【2】


「現場は仙道せんどう市の河川敷。手口から考えて殺人蜂の仕業の可能性が高い。おら、尾崎。もっと飛ばせ!」


 通報の連絡が入ったのは、たまたま部下と一緒に昼飯を食べ終えて覆面パトカーに乗り込んだ時のことだった。殺人蜂を警戒して、覆面パトカーによる巡回を強化していたというのに、またしてもやられてしまったようだ。


「そんなこと言っても、公道でこれ以上出したらやべぇっすよ! サイレンを鳴らしていても、避けてくれねぇ人なんて馬鹿みたいにいるんすから!」


 ハンドルにしがみつくようにしながら、倉科の部下である尾崎裕二おざきゆうじが目を血走らせる。スピード計はすでに時速三桁を越えており、充分にスピードが出ていた。やけに遅いと感じてしまうのは、倉科の焦りが前面に出てしまっているからだろうか。


 緊急車輌は、緊急時において法規を越えた権限を持つことができる。ただ、それにだって限界があるわけであり、しかも公道には一般の車も走っているため、あまり無茶はできない。車はある程度の節操を持っているが、実のところ歩行者というものは、驚くほどに緊急車輌に対してうとかったりする。スクランブル交差点に進入する際でも、青信号だという理由だけで、渡ってしまう歩行者が多いのだから。


 尾崎と倉科はコンビを組むことが多かった。特に理由はないはずなのだが、妙に相性がいいというか、巡り合わせがいいというか――。できることならば、もう少しきっちりした部下と行動を共にしたいものだ。


 そんな尾崎は、刑事だというのに髪を長く伸ばし、それを後ろでひとつにまとめるという女みたいな髪型をしている。体育会系の大学を出た後に警察学校に入ったらしく、その喋り方は未だに社会人の合格ラインには達していなかった。どれだけ注意しても治らないため、もう諦めている。


 街中を恐ろしいほどの速度で駆け抜ける含めパトカー。サイレンの音が耳の中で反響するせいか、頭が痛くなりそうだ。いいや、例の殺人鬼と接触したというのに、新たな犠牲者が出てしまったかもしれないという事実が、倉科の頭痛の原因なのかもしれない。


「とにかく、こいつが殺人蜂の仕業だったとしたら、いよいよ警察の威信にかかってくるぞ。尾崎、分かってるな?」


「だからって無謀な運転はできねえっす! それに、急がなくても他の署員が駆けつけてるっしょ!」


 急かさせる尾崎には申し訳ないが、倉科は立場的に居ても立っても居られない状態だった。上から面倒な役割を押し付けられているからこそ、こうもやきもきしなければならないのだ。もちろん、尾崎はそのことを知らない。そう、倉科には0.5係という特殊な役割があることを――。


 尾崎の言う通り、無線から他の署員が現着した知らせが入った。その無線の声は、若い女性の声だった。倉科の心当たりがある限りでは、現場に出たがる女性署員など、一人しかいない。


「おい、今の声って――」


ゆかりじゃないすか? 彼女、どうも署内で大人しくできないみたいっすから」


 尾崎が下の名前で呼んだ女性。その女性もまた、倉科の頭痛のタネだった。あの殺人鬼よりは遥かにマシだが、曲がりなりにも上司である倉科からすれば、無視できるような問題児ではなかった。


「あの馬鹿キャリア……。大人しく内勤してりゃいいって、何度も言ってるんだがなぁ」


 倉科がキャリアと呼び、そして尾崎が下の名前で呼んだ女性の名前は山本縁やまもとゆかりという。バリバリのキャリア組であり、研修という名目で倉科の下についている女刑事である。基本的に入ったばかりの女性は内勤に就くのだが、キャリアのプライドがあるのか、やたらと現場に出たがる。それだけならば、仕事に対して積極的ということで済まされるかもしれないが、彼女には刑事として大きな欠点があった。さっさと現場を離れて上に行って欲しいと倉科が願うほどの欠点が。


「尾崎、やっぱりもっと飛ばせ。放っておくと、あいつのゲロで現場が汚されるぞ!」


 倉科は溜め息混じりに無茶な注文を尾崎につけた。ついさっき、これが限界であると尾崎が訴えたばかりなのであるが、状況が変わった。


「縁、死体とか血を直視できねぇっすからねぇ。仕方がねぇっす。なんかあったら倉科警部が責任を取るっすよ!」


 彼女といい尾崎といい、どうして自分はこうも部下に恵まれないのだろうか――。溜め息を漏らした倉科の隣で、ただでさえアクセルをベタベタに踏んでいた尾崎が、力任せにアクセルを踏み込んだ。


 周囲の景色が瞬く間に通り過ぎて行く。挙げ句の果てに、左折する際にドリフト走行ときたものだ。スピードを出せとは言ったが、そんな曲芸まがいのことをしろと言った覚えはない。


「おい尾崎! 曲がる時くらいはもう少し慎重に運転を――」


「警部殿が責任を取ってくれるから心配いらねぇっすよ!」


 その警部殿とは自分のことなのであるが……。しかし、焚き付けたのは自分であるから、今は尾崎がどこかにパトカーをぶつけたりしないことを祈るのみだ。


 肝を冷やすドライブは、しかし何事もなく現場である川沿いの土手へと到着。生きた心地がしなかったものの、尾崎の絶妙なドライビングテクニックのおかげで事なきを得た。先に到着していたパトカーとパトカーの間に、半回転スピンをしながら縦列駐車をした時には、思わず尾崎にげんこつをくれてやったが。


 倉科のげんこつに頭をさする尾崎を急かし、パトカーを降りる。見計らったかのように突風が吹き、あしの長い草がサワサワと揺れた。その草のせいで河川敷のほうは見えないが、そちらが随分と騒がしい。


「尾崎、現場は下の河川敷だ。行くぞ――」


 尾崎を引き連れて歩き出すと、すぐに河川敷へと降りるためであろう、コンクリート製の階段を見つけた。コンクリート製といっても、随分と砂利が多く含まれているし、造りも精巧というわけでもない。かなり昔に造られたものであるようだ。時代が流れるにつれ、それだけここの河川敷の需要が減ったのだろう。伸び放題の草を見れば一目瞭然だ。


 草のアーチを掻き分けながらくぐると河川敷に出た。思っていたよりも川幅は狭く、水もかなりにごっている。対岸側も草が伸び放題だ。川幅も狭いため、川沿いの土手から河川敷を見ることはできないであろう。少し向こう側に捜査員と鑑識の姿を見つけた。


 河川敷も川幅と同様に狭く、がたいの良い尾崎と並んで歩くだけでも息苦しく感じてしまう。この河川敷で遺体が発見されたとのことであるが、こんな場所が人生最期の場所になるなど、被害者も不憫ふびんなものである。


「ご苦労様です」


 そう言って会釈をしつつ現場入りをする。尾崎は、はた迷惑なほどの大声で「ご苦労様っす!」と叫び、ビシッと敬礼を決める。――正直、敬礼なんてものは刑事ドラマの中だけの話であり、実際の刑事が敬礼をして挨拶をするなんてことはない。まぁ、これも何度かアドバイスしたが、どうしても本人はやりたいようだから、やりたいようにさせている。


「仏さんは?」


 手帳を片手に歩み寄ってきた部下に問うと、青いビニールシートで覆われた膨らみへと、あからさまに部下が視線を移す。その部下の向こう側には、うずくまったまま真っ青な顔をしているキャリアの姿があった。倉科は溜め息を漏らしてキャリアのほうへとアゴをしゃくった。


「尾崎、ここはいいからキャリアを現場から離せ。現場を荒らされたら堪ったもんじゃない」


 倉科の指示に尾崎は不服げな表情を見せたが、目で威圧をすると仕方なしといった具合にキャリアのほうへと向かった。それを見届けてから倉科は両手を合わせてビニールシートをめくる。


「こいつは酷いなぁ。なんでこんなことができるのか分からん」


 ビニールシートの下には、元は人間だったはずの魂の抜け殻があった。

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