35

 流羽の部屋を調べたところで、大した情報は手に入らないかもしれない。しかしながら、彼女があちら側の人間である可能性が出てきた以上、調べられるのであれば調べておくべきだ。


「よし、ならば彼女の部屋に向かおう。どうにも、女の部屋を勝手に漁るというのは気が引けるがな――」


 あくまでも推測の域を出ていないが、流羽にも疑いがかかってしまった。もし芦ヶ崎とやらがレジスタンスリーダーであり、仮に今現在でも芦ヶ先と流羽が男女の仲にあるのだとすれば――彼女もまた事件の手引きをした可能性が出てくる。一緒に拘束されていたくらいだから、彼女を信じてやりたいのだが、食堂での彼女が全て演技であるという可能性だって否めない。


「まぁ、状況が状況です。仕方がないですよ」


 楠木と中嶋。休憩所で、文字通り少しばかりの休憩をした二人は、そのまま休憩所を抜けて女性陣の住居スペースのほうへと足を踏み入れた。大浴場はまだ調べていなかったが、それよりも先に流羽の部屋を調べる必要性が出てきてしまった。大浴場で重要な手掛かりが手に入るとは思えないし、後回しで構わないだろう。


 景色は相変わらず殺風景な廊下ではあるが、やはり女性陣が使っているスペースだからか、他と変わらない廊下であるはずなのに小綺麗で清楚なイメージを抱くから不思議だ。普段、こちら側まで来ることのない楠木は、少しばかり新鮮さを覚えた。


「さて、本庄さんの部屋はどこになりますかね――」


 そう言いながら、手当たり次第にドアノブを回しながら進む中嶋。一応、どこから解放軍が襲ってくるのか分からないのだから、基本的な陣形――楠木が前で中嶋が後ろという形を崩さないで欲しいものだ。ここまで何事もなくやってきたから、警戒心が薄れてしまうのは仕方のないことなのかもしれないが。


 中嶋がある部屋の前で立ち止まった。ドアノブに手応えがあったらしく、楠木のほうを見て小さく頷く。それに対して頷き返してやると、中嶋が小さく息を飲んでから、音を立てないように扉を開けた。抵抗なく開いた扉に、もう一度顔を見合わせて頷き合う。


 女性の部屋に無断で入るということに対して、罪悪感にも似た緊張感が漂う。ふと、その緊張感をぶち壊すかのごとく、チャイムが鳴り響いた。チャイムが鳴ることは当然知っていたことであるが、あまりにも不意打ちで、楠木は体をびくりと震わせる。ライフルを構え直すことで、取り繕った。


「約束の時間――か。全てを調べることはできなかったが、収穫はあったな。この部屋を調べたら、一旦0.5係と合流することにしよう」


 調べていないところといえば、大浴場と娯楽室くらいであり、現時点で手に入った手掛かりだけでも充分で、下手をすれば釣りがくる。感謝されることはあっても、文句を言われることはないだろう。


「そうですね。さっさと調べてしまいますか」


 チャイムが終わると、途端に辺りが静寂に包まれる。自然と楠木が辺りを見張り、そして中嶋が流羽の部屋の中を探るような分担になっていた。女性の部屋に無断で入るという罪悪感が、多少は影響したのかもしれない。


「気を付けろよ――」


「気を付けるも何も、ここの出入り口はひとつだけですし、そこをしっかり楠木さんが見張ってくれていれば、解放軍と遭遇することは不可能ですよ。万が一にも、この部屋に解放軍が潜んでいない限りね。まぁ、そんな様子はありませんけど」


 とりあえず中嶋のことを気遣って言ってみたつもりだったが、確かに彼の言う通りだ。部屋の出入り口は楠木が固めている。それゆえ、事前に部屋の中に解放軍が潜んでもしていない限り、中嶋が解放軍と遭遇することはない。もし仮に、そんなことがあったとしても、武器を持った楠木が近くにいるのだから問題ない。すぐに助けてやることができる。ただ、部屋の中を探る前に、せめて人が隠れられそうなところだけでも、調べておいたほうがいいかもしれない。


「中嶋、やはり念のために調べておいたほうがいいだろう。こんなところに解放軍が潜んでいることは、まず考えられないがな――」


 部屋の中を物色していた中嶋が手を止めて「楠木さんが、そこまで言うなら調べておきますか」と、同意してくれた。その時のことである。何の前触れもなく、辺りが真っ暗になった。音のひとつも立てずに、ひっそりと――まるで、ランプの火を絞りすぎてしまったかのごとく、ふっと。


「――停電?」


 中嶋がぽつりと呟く。楠木は廊下であろうほうに視線を向けて首を傾げた。万が一、停電してしまった時に点灯していなければならない非常灯まで消えてしまっている。こんなこと、本来ならあり得ないことであるし、考えられることでもなかった。


「いや、停電なんてことはないだろう。状況から察するに、メインと予備が同時に落ちてるみたいだ。意図的にやろうとしなければ、まずこんなことにはならんだろうな」


 アンダープリズンにおいて、まず停電ということ自体が、意図的でもない限り起きない。電子制御されている部分が大半であるがゆえに、停電は致命傷になってしまうからだ。確か、そうなってしまうことを回避するために、外部からの電力を引っ張るのに加えて、自家発電で同時に電力を確保していたはず。それだけでも充分なのかもしれないが、予備電源としての蓄電もしていたはずだ。よって、メインが落ちても予備電源に切り替わるだけのはず。いきなり非常灯を含む全ての明かりが落ちるなんてことは、意図的に電源を落とそうとでもしない限り、まずあり得ないことだ。


「これも解放軍の仕業なんですかね?」


 暗闇となってしまった空間に、中嶋の声が漂う。ここは完全な地下であるから、停電した時には真の暗闇に包まれてしまう。それにしても、ここまで正真正銘の闇に包まれるとは思わなかった。すぐそばにいたはずの中嶋が遠いような気さえする。


「そうとしか考えられん――。ただ、こうして俺達が実感しているように、ここは電気が落ちてしまうと、全くと言っていいほど視界が効かなくなる。しかも、空調なんかの設備も全て止まってしまうわけだ。俺達だけじゃなくて、解放軍にもデメリットが生じる。ただでさえ、何もなくとも優位に立っている解放軍だ。どうして、今になって電力をダウンさせるのか分からん。中嶋はどう思う?」


 暗闇に抱く本能的な恐怖。それらを振り払うかのごとく、ふと気付いた疑問点を闇の中へと投げ返す。この状況で解放軍が電力をダウンさせた意味が分からない。わざわざ電力をダウンさせなければならない理由でもあるのだろうか――。楠木が闇の中に投げかけた疑問は、どういうわけだか、ずっと宙を漂っているだけだった。中嶋からの返事がないのだ。


「――中嶋?」


 彼の名前を呼んでみたが、返ってきたのは耳が痛くなるような静寂だけ。まるで最初から中嶋という人物などいなかったかのごとく、まるでふっと姿を消してしまったような気がした。


 楠木は辺りを見回す――といっても、見えるのは闇、闇、闇。どこを見ても闇。目が慣れるにも時間がかかるであろう漆黒。


「中嶋、どうした?」


 問いかけながら、部屋の中へと足を踏み入れた。もちろん、明かりがないから周囲に何があるのか分からない。電気が消える前の記憶を頼りに、中嶋がいた辺りへと向かおうとするが、もはや漆黒の闇は方向感覚まで楠木から奪おうとしていた。


 何だか空気がおかしい。急に全く反応しなくなった中嶋。それどころか、ついさっきまで近くにあったはずの気配すらなくなってしまっているような気がする。これは、単純に暗闇のせいで視界を失ったから、そう感じるだけなのか。


「中……」


 再三、中嶋へと呼びかけようとした瞬間のことだった。楠木の周囲にあった空気が歪み、その歪みの中に人の気配が揺らめく。慌てて銃口を構えてみたが、しかし中嶋がどこにいるのか分からない以上、下手に乱射するわけにもいかない。一瞬の迷いが楠木に隙を生じさせ、その隙につけ込むかのように、風を鈍く切るような音が聞こえた。


 次の瞬間、頭部に激しい衝撃が走り、闇の中に星が飛び散る。暗闇しか見えていないというのに、ぐわりと目の前が歪み、体のバランスが崩れる。しかし、とっさに足を踏ん張り、楠木は体勢を立て直した。


 ――何が起きたのかは分からないが、自分に対して敵意を抱いている何者かが、攻撃を仕掛けてきたとしか思えない。もしかすると、楠木の嫌な予感が的中しており、部屋の中に解放軍が潜んでいたのかもしれない。仮に彼女があちら側の人間なのだとすれば、潜伏する場所として彼女の部屋ほど都合の良い場所はないのだから。


 中嶋のことは心配だが、しかし彼のことだけを気にしていられる余裕もない。ここは一度退いて、体勢を整えるべきだ。頭では分かっているものの、暗闇のせいで右も左も分からない。しかも、頭部を殴られてしまったからか、ただでさえ狂っていた方向感覚が、さらに狂ってしまったような気がする。動こうにも動けず、ただただ銃口を闇の向こうに突き付けるのが精一杯だった。


 また、ふっと歪んだ空気の中で気配が揺らぐ。それは察知できたのであるが、様々な要因が積み重なって狂ってしまっていた楠木の感覚は、それを完全に捉えることができなかった。


 衝撃――。再び、衝撃。脳天からつま先まで衝撃が突き抜け、真っ暗だったはずの目の前が、真っ白になった。もう一度踏ん張ろうにも、どうすれば体が動いてくれるのか分からない。どっちが上で、どっちが下なのか。どこが右で、どこが左なのか。混乱に包まれたまま、しかし地面の冷たさだけは、しっかりと感じることができた。


「くそっ……たれが」


 自分の意思なのかさえも分からない言葉が漏れ出し、そして楠木の意識は渦を巻く闇の中へと落ちていく。そう、まるでコーヒーに垂らしたミルクが渦を巻くかのごとく。あぁ、明かりならばライターがあったではないか。そんなことを今さら思い出したのであった。

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