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 楠木は中嶋に答えてやると、真っ直ぐに喫煙所に向かった。調べるべくは、そこに設置されている灰皿だった。


「楠木さん、そんなところを調べて、何が分かると言うんです?」


 喫煙所のテーブルの上に置かれた灰皿。格子状の蓋のついたタイプだ。中嶋の疑問を背中に受けつつ楠木は蓋に手をかける。


「実は食堂が占拠された後、レジスタンスリーダーが煙草を吸うために食堂から離れているんだよ。律儀にここを使う必要もないんだが、仮にレジスタンスリーダーまでもがアンダープリズンの関係者ならば、もしかして――と思ってな」


「なるほど。吸殻から煙草の銘柄を割り出すことで、何か分かるかもしれないってことですか」


 中嶋は納得したかのように頷いた。だがしかし、灰皿の中に残されている吸殻が、レジスタンスリーダーの吸った煙草の吸殻だとは限らない――。ある人物の習慣を知らない人間ならば、そう考えるであろうし、そもそも灰皿の中にある吸殻を調べようなんて考えないだろう。しかしながら、楠木はある人物の習慣を知っていたし、中嶋もそれを知っているからこそ、楠木の考えを察してくれたのであろう。


「その通りだ。手掛かりになるかは分からんがな――。とにかく、いつも通りなら、昼休憩の時間に入ってしばらくした後、灰皿は必ず掃除されているはず。ならば、この灰皿の中に残っている吸殻は、それ以降に吸われた煙草の吸殻ということになるだろう。そして、食堂が占拠された以降に煙草なんてものを悠長に吸えたのは――恐らくレジスタンスリーダーしかいない」


 わざわざ用件を口に出してから、食堂を離れてくれたレジスタンスリーダーのおかげである。あの軽率な行動があったからこそ、本来ならば拾い上げることもないようなことが、手掛かりとなりつつある。煙草の銘柄だけでレジスタンスリーダーを特定することは難しいだろうが、何も情報がないよりはマシだ。


「どうやらビンゴのようだな――」


 灰皿の蓋を外した楠木は、その底に一本だけ残されていた煙草の吸殻をつまみ上げた。それを見て、中嶋が小さく溜め息を漏らす。


「何が手掛かりになるか分からないものですねぇ。こいつは、善財さんのおかげなんでしょうね」


 中嶋の言葉に「あの男の変な几帳面さが事件を解決するかもな」と、やや大袈裟に言ってやった。とにもかくにも一歩前進である。


 実は善財という男。妙なところで几帳面である。彼自身の中で基準があるのか、どうでも良いところにこだわる節があるらしい。例えば、自分が煙草を吸った後は灰皿を空っぽにしなければ気が済まないのに、彼の仕事用のデスクは物で溢れかえっているらしいとか――。とにかく、昼食の前に煙草を吸った善財が、必ず灰皿を掃除するのは、楠木や中嶋のような喫煙者の間では有名な話だった。綺麗にした直後に灰皿へと吸殻が入るのも嫌なようで、わざわざ自分が最後になるように時間を調整するらしいから驚きである。そして、今日も今日とて、食堂が占拠されてしまうことなど知らずに灰皿の掃除をしたのであろう。この善財の、ある意味変な癖というか習慣が、まさか手掛かりを導き出すとは。恐らく、本人だって思いもよらなかったことだろう。


「中嶋、この銘柄――知ってるか?」


 吸殻から煙草の銘柄を推測するのは、その種類によっては容易であったり、逆に困難だったりする。口にくわえるフィルター部分に銘柄が記されたりしているものであれば、比較的容易に銘柄が分かるが、なにも記されていないものは、とことん何も記されていない。楠木が拾い上げた吸殻は前者のほうだった。フィルター部に銘柄らしきものが記されており、フィルターそのものがピンク色だ。しかし、楠木の知らない銘柄である。


「あぁ、それはブラックデビルのピンクローズですね。確か――オランダ産の煙草だって聞いたことがあります」


 楠木も喫煙者ではあるが、ブラックデビルという銘柄は聞いたことがないし、そもそもフィルターがピンク色というのも珍しい。しかしながら、中嶋が知っているということは、楠木が知らないだけであり、そこそこ有名な煙草なのだろうか。


「――言っておきますが、かなりマイナーな煙草ですよ。コンビニや小さい煙草屋にはまず置いてなくて、専門店じゃないと手に入らないとか」


 中嶋はそう言うと大きく溜め息を漏らした。そして、楠木が手渡したピンク色のフィルターを眺める。しばらくすると、楠木のほうへと視線をくれてきた。


「楠木さん、俺はこれを吸っている人を知っています。珍しい銘柄であり、コンビニなどでは入手が困難であるため、アンダープリズンの関係者でも、何人もの人間が吸っているなんてことはないでしょう。つまり、昼休憩に入り、いつものように善財さんが灰皿を掃除した後に――食堂が占拠された後になって、ここで煙草を吸った人物を特定することはできそうです」


 願ってもないことだった。ほんのささいなことであっても、手掛かりとなるのであればと調べてみたわけであるが、そのささいなことが進展に繋がってくれれば御の字だ。


「それで、これを吸っている人物ってのは?」


 楠木が問うと、中島はピンク色のフィルターを灰皿の中に放り込む。


「レジスタンスリーダーがアンダープリズンの関係者――というのと、この煙草の吸い殻が、間違いなくレジスタンスリーダーの吸ったものであるという前提が必要になりますが、俺の知る限りで、こいつを吸っているのは――いいや、吸っていたのは一人しかいない。下手をすると楠木さんは知らないかもしれませんねぇ。もう、アンダープリズンの関係者でもなんでもないはずですし」


 中嶋はそこで言葉を区切ると「何か飲みます?」と、ポケットから小銭入れらしきものを取り出す。こんな状況で何を悠長に――とは思ったが、しかし喉の渇きも少しばかり覚えていた。


「あぁ、悪いな。ブラックコーヒーで頼む」


 楠木が言うと、中嶋は自動販売機に硬貨を投入する。自分の飲み物とブラックコーヒーを購入すると、楠木のほうへと缶を放り投げてきた。それを受け取るとプルタブを起こす。中嶋も同じようにプルタブを起こしながら、改めて口を開いた。


芦ヶ崎純也あしがさきじゅんや――。かつて、ここで刑務官をしていた男で、数ヶ月としないうちにいなくなった奴です。まぁ、ここいたのは本当に短い間でしたし、部署違いの楠木さんは知らないと思います。今と違って、あの頃は部署感の垣根もあったことですし」


 中嶋の言う通り、名前を聞いてもピンとこなかった。アンダープリズンの運営が始められた頃は、部署の間に垣根のようなものがあった。刑務官は刑務官で、守衛は守衛で――といった具合に、それぞれ別々の存在として、どういうわけだか距離を置いていたのである。恐らく、こんなわけの分からないところが職場になったものだから、表には出さないものの、みんな混乱していたのかもしれない。アンダープリズンなどという得体のしれない場所で働くのだから、当然といえば当然であろう。


 このアンダープリズンは、機密の存在であるがゆえに、安易に人が変わったりはせず、人が入ってくることも少なければ、出て行くことも少ない。だから、人が辞めれば嫌でも噂が立つのであるが、しかしアンダープリズンが動き始めた当初ならば、それに紛れて人が離れてしまっても分からないのかもしれなかった。

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