか。縁は少しばかり驚いた。楠木とは普段から関わることがないし、なんとなくホルスターが使いにくいと思っていることなんて話したこともない。むしろ、身近にいる倉科や尾崎にだって話したことがなかった。
「確かに――引き抜く際に違和感がありますけど」
縁はキャリア出身ではあるが、まだ刑事としての経験は浅く、新米刑事と言われても反論はできない。それゆえに、拳銃を扱う機会も多くはなく、ずっとショルダーホルスターを使ってきた。なんとなく違和感はあったものの、そういうものとして片付けてきたのであるが――。
「そりゃそうだろうな。ショルダーのホリゾンタルの場合、拳銃は利き手と逆の腰辺りに収納することになる。当たり前ながら懐に手を入れて利き手で拳銃を引く抜くことになるんだが――その、やや大きくて引っかかるのかもしれない。女性特有のそれがな。言っておくが、これは下心とかそういうものではなく、あくまでも忠告だ。いざという時に拳銃が使えないことは、命に関わってくるからな」
楠木はそう言うと、なぜだか目を逸らした。いまいち意味が分からずに中嶋のほうに視線をやると、彼もまたわざとらしく顔を逸らした。ただ一人……むしろ逆に縁の胸元に視線を注視するというトリプルエーの妙技を決めた尾崎の一言で、ようやく楠木の言葉の意味を知った。
「ゆ、縁って――着痩せするタイプなんすね。なんか意外っす」
この危機的な状況で何を言い出すのか。頬が火照るように暑くなり、無意識に胸元に手が行ってしまった。つまり、懐に手を入れて拳銃を引き抜くタイプのショルダーホルスターだと、引き抜く際に胸が邪魔になって扱いにくい――ということを、楠木は遠回しに言ってくれたのであろう。それを尾崎がダイレクトに表現してしまったわけである。
気まずい。とんでもなく気まずい。楠木だって、あくまでも忠告をしてくれただけなのであろうが、なんとも気まずい。楠木と中嶋が、意図的に縁の胸元から目を逸らしている辺りが、なおさらに気まずかった。そこでようやく妙な空気に気付いたのか、尾崎が視線を逸らす辺りが気まずさに拍車をかける。口笛を吹いてごまかそうとしたのだろうが、全く音が出ていなかった。口笛が吹けないようだが、それはそれで尾崎らしい。
「と、とにかくだ――。普段はそこまで不便に思わないかもしれないが、今回の事件は白兵戦に近い状態でやり合わなきゃならん場面が出てくるかもしれん。その時に、体に合わないホルスターを使っていたせいで遅れを取るということだけは避けるべきだろう」
気まずい空気を払拭するかのように、咳払いをしてから口を開く楠木。これまでは違和感だけで済んでいたものが、命取りになるかもしれない――。そんなことを言われ、改めて自分が非日常的な空間にいることを自覚する。普通に生きていて、白兵戦に遭遇する心配などする必要がないはずなのだから。
「0.5係の立ち位置がどんなものなのかは知らないが、俺達と同じものが支給されているのであれば、レッグホルスターも支給されていたはずだ。確かめてみてくれ」
守衛は刑務官とは違い、万が一を想定しての武器が支給されているのだろう。アサルトライフルを構える姿はさまになっているし、妙に知識にも詳しい。中嶋はともかく楠木は普段から銃器に触れている印象があるから、そう考えていいだろう。そして、楠木の言う通り、支給されたまま開封さえしていないホルスターが、ロッカーの奥に眠っていることを縁は知っていた。0.5係に配属された際に支給されたものだった。
縁はロッカーの奥から、ビニールに包まれた未開封のホルスターを取り出した。その名前からして、どこに装着するのかは知っている。ただ、なんとなくスカートがめくれ上がったりしそうで、違和感はありつつも、もっぱらショルダータイプのホルスターを使っていたのだ。ビニールを開封して取り出したそれを、とりあえず装着してみる。
――やはり、スカートが邪魔になる。もう少しホルスター自体がスマートでコンパクトならば、いっそのことスカートの下に隠れてくれるのであろうが、いかんせんホルスターそのものがゴツく、また縁の所持している拳銃も旧式のリボルバーであるため、やや膝上丈のスカートが邪魔になってしまうのだ。だからこそレッグホルスターには手を出さなかったわけだが。
縁は小さく溜め息を漏らすと、どうしたものかと思案する。確かに、ショルダーホルスターでは初動に遅れが生じる。これまでは全く気にさえしていなかった程度の遅れなのであろうが、しかしそれが命取りになりかねない状況だ。背に腹は変えられないというか、やはり太ももに装着できて、引き抜きの動作が単純な上に直感的なレッグホルスターのほうが使いやすいだろう。楠木の指摘は的確である。ずっと拳銃を構えたまま――というわけにはいかないし、そもそもホルスターを装着しないという選択はなかった。
散々悩んだ挙げ句、縁はタイトスカートの裾に手をかけた。ウエストでクルクルに巻き上げて、スカート自体を短くすることも考えたのであるが、どうせ動いているうちに落ちてくるであろうし、何よりもウエストが圧迫されて動きにくい。ゆえに、もっともスマートな手段は、無理矢理にでもレッグホルスターを装着する部分を作ってしまうことだった。手で裂いてやろうと考えたが、そう簡単に切り裂ける生地ではなかった。それでも、何度も同じような試みを続けると、しまいには小気味の良い音と共に、スカートが縦に裂けた。糸がほつれたような破れ方で、思っていたより深く破れてしまったが、これで右脇にスリットの入ったスカートが完成だ。
レッグホルスターを装着し、そして改めて拳銃に模擬弾を込める。それをホルスターに収めると、ついでにロッカーの中から手錠を取り出して上着のポケットに突っ込んだ。そして、深呼吸を何度か繰り返す。ここは縁の知っている日常的な空間ではない。いつ殺されてもおかしくない非日常なのだ。引き金を引くことを迷ってはいけないだろうし、スリットが入ったことで、思ったよりも露出が多くなってしまったことを気にしている場合でもない。この非日常を切り抜けるべく――生き延びるべく動くべきだ。
「全員――準備は整ったな?」
尾崎と縁の準備が終わった頃を見計らって楠木が口を開く。中嶋が「俺は用意もへったくれもないですが」と愚痴を漏らす。楠木はアサルトライフル、そして縁と尾崎は拳銃を装備しているわけだが、中嶋だけは丸腰だ。銃器の数が足りないのだから、こればかりは仕方がない。
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