元は無地の白い洋服だったのであろうに、背中のほうから脇腹にかけて、赤茶けた模様が広がっている。恐らくは被害者の血液であろう。これで元々そのようなデザインだとしたら、被害者の美的センスを疑いたくなる。


 血の気を失ってしまった真っ白な肌。驚いたかのように見開かれた瞳は、助けてくれなかった警察を――いや、倉科を恨んでいるようにも見えた。


「被害者は田邊絢香たなべあやか。年齢は17歳。隣の市の商業高校二年生ですね。二日前、高校の友人と遊びに行くと出掛けたきり帰っておらず、その日の夜に家族が警察に届け出ています」


 尾崎とは違って優秀な部下が、聞かずとも状況の説明を始める。鑑識の人間がたくフラッシュの明かりが眩しかった。


「死因は?」


 被害者は仰向けになって倒れているため、ぱっと見た限りでは外傷がないように見える。ただ、このような遺体を見るのはこれが初めてではなかった。正直なところ、わざわざ死因を聞くまでもない。


「背中に鋭利なもので何度も突き刺した跡が確認されています。司法解剖に回す手続きを取っていますが、恐らくはこれまでの手口と全く同じかと……。明確な死因は司法解剖に回してからになりますが、ショック性の失血死でしょうね」


 本当ならば遺体をひっくり返して傷を確認したいところだが、それはなんだか死者への冒涜のようで気が引けた。遺体を調べて死因を特定するのは倉科の仕事ではない。17歳という若さで亡くなった被害者を、はずかしめるような真似はしたくなかった。


「――殺人蜂か」


 倉科の言葉に頷いた部下は、近くにいた鑑識係へと声をかける。しばらくすると、鑑識係がビニール袋を持ってきて部下に手渡した。ビニール袋には、くしゃくしゃになった紙切れが入っていた。これが倉科の思っている通りのものであれば、A4サイズのルーズリーフのはずだ。


「えぇ、被害者の口の中から例のものが発見されています。まず殺人蜂の仕業だと考えていいでしょうね」


 手渡されたビニール袋をながめて倉科は溜め息をついた。実はこの殺人蜂――。これまでの事件でも妙な短文のポエムを残しているのだ。しかも、ポエムをつづった紙切れを折りたたみ、被害者の口の中にねじ込むという、狂気じみた手法でだ。


「なになに――。タイトルは【夏が来る前に】か。今年の春先は冷え込むってのに、随分と気の早い話だなぁ」


 倉科はこそばゆいものを感じながらも、そのポエムに目を通す。


【今年も 夏がやってくる 離れ離れになっているうちに きっと君も変わってしまう 僕が好きなのは 今の君なんだ だからずっと永遠に一緒にいよう ほら これで ずっと一緒だね】


「――頭がおかしいとしか思えんな。ただ、こいつから全く犯人に繋がる証拠が出てこんのだから、ただの馬鹿ってわけでもないんだよなぁ」


 証拠品を確認した倉科は、そのまま部下へと手渡さずに、近くにいた鑑識係を呼んで返した。


 毎度のように被害者の口の中に詰め込まれているポエム。その内容は毎回異なっているものの、恋愛絡みのようなものばかりだ。どうして、こんなものを残したがるのか神経を疑いたくなるが、しかし面白いほどに犯人に繋がる証拠が出てこないのだ。


 ルーズリーフそのものは、大手の文房具メーカーが出している汎用品はんようひん。コンビニやスーパー、ネットなどでも簡単に手に入るものだ。使用されているのはボールペンのようなものであるが、これもまた市場に流通している一般的なものだという話だ。筆跡をごまかすためか、定規を使ったカクカクの文字が使用されているため、筆跡鑑定もできない。ここまで入念なことをやるやつだから、指紋も当然ながら出てこない。


「本当っすよねぇ。これで五人目っす、五人目――。どれだけ殺せばあいつは気が済むんすか? ねぇ、縁もそう思うっすよね?」


 ふと、背後に気配を感じて振り返ると、尾崎とキャリアの姿があった。さっさと現場からキャリアを引き離せと指示を出したはずなのに、どうやら倉科の背中越しに仏さんとの対面を果たしたらしい。倉科が気付かなかっただけなのか、それとも二人が気配を消すのが上手かったのか。後者ならば、それを他のことに役立てろと言いたい。


「お、尾崎。お前何やってるんだ。さっさとキャリアを――」


 そう倉科が言った瞬間、真っ青な顔をしたキャリアが口元に手を当てた。ボブカットというのだろうか、肩に届かない程度の長さの髪に、整った顔立ち。少なくとも美人の部類に入るであろうキャリアの顔が、間抜けなほどに歪んだ。


「馬鹿っ! ここは現場だぞ。分かってんのかキャリアっ!」


 倉科が声を上げたが、時すでに遅し。キャリアは川のすぐそばまで駆け出すと、川を覗き込むように這いつくばって、思い切りえずき始めた。その場にいた一同が、思わず顔を背ける。倉科は大きな溜め息を漏らす。


「……尾崎、それが終わったらさっさとキャリアを署に返品しろ。後で始末書も忘れずにな」


 嘔吐おうとすることによって現場を荒らすなんて、それこそテレビドラマの中だけにして欲しい。血やら死体を見るのが苦手ならば、どうしてキャリアは刑事なんて仕事を望んだのであろうか。こんな下らないことで始末書を書かせなければならない身にもなって欲しいものだ。


「えっ? 自分がっすか? 自分、何もしてねぇっす! とんだ濡れ衣っすよ!」


「馬鹿者、お前がさっさとキャリアを現場から離さんからだ。あいつに仏さんを見せればこうなることくらい分かるだろうが。連帯責任だ」


 尾崎がこの世の終わりであるかのような表情を見せる後ろで、恐らく昼飯を全部出し切ったであろうキャリアが、口元をおさえながら立ち上がり、倉科のほうに視線を向けてきた。本人は鋭い視線を向けてきているつもりなのだが、病人のような目で睨みつけられても何とも思わない。


「キャリアじゃありません。山本です……」


 縁はそう言うと、遺体を再び見てしまったのか、もう一度大きくえずいた。倉科が呆れているのは、遺体や血を見るのが苦手であるということではない。内勤を命じていたのに、わざわざそれを破ってまで現場に赴くからだ。そりゃ、キャリアと皮肉って呼びたくもなる。


「あー、分かった分かった。なぁ、山本。お前さんはキャリア組なんだ。現場なんて出なくてもな、いずれは俺よりも偉くなるんだよ。現場に出るのは下の連中の仕事で、お前さんはデスクワークさえこなせればいい。俺の言ってることが分かるか? わざわざ現場に出てくるなってことだ。汚れ仕事は俺達に任せておけばいい。なっ?」


 キャリアは自動的に出世する。現場を経験しておくのも結構なことではあるが、致命的な欠点があるのだから、わざわざ現場に赴いて、自分の評価を下げるような真似はしなくていい。現場を知らないキャリアなんて馬鹿みたいにいるんだし、刑事の仕事は現場だけにあるわけでない。適材適所――。遺体や血が苦手なのであれば、彼女は自分の得意分野を伸ばせばいいのだ。とにもかくにも、彼女の将来のためを考えるのであれば、大人しく内勤をさせておいたほうが良い。一応、倉科の親心のようなものであるが、どうやら縁には伝わっていないらしい。


「それはできません。現場のことを分かってこそ、人の上に立つ資格が……」


「あのな、だったらはっきり言ってやる。こうも毎度毎度現場を荒らされると迷惑なんだよ。いいか? 現場ってものはナマモノだ。そこには、その時にしか分からない重要な手がかりが転がっているかもしれないんだよ。荒らしたら二度と元には戻せないし、重要な手がかりだって逃してしまうかもしれない。もしかすると、お前さんがゲロを撒き散らしてくれたおかげで見逃された手がかりだって、これまであったのかもしれないんだぞ?」


 嫌われ役もまた、上司の仕事である。言っても聞かないのであれば、幾らでも嫌われ役になってやろうではないか。それが彼女のためになるのだから。

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