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【8】


「おいおい、これだけ大それたことをやっておきながら、拠点以外はまるで留守ってことは無ぇよなぁ――」


 不機嫌である。ご機嫌斜めである。これが凶悪な猟奇殺人鬼であるから堪ったものではない。自分達には危害を加えない――明確な根拠があって、彼を独房から出すことになったわけであるが、こうにも機嫌を悪くされてしまうと、その根拠すら揺らいでしまいそうだ。つまらなそうにしながら、ぶらぶらと歩き回る坂田と、銃口を坂田に向けつつ後に続く縁と尾崎。幸いなことに、ここまで解放軍との遭遇はない。もっとも、だからこそ坂田の機嫌が悪いようなのだが。


 すでに第四階層は調べ終え、第三階層を調べていた。坂田の主導で調べて回る形になっているが、今のところ手掛かりらしい手掛かりは掴めていない。時計が手元にないから分からないが、こうして第三階層を調べて回っているうちに、約束の時間となることであろう。


 第三階層はご多聞に漏れず、アンダープリズンの心臓部だった。機械室やら制御室、システム管理室など、専門的な知識が必要とされるような場所のようだ。残念なことに、どの部屋にも鍵がかかっており、中を調べることまではできなかった。ゆえに、第三階層は各部屋の外周をなぞるかのように、廊下をほっつき歩くことしかできていない。――収穫はゼロである。


「やっぱりあれだな。こうなったら直接食堂に向かうか――。せっかく独房から出れたってのに、これじゃ拍子抜けだぜぇ。どうせだから、少し運動不足も解消しなきゃだしなぁ」


「坂田、勝手な真似をしないで。あくまでも主導権は私達にあるの。貴方が今後の方針を決められるわけじゃない」


 とんでもないことを言い出した坂田に、改めて銃口を突き付ける。坂田は食堂の様子を見ていないから、適当なことが言えるのかもしれない。仮に坂田であっても、あれだけの人数を相手にするのは不可能であろう。しかも、全員が全員、武器を持っているのだから。


「じゃあ、どうすんだ? このまま大人しくしていて、事件が解決に向かって進展する保証はあるのかぁ? くくくくくくくっ――こうしている今も、お前達のお仲間が殺されてるかもしれないってのによ」


 考えたくもないことを、あっさりと言ってくれる。確かに、こうしている今も、食堂で捕らえられている刑務官達が危険に晒されているし、今後も彼らが無事だという保証はない。


「私達の戦力だけじゃ、残念だけど食堂にいる解放軍は手に負えない。今はやるべきことをやりつつ、事件の全体を見渡すべき」


 正直な話、坂田ならば解放軍と対等にやり合えるのではないかと思っている節が少しだけあった。九十九殺しの猟奇殺人鬼――その異名に偽りはなく、実際に目にも留まらぬ速さで動いた坂田を目の当たりにしている。例え相手が武器を持っていても、そして坂田が丸腰であったとしても、そこそこやり合える公算は高いと思う。しかし、例え事態が好転するとしても、やりたい放題の殺し放題で暴れられては困る。刑務官達のことは心配ではあるが、下手に解放軍を刺激して、さらに事態を悪化させることは避けたいし、相手が犯罪者だとしても余計な犠牲は出したくない。食堂への突入は――もう本当にどうにもならなかった時の最終手段だ。


「事件の全体っすか……。あっちは何か手掛かりを掴んだっすかねぇ? こっちはさっぱりっすけど」


 縁の言葉に、尾崎が溜め息を落とす。坂田が振り向いて、気味の悪い笑みを浮かべた。


「だから、いっそのこと、さっさと食堂にいる連中を殺っちま――」


 そこまで言いかけた坂田は、急に真顔を見せると、尾崎の肩を掴む。そして、差し掛かっていた曲がり角の向こう側に押し込んだ。何事かと思った時には、もはや坂田の腕が縁のほうに伸びており、乱暴に腕を掴まれた縁は、なかば放り投げられるようにして曲がり角の先へと押し込まれた。


「坂田、何を……」


 続いて体を滑り込ませてきた坂田に対し、尾崎が声を上げると、坂田は真顔のまま「静かにしろ――」と声を潜めた。そして、壁を背にして、さっきまで自分達のいた廊下を覗き込む。


「ほら、あれを見てみろよ――」


 坂田がそう言って、廊下を覗き込むように促してくる。坂田と同じように顔だけ廊下のほうへと覗かせてみると、遥か向こうに人の影が見えた。その影はふたつであり、こちらのほうに向かっているように見えた。


「あれ……新田さんじゃねぇっすか?」


 縁より遥かに身長の高い尾崎は、縁の頭の上に顔を出す。確かに、言われてみれば姿格好が桜のように見える。頭にカチューシャらしきものをつけているし、まず桜で間違いないだろう。


「どうやら、解放軍の人間と一緒のようですね」


 もうひとつの影は、ラバーマスクを被っており、解放軍のメンバーだと思われる。こちらに近づいてくるにつれて分かったことであるが、少し先を桜が歩いており、その背中に銃口を突き付ける形で解放軍のメンバーが続いているらしい。残念ながら、ラバーマスクはツインテールの女の子ではなさそうだ。まだ距離はあるが、ゴリラかそこらのラバーマスクのようだ。


 縁達が近くに潜んでいることも知らずに、桜とゴリラはある部屋の前で立ち止まる。改めてゴリラが銃口を突きつけ、桜は鍵らしきものを取り出した。第三階層は専門的な知識を持つ者が出入りするところ。そして、エンジニアとしてここに駐在している桜もそのうちの一人である。


「どうするっすか? 今なら彼女を助けられそうっす」


 小声で問うてきた尾崎に対して、坂田は首を横に振る。尾崎の言う通り、桜を助けるのであれば今が絶好のチャンスのように思えるのだが、どうやら坂田の考えは違うらしい。


「いや、もう少し様子を見る。あの女を助けるのは、もう少し後でもいい――。あいつらが何を考えているのか、ちょっとばかし観察してぇんだよ」


 坂田は相変わらず、何を考えているのか分からない。桜のことよりも、解放軍の動向を優先するつもりらしい。共感性を持たず、人を人だと思っていない坂田らしいと言えば坂田らしい。


「ですが、彼女がいつ危険に晒されるのか分かりませんし――」


 ただ、縁はそこまで薄情ではない。解放軍が何をしようとしているのか。何を目的にここへとやって来たのか……気になることは多々あるが、それよりも桜のことを優先させてやりたい。解放軍の目的などは、他の場面でも知ることができるかもしれないが、桜の命はひとつだけ。失ってしまったら元には戻らない。


「まぁ、落ち着けよ。あいつらだって馬鹿じゃねぇ。ここにあの女を連れてきたのにだって理由と目的があるはずだ。格好から察するに、あの女はここのシステムエンジニアってところだろ? だとすると、アンダープリズンのシステムそのものを書き換えるとか、解放軍にとって有利になるように組み替えるとか――目的の幅も広がるだろう。解放軍が何をどうするつもりなのか……。しばらく泳がせた上で、あの女を助け出して聞き出せばいいだろ? そもそも、目的が達成されるまで、あの女だって殺されねぇだろうよ」


 やはり坂田は、解放軍を泳がせて、その目的を探ろうとしているようだ。それらしいことを並べ立てはしたが、結局のところ桜を餌にすることに変わりはないらしい。助けられるのに助けられないという状況がもどかしいが、しかし坂田の言っていることも全くのトンチンカンというわけでもないから困る。尾崎も坂田に反発を見せなかったし、ここは縁もぐっと堪えて、坂田の方針に乗っかることにする。

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