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「確かに、アンダープリズンが動き出した当初は混乱もあったからなぁ。自分のことで精一杯だってのに、他人のことまで気にしていられないし、人が一人辞めようが分からなかっただろうな」


 楠木はアンダープリズンに配属された直後のことを思い出す。人によって事情は様々であるが、誰しもが自らの希望でアンダープリズンに配属されたわけではない。もちろん、中には志願した物好きもいるのであるが、大半は自分の意思とは別に配属されることを余儀なくされてしまった者ばかりだ。一応、楠木もその部類に入ってしまうのかもしれない。


「楠木さん、辞めたんじゃありません。辞めさせられたんですよ。奇妙な思想を掲げていたせいでね」


 中嶋は缶コーヒーに口をつけると、小さく吐息を漏らす。その表情は曇っているように見えた。芦ヶ崎とかいう男の話――それほど気の重いものなのだろうか。


「その奇妙な思想ってのは?」


「正確な名前は覚えていませんが、なんたら自由思想をとかいう思想だったはずです。俺も芦ヶ崎に散々と聞かされましたからねぇ。……人はいかなる時においても自由であり、何者にも束縛されるべきではない。もし束縛されている者がいるのであれば、それは即刻解放されるべきである。さすれば、誰しもが自由になる――なんてことを、あたりかまわず言っていたんですよ。だから、彼のことを避ける人間のほうが多かったと思います」


 楠木はそこまでの話を聞いて、あることに気付いた。その芦ヶ崎の思想とやらは、正しく……。


「待った。その自由がどうこうとかって――まるで、解放軍じゃないか」


 そう、芦ヶ崎とかいう男の思想は、解放軍が抱いている思想に近いのだ。坂田の解放を要求する解放軍の意図が分からなかったが、もしかすると芦ヶ崎の思想に基づいているとは考えられないだろうか。


「えぇ。当時、周囲から避けられていた芦ヶ崎ですが、一部に熱狂的な賛同者もいたようです。アンダープリズンに配属されてしまった自分を照らし合わせて、自由を訴えようとしたのかもしれませんねぇ。結局のところ、芦ヶ崎は賛同者と坂田の解放を画策したんです。それが事前にばれてしまい、首謀者だった芦ヶ崎が、責任を取らされてアンダープリズンから追放された――なんてことがあったんですよ。表沙汰になっていないから、知っている人間のほうが少ないでしょうけど」


 かつてアンダープリズンに配属されながら、奇妙な思想を振りかざしたばかりに排除されてしまった男。その男が吸っていた煙草の吸い殻が、休憩所の灰皿の中から見つかった。しかも、その煙草は珍しい煙草だ。どうやら、少しずつではあるが事件が見えてきたようだ。


「ということはつまり、芦ヶ崎こそがレジスタンスリーダーってことか? 休憩所の灰皿の中には、芦ヶ崎が吸っていた煙草と同じ銘柄の吸い殻があった。そして、解放軍の目的は、芦ヶ先と同じ坂田の解放――」


 徐々に見えてきた全貌ではあるが、楠木はどうにも現実味を見出せずにいた。何よりも、芦ヶ崎という人物のことを知らないからであろう。


「えぇ、その可能性はあると思います。実は、芦ヶ崎の思想に賛同した人間の中にはね、あの二階堂もいたらしいんですから」


 これまで全く見えていないかったものが、点と点を線で繋ぐかのごとく形になる。本人は拘束されて身動きが取れず、ライオンのラバーマスクを被ったままであったが、さっき会ったばかりのライオンの中身こそが二階堂である。彼は芦ヶ崎の賛同者だったらしい。だとすれば、レジスタンスリーダーの側近という立場にいてもおかしくはない。


「なんにせよ、これは重要な情報になるだろうな。こいつも念のために持ち帰ろう」


 楠木はそう言うと、自分の煙草を取り出して、箱の空いているスペースに、ブラックデビルとやらの吸い殻を放り込んだ。ついでに一本吸ってやりたい気分になるが、ぐっと我慢する。状況が状況なだけに、悠長に一服というわけにはいかない。


「楠木さん、これも念のためなんですが、まだチャイムが鳴るまで少し時間がありますし、女性陣の部屋のほうに向かってみませんか?」


 中嶋の表情は神妙であり、また真剣そのものだった。何かを考え込むかのように一点を見つめている。


「別に構わんが、どうせ鍵がかかっているんじゃないか? ガサツな男どもでも施錠だけはしっかりしてたんだから、女性陣ともなれば、もっと防犯意識も高くなるだろうに」


「周囲を信頼しているし、鍵の開け閉めをすること自体が非効率的だから鍵はかけない――なんて言ってた人物がいたのを思い出しましてね。できることならば、その人の部屋を調べておきたいんです」


 中嶋はそう言うと、飲み干したコーヒーの缶をゴミ箱へと放り投げた。ものの見事にゴミ箱に空き缶が突き刺さる。慌てて楠木も飲み干して缶を放るが、手元が狂って明後日の方向へと飛んで行ってしまった。


「で、それは誰の部屋なんだ?」


 床に転がってしまった空き缶を拾いに向かいつつ問う。理屈っぽい理由で部屋の施錠をしない時点で、ある人物の顔は浮かび上がっていた。ただ、やはり女性の部屋に無断で立ち入るというのは、どうにも罪悪感のようなものがある。できることならば、彼女の部屋を調べなければならない理由も教えて欲しかった。


「本庄さんですよ。本庄流羽さん。ここは女性が少ないですから、楠木さんだって知ってるでしょう?」


 空き缶を拾い上げ、今度はゴミ箱に近い位置から空き缶を放ってみる。綺麗な放物線を描いてゴミ箱に向かった空き缶は、しかしほんのわずかに軌道がずれてしまい、またしてもゴミ箱に嫌われてしまった。変なことはせずに、ちゃんと捨てろということか。素直に空き缶を直接ゴミ箱に捨てた。


「知ってるも何も、事件が起きる前にちょっとだけやり合ったよ。あの女はどうにも理屈っぽくて得意じゃない――。それはともかく、施錠はされていないとして、どうして彼女の部屋を調べる必要がある? まさか、下心があるというわけではあるまい」


 流羽と食堂でやり合ったのが懐かしい。あの時は、まさかアンダープリズンがこんなことになるとは思っていなかったし、ごくごく当たり前の日常の一コマであったはずなのに。


「まぁ、彼女は性格があんな感じですが、容姿はかなりハイレベルですからねぇ――なんて話は置いといて、彼女の部屋を調べる価値があると思う理由は他にあります。楠木さん、その様子だとご存じないみたいですけどね、芦ヶ崎がアンダープリズンにいた際に、男女の仲ではないかと噂された人物がいたんです。もう、ここまで言えば、察しはつきますよね?」


 芦ヶ崎という男の存在自体を知らなかったのだから、そんな噂が立っていたことも知らない。数少ない女性ということもあり、流羽のことは大分昔から知ってはいたが、部署も違えば関わり合いになることも少ない楠木には、彼女のプライベートな部分を知る由などもない。だが、ここで中嶋が引き合いに出してきたということは、恐らくそういうことなのであろう。


「それが彼女――本庄流羽だったってわけか。芦ヶ崎とかいう男が今回の一件に絡んでいるとなると、彼女も途端に怪しくなるってことだな」


「あくまでも噂ですし、彼女が芦ヶ崎の手引きをしたという証拠もありません。しかし、彼女の部屋を調べておいて損はないように思えてくるでしょう? まぁ、そういうことなんで、念のために調べておいたほうがいいと思いまして」

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