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中嶋は悪戯げな笑みを浮かべた。アンダープリズンのような堅苦しいところで働いているのだから、どこかルーズなところがなければやっていられないのだろう。あらゆる面で曖昧な部分が点在するアンダープリズンだからこそ実現できる抜け穴なのかもしれない。むろん、倉科はアンダープリズンの管理者ではないから、余計な口を挟むつもりはない。
「今の話は聞かなかったことにしておく。上手い具合に手を抜けるなら、抜くに越したことはないからな――」
中嶋からの聞き取り調査はなかば終わっている。もっとも、最初からメインは焼肉であって、そこまで力を入れて聞き取り調査をしていたわけではないが。とりあえず、中嶋が戻らねばならない時間は迫っているわけであり、倉科は珍しく持ち歩いている鞄から、クリアファイルに入った書類を取り出す。
「とにかく、こいつにサインをしてくれ。聞き取り調査を行ったことを証明する書類だ。ここにサインをしてくれればいい。形式的にだが、上の連中にレポートと一緒に提出しなければならんからな」
上の連中と言っても、直接的に渡すのは叔父である法務大臣だ。それならば、電話で口頭にて報告すれば良いようなものであるが、その辺りは堅苦しい政治の世界である。食事代も経費として請求するつもりであるし、中嶋にサインを貰っておいて損はない。
「えーっと、名前と日付――それに時間ですか」
ボールペンを一緒に渡してやると、クリアファイルから書類を取り出し、署名欄にサインをする中嶋。これで、形式的にではあるが聞き取り調査を行ったことになる。
「はい、これでいいですか? あぁ、もう一時を過ぎちゃいましたねぇ。かったるいですけど、また地下に潜るとしますか。倉科さん、ごちそうさまでした」
中嶋は再び腕時計に視線を落とす。設置されているテレビでは、昼の情報番組が終わりを告げ、なにやら良く分からない昼ドラマが始まっていた。
「いや、俺は頻繁にそっちに顔を出せるわけじゃないし、これからも山本と尾崎のことをよろしく頼む。あそこには色々なしがらみがあるみたいだし、お前みたいな奴が面倒を見てくれると、俺も安心できる」
立ち上がった中嶋に合わせて、倉科も立ち上がる。まだ肉が残ってはいるし、倉科自身はもう少しゆっくりしていくつもりではあるが、せめて店の外までは見送ってやるべきだろう。
「いえいえ、こっちとしてもね、同年代くらいの人がいてくれるとありがたいですよ。特に山本さんは数少ない女性の一人ですしね」
中嶋と店の出入口まで向かうと、改めて倉科は口を開く。
「まぁ、アンダープリズンを取り巻くしがらみの根本は、やっぱり働き方のシステムにあるのかもしれないな。あんな地下に閉じ込められてちゃあ、誰だって腐るだろうから。その辺りの改善の要求も、ちらっとしてみるよ」
アンダープリズンには問題点がまだまだ多い。少しずつ形になっている部分はあるものの、改善すべき点は多いだろう。倉科が言ったところで、それが反映されるかは不明だが、叔父に話す分にはタダである。むしろ、法務大臣が叔父という特殊な立場の倉科だからこそ、進言できることなのかもしれない。
「事件とアンダープリズンの橋渡しだけじゃなく、アンダープリズンとお上さんの橋渡しまでやりますか――。倉科さんも大変ですねぇ。アンダープリズン側の人間からすれば、そう言ってくれる人がいるだけでも助かりますよ」
さしずめ、対凶悪異常犯罪交渉係ならぬ、対労働環境改善交渉係といったところか。特殊な環境下であるがゆえに、ここまで踏み込んだことができるのも、下手をすれば倉科くらいしかいないのかもしれない。そう考えると、責任は重大である。
「あぁ、お前さんから聞いた話も、包み隠さず上の連中に叩きつけておくさ。まぁ、期待しないで待っててくれ。仮に要求が通ったとしても、そこから腰を上げるまでに時間がかかるからな」
倉科が言うと、中嶋は「俺が定年になるまでに、何か変化があるといいですけどね」と、国のお役所仕事を
「あぁ、本当にもう戻らないと。それじゃ倉科さん。また時間がある時にでもゆっくりと――」
「貴重な時間を割いて貰って悪かったな。今度、お前さんに時間がある時にでも、一杯やりに行こう」
倉科がお
「――それじゃあ、また。たまには倉科さんもアンダープリズンに顔出してくださいね。なんだかんだで、彼も寂しがってるでしょうから」
そう言い残して店を去った中嶋の背中を見送ると、席に戻って肉を焼き始める倉科。
「坂田に会わなくて済むなら、それに越したことはないよなぁ。あいつと顔を合わせる時は、事件が起きた時だけだから」
独り言のように呟いた倉科は、まだ知らない。ごくごく近い将来、いつもと違った形で坂田と再会することになるとは――。
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