【3】


 この時点で、すでに確定的なことが幾つかあった。突如として現れ、瞬く間にアンダープリズンを占拠してしまった解放軍だが、彼らがここを占拠するには、ある大前提が必要となるからだ。


 まず、彼らの動機からして、ごくごく普通の一般人ならば抱けないものである。彼らの要求は、ここに収監されている坂田の解放。それゆえに解放軍などと名乗っているのかもしれないが、そもそも普通に一般社会で生活している分には、坂田の解放を求めるどころか、坂田が生きていることすら知らないことだろう。


 表向きでは、坂田はすでに死刑が執行され、この世にはいないことになっている。その坂田が実は生きていて、そしてここに収監されていることを知っているのは――少なからずアンダープリズンに関わりがある人間のみだ。つまり、ごくごく一般の人間には、彼らのような思想を抱くこと自体が不可能なのだ。


 縁は解放軍の動きを――特にレジスタンスリーダーの動きを伺いながら、脳をフル回転させる。坂田の解放を要求した解放軍ではあるが、あれからずっと食堂内を見張っているだけで、特に大きな動きはない。あるとすれば、面倒なことに解放軍の数が徐々に増えていったことであろう。


 このアンダープリズンは広大な敷地面積を誇り、基本的に24時間フル稼働を続けている。よって、食事休憩だからといってアンダープリズンの全職員が食堂に集まるということは、まずないだろう。解放軍もそれを見越して、幾つかの部隊で手分けをし、制圧にとりかかっていたようだ。レジスタンスリーダーの後を追うようにして、解放軍の数が増え始めたのは、食堂を除く他の場所が制圧されたからに他ならなかった。


 現時点で解放軍は、十数――いいや、二十数人まで増えている。広めに設計されているはずの食堂が狭く感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。


 またしても食堂に解放軍が飛び込んでくる。レジスタンスリーダー以外は動物の被り物をしており、そのバラエティーは動物園にも匹敵するほど豊富だ。ここまでの被り物を、よくもまぁ集められたものだと感心してしまうくらいである。


 直近で戻ってきた解放軍の一人が、レジスタンスリーダーに耳打ちをする。レジスタンスリーダーは何度か頷くと、食堂の中を見回すような仕草をした。


「みんなー。ゆかいな仲間達からのお知らせだよぉ。このアンダープリズンは、解放軍が完全に制圧しましたぁ。そして、ここに残っているみんな以外――」


 レジスタンスリーダーはピタリと動きを止め、その不気味な合成音声で、信じられない事実を告げた。それはあまりにも残酷で、思わず耳を塞ぎたくなるような一言だった。


「全員、死んじゃったって!」


 そのあっけらかんとした言い草と、女の子のラバーマスクが相まり、さらにそこへと衝撃の事実が加わったことによって、どよめきとざわめきが起こった。


 ここにいる人間以外、全員死んだ――。あまり考えたくはないが、解放軍に殺されてしまったということなのか。世の中には知られていないはずの機密中の機密であるアンダープリズンが、こうも簡単に落城するなんて、どんなに先見の明を持っていたとしても予測できなかったことだろう。しかも、食堂を占拠されてから、体感的には一時間も経たぬうちにだ。


 騒然とする中で、縁はなんとか平静さを保とうとしていた。相手は平気で人を殺せる狂気の軍団。下手に騒ぎ立てて相手を刺激したところで、損はすることがあっても得をすることはない。今は現状をしっかりと把握して、これからどうするべきなのかを模索しなければ――。


「さぁて、これで本格的にアンダープリズンは私達のもの。誰も邪魔することができないのは、ここにいるみんなが知ってるよねぇ? だってここは、秘密なんだもん。誰にも知られない秘密の場所――。待っていても誰も助けになんて来ない。それどころか、こんなことが起きていることすら誰も知らない」


 相手の数、そしてそれぞれが銃器を所持していることから、丸腰で下手に抵抗したところで、犬死にするのが目に見えている。そして、レジスタンスリーダーの言う通り、まず普通に考えて助けは来ないし、助けを求めることさえできない。よって、現状では解放軍に従うしかないという答えしか見当たらない。


 威勢の良かった守衛長の楠木も、それは把握できているのか、解放軍を睨みつけているだけ。桜は何度目か分からぬ溜め息を漏らし、流羽は縁と同じように、現状を打破する方法を模索しているのか――表情が随分と険しい。尾崎と善財は、食堂内の空気に飲まれているようだった。


 どうにもならない状況だが、アンダープリズンの関係者が解放軍側にいることだけは明白だった。アンダープリズンの存在や、坂田のことを知っているというだけでも、その可能性は濃いのであるが、物理的に手引きをした人間がいることは確実。その証拠となるのは、解放軍がここにいるという事実である。


 アンダープリズンは誰しもが簡単に出入りすることができるわけではない。まず、風俗店に向かう途中の半地下にある扉――あれは普段から施錠されている。仮に百歩譲って鍵を破ったとしても、その先でエレベーターを呼ぶには、網膜認証を行う必要がある。


 まず、大抵の人間はここで弾かれてしまう。網膜認証をしなければエレベーターが動かせないのだから当然と言えよう。ただ、この網膜認証にも欠点がある。


 縁と尾崎がアンダープリズンを初めて訪れた時、まだ二人は0.5係の命を下されておらず、言わばアンダープリズンの部外者だった。しかし、地下に潜ることはできたし、坂田との初対面も果たすことができた。当たり前ながら、この時点で二人の網膜パターンは登録されていなかったはず。それなのに、どうしてアンダープリズンに入ることができたのか。答えは簡単――すでに網膜パターンが登録されていた倉科が網膜認証を行ったからだ。すなわち、ここに入るために、全員が網膜認証を行わなければならないわけではない。誰か一人でも網膜認証を行うことができれば、アンダープリズンに侵入することは可能なのだ。


 アンダープリズンのことを知っていて、坂田の存在も知っている。そして、網膜パターンが登録されている人物――。つまり、アンダープリズンの関係者が関与していなければ、解放軍による暴挙は実行されなかったわけだ。


 この事件にはアンダープリズンの関係者が必ず関与している――。その事実は縁に大きくのしかかった。この機密の存在が瓦解がかいするリスクはあったものの、まさか中から崩されることになるなんて。


「それじゃあ、早速だけど坂田を解放しちゃおう! 九十九殺しと呼ばれる凶悪殺人鬼。それをこんな地下に閉じ込めていたら、もったいないよ」


 レジスタンスリーダーの言葉で我に返った。解放軍の目的は、その名の通り坂田の解放――。彼を解放してどうするつもりなのかは分からないが、とにもかくにも坂田を解放するために、すでに多くの人間が殺されてしまった。


「ちょっと待ってくれ。坂田を管理しているのは俺達ではなく国だ。あいつを独房から出すにしても、俺達の独断では行えない」


 そこで言葉を挟んだのは、やはり楠木だった。誰もが狼狽ろうばいしている中、彼だけが冷静に物事を見ているような気がする。いつも悪態をつかれてはいるが、このような時ばかりは頼もしかった。


「ここで問題でーす! こんなことになっているにも関わらず、国に従ってぶっ殺されるのか。それとも、国に背いて自分の命を守るのか。判断として正しいのは、どちらでしょう?」


 レジスタンスリーダーの問いかけと同時に、幾つもの銃口が一斉に楠木へと向けられた。もちろん、彼らは冗談ではなく本気なのであろう。

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