事例1 九十九殺しと孤高の殺人蜂【事件編】1

【1】


 息を潜める。潜める。潜める。ゲームセンターを出る彼女の後をつけ、決して気付かれず、決して見つからず、絶妙な距離を保って駅まで向かう。何も知らずに切符を購入し、改札口を抜ける彼女の後ろ姿を、数人の人間を挟んで追いかける。


 ホームで電車を待つ。彼女はポケットからイヤフォーンを取り出して、音楽を聴き始めたようだった。彼は素知らぬ顔をして、スマートフォンの画面に熱中するふりをする。でも、意識するのは彼女の肢体したいばかりだ。今時の格好らしく、下はデニムのショートパンツで、そこから伸びた足は黒のストッキングに包まれている。彼は彼女のあられもない姿を想像して、トイレへと駆け込みそうになってしまった。いかんいかん、そんなことをしていたら彼女を見失ってしまうではないか――。首を横に振る。


 駅のホームは夕方ということもあり混雑していた。これは彼にとっては好都合であり、かっこうの隠みのでもあった。電車がホームへと入ってきて、彼は彼女と同じ電車に乗った。満員電車は不愉快極まりなかったが、これからのことを考えると逆に興奮材料となった。様々な障害を乗り越えた末の達成感は、さぞ甘美なものであろう。


 幾つか先の駅で彼女が降りた。まだ音楽を聴いているらしい。彼も一緒に電車から降り、事前に調べておいた地図を何度も頭の中で#反芻__はんすう__#する。


 彼女の家は駅からおよそ徒歩で十五分。その途中で川沿いの土手を歩くことも知っている。そこは彼女のショートカットコースのようなもので、普段から人通りが少ない。土手を降りると河川敷になっているが、あしの長い草が伸び放題で、土手から河川敷の様子は分からない。やるとするならそこだろう。


 人の流れに合わせ、街の色に紛れ込み、彼は彼女と二人きりになれる瞬間を待つ。もう少し――もう少しと考えるたびに、彼の陰部は熱を帯び、そして固くなっていく。


 女なんて生き物は、素直に男に従っていればいいのだ。女ではなくメスに成り下がって当然の生物。それなのに、これまでの人生の中で会ってきた女は、彼を見下し、馬鹿にし、汚物を見るかのような視線を向けてきた。


 だから、最初にやった時は本当に気持ち良かった。彼に侮蔑の目を向けていた女が、そんな侮蔑の対象である彼の手によって、思うがままになったのだから。


 一度、この興奮を覚えてしまったら止められない。アダルト映像を見ても、この興奮を超えるものは見つからなかった。きっと、自分の手で女を支配することに、興奮を覚えるのだ。


 誰かが悪いわけではない。彼女だって、彼に何かをした訳じゃない。ただ、彼と目が合った時に、その瞳の奥に侮蔑の色を見せただけだ。これまでならば嫌で仕方がなかった視線も、今となっては興奮材料でしかなかった。侮蔑の目を向けてくる馬鹿な女であればあるほど、支配した時の悦びは大きいのだから。


 彼は紳士だから、強姦などという下俗なことはしない。それで処理できてしまう欲望ならば、最初からこんなことはしない。素直に家で自慰にふけっていればいい。


 駅前を抜け、閑静な住宅街を途中で折れ曲がる。すると、広々とした川の流れる土手へと出た。ただの通行人を装い、それこそ歩きスマホをしている馬鹿を演じながらも、彼は彼女の後をつけた。人通りがない場所だから不安だったが、どうやら彼女は不審にすら思っていないようだ。


 辺りを見回す。人の気配はどこにもない。ただただ川のせせらぎと、風に吹かれるあしの長い草が擦れ合う音が聞こえるだけ。彼は肩からかけていたバッグに手を突っ込み、そこからアイスピックを取り出した。もう、陰部は暴発する寸前だった。


 思いの限り地面を蹴った。イヤフォーンをしていたのが幸いだったのか、彼女が彼のことに気が付いたのは、アイスピックを振り下ろす刹那のことだった。


 背中に向かって思い切り一突き。彼女が苦悶の表情を浮かべてあえいだ。続いて、もう一突き。大した抵抗もなく、アイスピックがずぶりと肌にめり込んだ。血が勢い良く吹き出すわけではなく、じんわりと衣服に滲み出す。ちょうど白い色の上着を着ていたから、赤い花が咲いたみたいで綺麗だった。


 彼女は何が起きたのか理解できていないようで、首がねじれんばかりに彼のほうへと振り返り、わなわなと唇を震わせる。その唇には薄っすらとピンクのルージュが塗られていて、夕日に反射したそれが妙に色っぽかった。彼のたぎらんばかりの陰部は、とうとう限界を迎え、暖かいものが下着の中へと放出された。


 しまった。こんな拍子に射精してしまうなんて想定外だった。この女がいやらしいから、やけに色っぽいからいけないんだ――。彼はよだれが垂れた口元をさらに歪め、狂ったかのようにしてアイスピックを彼女の体に突き立てる。その度に彼女の体はびくんと震えてのけぞった。まるで絶頂を迎えたかのようだった……。つい今しがた射精したばかりだというのに、またしても彼の陰部はたぎっていた。


 突き刺しては抜き、突き刺しては抜く。まるでアイスピックに自身の陰部を投影するかのように――。その度にびくりと体を震わせる彼女は、最高に色っぽくてあでやかだった。


 しかし、男女の行為というものはいずれ終わりを迎えてしまうものだ。互いに永遠にむさぼりあえれば、どれだけ素晴らしいものかと思うのだが、いずれ理性というものが歯止めをかける。その証拠に、彼女はぐったりとしたまま動かなくなった。真っ赤に染まった白の上着が、やけに夕日に映えているように見えた。


 彼の心の中は満足感と支配感で満たされていた。予期せず下着が汚れてしまったが、一度汚れてしまえば気にはならない。数えてはいなかったが、恐らく三回は射精したことであろう。


 息は上がり、他では経験できないような高揚感と多幸感に包まれる。やってやった――。また、やってやった。これで何人目の女を陥落させたことか。これで、この女は永遠に自分のものだ。侮蔑の目を向けてきた女が、従順な奴隷へと成り下がったのだ。その証拠として、いつものように用意しておいた紙切れを折りたたみ、彼女の口の中へと押し込んだ。


 彼は腕時計に視線を移すと、小さく溜め息を漏らした。そろそろ日常へと戻らねばならない。もう少し、この甘美な夢に浸っていたいところだが、現実というものはそれを許してはくれない。ここが人通りの少ないマニアックな場所であることは知っているが、彼女のように利用する人間がゼロとは限らない。さっさと遺体を隠してしまわねば。


 彼は地面に彼女を寝かせ、そして河川敷に向かって蹴飛ばした。何度か蹴る内に、勢いづいた遺体が土手を転がり、そして足の長い草の中へと姿を消した。――これでいい。あまり余計なことをして誰かに目撃されるのも面倒だし、何より日本の警察は無能だ。ニュースなどでも騒いではいるが、捜査は難航しているようであるし。


 彼は何事もなかったかのように普段の自分へと戻ると、スマートフォンを取り出して歩き出した。今日は塾に行く予定だったが、家まで着替えに戻っていたら確実に間に合わない。返り血は浴びないように考えて動いていたから問題ないが、下着の中が大いに汚れている状態で塾の時間を過ごすというのも無理がある。ここはいつも通り、ずる休みを決め込むべきだ。


 塾の事務局に電話をして、休みたい旨を告げる。電話の相手は呆れたかのように溜め息をついたが、そんなことはお構いなしだ。休みたい時に休んで何が悪いというのだ。


 とりあえず現場を離れ、再び電車に乗って自宅のある町まで戻る。そして、適当な場所で時間を潰して、塾が終わる時間まで暇を潰した。その間、彼の頭の中では犯行の一部始終が何度も繰り返され、コンビニのトイレに駆け込んで自慰にいたった。


 時間通りに帰らないとママがうるさい。でも、まさかママも自分がこんなことをしているとは思いも寄らないだろう。まさか自分の息子がマスコミで騒がれている殺人蜂であるなんて知ったら、どんな顔をするだろうか。


 恍惚こうこつの表情を見せながら絶頂に達した彼は、思わず笑いを噛み殺したのだった。


 我は孤高の殺人蜂。捕まえられるものなら捕まえてみろ……。

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