ここは普段より外界から遮断された世界。それゆえに、有事に対する脆弱性が顕著だ。助けを呼ぶこともできないし、異変に気付いて貰えることもない。そして、解放軍が武力を持っている以上、彼らこそが法なのである。その法に逆らえば――もれなく死が待っている。


 楠木は返す言葉を失ってしまったようだった。坂田を独房から出すという行為は、当然ながら独断で行えるものではないだろう。彼の存在は国家機密レベルであり、決して知られてはならないことでもある。それが漏洩してしまうかもしれないリスクを、一人で背負うには重すぎるだろう。楠木一人で決められることではない。


「こちらの要求が呑めないのであれば、死んで貰うだけだよー。どうやら、まだ自分達の立場が分かっていないみたいだねぇ。みんなは、私達の要求を拒否するなんてことはできないの。従うことしかできないんだよぉー」


 合成音声だというのに、妙にぶりっ子というか、変に鼻につく。しかし、立場は圧倒的に解放軍のほうが上であり、死にたくなければ要求に従うしかない。ただ、彼らの要求は、下手をすれば国家が揺らぐレベルのものである。機密中の機密として、地下の奥深くで国に飼い慣らされていた坂田。その坂田を独房から出すという行為は、とても一人では背負いきれないほどの重荷だった。しかし――後々の責任以前に、死んでしまったら元も子もない。ここで縁は決断する。この状況を打破するには、どちらにせよリスクを背負わねばならないのだから。


「その要求――呑みます」


 発言することに、思っていた以上の勇気が必要だった。もっと堂々と言い放ってやろうと思ったのに、情けないことに声がうわずってしまう。ただ、縁の声は確かに届いたようであり、解放軍はもちろんのこと、周囲からの視線が縁へと集められた。


「や、山本さん。本気なのかい?」


 善財が小声で問うてくる。アンダープリズンの人間が、坂田の解放を恐れる理由は、きっと責任問題以外にもあると思われる。坂田自身が恐るべき連続殺人鬼であるということも、躊躇ちゅうちょする理由になっているのだろう。ただでさえ解放軍という得体の知れない猛獣がいるというのに、そこに殺人鬼を放つのだから、躊躇しないほうがおかしいのかもしれない。


 しかしながら、縁は確信していた。この状況――坂田ならば最大限に楽しもうとするということを。思考回路のぶっ飛んだ彼にとって、アンダープリズンが占拠されたなんて状況は、究極のエンターテイメントでしかない。少なくとも、独房から出てきた途端に、無差別に人を殺して回るなんて真似はしないだろう。曲がりなりにも、これまで坂田と関わってきたからこそ持てた確信だった。


「ここで要求に従わなければ、どの道全滅してしまう恐れがあります。確かに、坂田を独房から出すことによって何が起きるかは分かりませんし、後になって責任問題にもなるでしょう。でも、このまま何も起きないままというよりはマシです。それに、こうすることによって戦力を分散させることもできます。戦力を分散させれば、反撃に出ることも可能なはずです」


 できる限り小声で考えを伝える。縁の狙いは、坂田を独房から出すことによって、現状がどちらに転ぶか分からない賭けに出ることではなかった。むしろ、それをするために独房へと向かうことで、戦力を分散させることに重きを置いていた。坂田のところへと縁が向かうのであれば、当然ながら食堂から離れることになる。むろん、縁が単独で独房に向かうことはなく、解放軍も同行することになるだろうが、しかし全員が同行することはない。食堂内にいる解放軍全員を相手に立ち回ることは不可能だが、少人数ともなれば、隙を見て反撃に出ることが可能かもしれない。縁はそう考えたのだ。


「でも、だからと言って君一人にそんなリスクを背負わせるわけには――」


「リスクを考えていたら、結局何もしないほうがいいということになります。それでは、何も変わらない。それに、坂田の独房に向かうための認可証を常に携帯しているのは、私達0.5係だけです。よってこの場は、私か尾崎さんが坂田の解放に向かうのが効率的かと」


 善財は保守的なスタンスを見せるが、しかし縁はどこかでリスクを背負わねばならないと感じていた。そして、どうせリスクを背負うのであれば、できるだけ早いほうがいい。拘束が長引けば長引くほど、こちらも疲弊することになるだろうから――。縁と善財の密談を遮るかのように、またしても不気味な合成音声が響く。


「それじゃあ、早速だけど坂田のところに――」


「待ってくれ!」


 レジスタンスリーダーが、疑いもなく縁の言葉を受け入れたタイミングで声を上げたのは楠木だった。


「彼女だけでは独房の中には入ることができても、坂田を収監している鉄格子を開けることができない。そして、その鉄格子の鍵は守衛室で厳重に保管されていて、限られた人間にしか鍵を扱えないようになっている。坂田を鉄格子から外に出すなんてこと自体、本来ならあってはならないことだからな」


 楠木の進言に、レジスタンスリーダーの視線が楠木のほうへと向けられる。もっとも、被り物をしているせいで、顔の動きから察しただけであるが。


 坂田の独房までは、認可証を使って向かうことができる。ただし、坂田を閉じ込める最後の砦となる鉄格子を開けることはできない。そこまで考えがいたらなかった辺り、自分では冷静だと思っていても、どこか混乱しているところがあるのかもしれない。


「そして、俺ならばその権限がある。坂田を解放するのであれば、俺も同行させる必要があるぞ」


 さっきまでは、ルールの厳守を優先的に考えていたであろう楠木であるが、どうやら考えが変わったらしい。いいや、もしかすると縁の発言を受けて、全く同じようなことを考えたのかもしれない。この身動きの取れない状況から脱却するには、とにかく食堂を離れるしかない。そして、戦力さえ分散させれば、反撃することも不可能ではないと察したのであろう。


「――色々と面倒なんだねぇ。ルールばっかり馬鹿みたいに作って、その本質が全く伴っていないのがアンダープリズンなわけだけど、それにしても面倒ごとが多すぎるよぉ。なんか、面倒臭くなってきちゃった」


 レジスタンスリーダーはそう言うと、近くにいたライオンのほうに視線を向ける。そして、人差し指と中指を立て、それを唇に近付けては離す仕草を繰り返した。どうやら、煙草という意味らしい。


「ちょっと離れる――」


 こんな状況であるというのに、煙草を吸いに行くつもりなのだろうか。なんというか、妙に律儀で違和感のようなものを抱いた。ここを手中に収めたのは解放軍なのだから、別にこの場で吸ってもいいのに――。いや、煙草を吸うには被り物を取る必要がある。もちろん、この場で被り物を取ってしまえば、食堂にいる人間に顔が割れてしまう。だからこそ、わざわざ食堂の外に吸いに出たということか。


 レジスタンスリーダーはさっさと食堂を後にしてしまった。合成音声であるがゆえに、感情の動きが全く分からないのであるが、恐らく坂田を解放するための手順が多いことに、苛立ちを感じたのかもしれない。もっとも、それに任せて全員射殺するとか、そのような短絡的な発想は持ち合わせていないだけ助かるが。


「――では、これより坂田の解放へと向かう。先ほど発言した者は前に出ろ」


 レジスタンスリーダーに代わり、ライオンが口を開く。解放軍の中にあるヒエラルキーなどは全く分からないが、恐らくライオンの被り物をした人物が、側近という立ち位置なのであろう。他の者は、合成音声を発することさえできないようであるし。

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