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 尾崎が解放軍に対して何かを発言しそうな雰囲気を見せたが、目配せをして黙らせた。大方、自分も同行するとでも言い出すつもりだったのであろうが、独房に向かう人数が増えれば、必然的に独房に同行する解放軍の人数も増えてしまうことだろう。人数が増えれば隙を突くことも難しくなるから、できる限りチャンスを作るためにも、独房に向かう人間は最小限に留めておく必要があった。


 自然と楠木と目が合う。どこか0.5係を毛嫌いしている節のある楠木と、このような形で意思の疎通を試みることになるとは思わなかった。こんなことならば、例え毛嫌いをされていても、もう少し楠木とコミニュケーションをとっておくべきだったと後悔もした。しかし、今となってはどうにもならない。楠木が同行する以上、行き当たりばったりでやるしかないのだ。


 縁と楠木は、ゆっくりと前のほうへと出た。善財、桜、流羽、尾崎をはじめとして、一同の視線が背後から重くのしかかる。言ってしまえば、食堂にいるアンダープリズン関係者の運命は、縁と楠木に託されたと言っても過言ではない。ここで突破口を見出せるか否か――。期待の目を向けられるのは仕方のないことだろう。


「――先に行け。妙な動きを見せたら容赦なく排除する。それを忘れるな」


 いつでも殺れると言わんばかりに、わざわざ銃口を縁の背中に押し付けてくるライオン。その銃口の温度など分からないはずなのに、なぜだかひんやりとしているような気がした。


 楠木が自然と両手を上げ、それにならって縁も両手を上げる。いわゆる降伏の合図ではあるが、しかし内心では違う。反撃の隙を虎視眈々こしたんたんと狙っているのだ。それは楠木とて同じであろう。


 歩き出した縁と楠木。食堂を後にすると、当然ながら解放軍の人間もついてくる。しかしながら、ここで不幸中の幸いとも言える事態が起こった。足音の数が――極端に少ない。本当ならば振り返って確認したいところだが、それをして不審に思われることは避けたい。ただ、振り返らずとも明白だった。縁の足音、そして隣を歩く楠木の足音――今現状で聞こえる足音から縁と楠木の足音を差し引くと、残る足音はひとつだけなのだ。つまり、縁と楠木に同行している解放軍は一人だけということになる。


 自分の気のせいではないかと思った。希望的観測が余計な足音を聞かせまいとしているのだと思った。けれども、集中して足音の数を何度も数えてみるが、どう考えたって自分と楠木を除いた足音の数は――やはり一人分だ。


 完全にこちらのことを舐めているのか。それとも、単純にライオンの判断能力が低いのか。レジスタンスリーダーがこのタイミングで離れてくれたことは、縁達の今後を左右させるターニングポイントだったのかもしれない。レジスタンスリーダーからすれば完全なるミスだ。側近の立ち位置であろうライオンですら、この有様なのだから、もしかすると解放軍は統率が取れているように見えて、その実はバラバラなのかもしれない。


 戦力を分散させ、相手の隙を作ろうとの魂胆だったわけだが、思っていた以上のチャンスを作ることができたようだ。ライオン一人が相手ならば、なんとかなるかもしれない。


 コンクリートに囲まれた冷たい廊下を抜け、アンダープリズンの玄関口となる守衛室へと向かう。坂田を鉄格子の中から出すことになるなんて夢にも思っていなかったし、鉄格子の鍵がどこに保管されていて、それを保管する責任が誰にあるのかなんて考えもしたことがなかった。守衛が管理しているというのは、なんとなく納得できるが。


「――ここだ。俺が鍵を取ってくるから待っていてくれ」


 いつも見慣れている、アンダープリズンの出入口。しかしながら、普段は気にかけることもない扉の前で楠木は立ち止まった。こんなことがなければ、注目することもなかった扉であろう。


「妙な真似はするんじゃないぞ」


 きっと銃口は、楠木の背中へと向けられているのであろう。しかし、その脅威はライオンのみ。意を決して、ごく自然にちらりと振り返る。ライオンはやはり銃口を楠木のほうへと向けていたし、同行しているのもライオンただ一人だけだった。すなわち、今の縁は完全にノーマーク。ここでおもむろにライオンへと飛びかかり、アサルトライフルを奪う――という安直な案が頭に浮かんだが、行動に移すことはやめた。せっかくのチャンスであっても、わずかでもしくじれば全てが台無しになる。もう少し様子を伺い、もっと確実な隙ができるのを待ったほうがいい。


 楠木がドアノブに手をかけ、そしてゆっくりと扉を開ける。その先に見える光景は、あらかた予測ができていたにも関わらず、やはり壮絶なものであった。――守衛室で働く人間は、なにも楠木だけではない。すなわち、食堂が占拠された時も、ここには誰かがいたわけであり、普段ならば守衛長である楠木に挨拶のひとつでもしたのであろう。そう……血の池に突っ伏した、無残にも惨殺されてしまった遺体とはなっていなかったはずだ。


「――酷い」


 無意識のうちに呟き落としていた。血の海に横たわった守衛は二人。一人は仰向けになったまま目を見開いて虚空を眺めている。もう一人は血の海に顔を突っ伏す形で倒れていた。胃から込み上げてきたものを飲み込む。基本的に遺体や血が苦手で、それは経験を積んでいくうちに耐性がつくものだと漠然と考えていたが、どうやら違ったらしい。この先もずっと、耐性などつかないのであろう。


 その光景には楠木も多少は動揺したようだった。いや、心のうちは揺さぶられていても、それを表に出さないように堪えていたのかもしれない。これを見て何も思わない人間など――きっと人間ではない。


「もたもたするな。さっさと鍵を取ってこい」


 動揺を隠すことはできても、すっかりと立ち尽くしてしまった楠木に、改めて銃口が突き付けられる。楠木は自身を奮い立たせるように小さく息を吸うと、守衛室の中へと足を踏み入れた。内開きの扉が音を立てて閉じ、ライオンと縁が取り残される形となる。楠木に向けられていた銃口は、さも当然とばかりに、縁のほうへと向けられた。


 独房の中にある鉄格子の鍵――。それがどんなものであり、そしてどんな形で保管されているのかは分からない。ただ、鍵を持って出てくるだけにしては遅いように思えた。いまだに内開きの扉は沈黙を守ったままだ。


「何をしているんだ? もたもたするなと言ったはずだぞ!」


 楠木が遅いと感じているのは、ライオンも同じようだった。どう考えたって遅い。アンダープリズンのことだから、もしかすると面倒な手順を踏まねばならないようになっているのかもしれないが、それにしたって遅い。とうとう痺れを切らしてしまったのか、ライオンがドアノブに手をかけようとする。それとほぼ同時にドアノブが回り、何事もなかったかのごとく楠木が姿を現した。


「――すまない。なんせ、独房の鍵を扱うなんてことは滅多になくてな。手間取ってしまった」


 坂田は独房から――鉄格子から外には出さないことがデフォルトであり、あの鉄格子が開くのは、天変地異でも起きない限りは皆無に等しいのだろう。鉄格子の向こう側だけで坂田の生活は完結しているし、食事は鉄格子の隙間から差し出せばいい。きっと坂田を閉じ込めている鉄格子はパンドラの箱の蓋であって、本来ならば決して開けてはならないものなのだ。普段から扱うことがなく、それこそ退職するまで手をつけることがないような特殊なものであるがゆえに、楠木も取り扱いに手間取ってしまったのだろう。その辺のセキュリティーは厳重であろうし。

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