12

 中嶋が守衛室に身を潜めていたのは、ある種の偶然であろう。よくもまぁ、守衛達の遺体が転がっている守衛室に身を潜めていられたものだと感心さえする。いいや、それだけ中嶋は本能的に身の危険を察知していたのであろう。結果論にはなってしまうが、そこで堪えたおかげで解放軍には見つからなかったのだし、たまたまではあるが楠木と合流することもできた。そして、簡単な打ち合わせをした後、窮地を脱するために動いたのだ。


 ――楠木がアサルトライフルを奪い、そしてライオン本人は気を失っている。これまでの緊張感が少しばかり緩和されたのか、他のことに意識を回すことができるようになったらしい。開け放たれたままの守衛室のほうへと視線を移し、しかし遺体を視界に入れないようにしながら縁は口を開いた。


「あの、確か守衛室で出入口の鉄扉の開閉ができるんですよね?」


 口にしてみると当たり前のことなのだろうが、しかし今の縁からすれば大発見だった。鉄扉を開けることができるのであれば、エレベーターホールに出ることができる。エレベーターホールに出ることができるということは、すなわち外に出て助けを呼ぶことができるということである。


「あぁ、こいつで助けを呼びに行くことができる。ちょっと待っていてくれ」


「いや、楠木さん――。その前にこいつを何とかしませんかねぇ?」


 縁の言葉を受けて、真っ先に守衛室へと向かおうとした楠木を、中嶋が呼び止める。気を失っているとはいえ、ライオンがいつ目を覚ますか分からない。武器を奪ったことで立場は逆転しているが、ずっと中嶋が抱えているわけにもいかないだろう。


「あぁ、そうだな。さて、どうするかな――」


 楠木は辺りをキョロキョロと見回す。そして、続けて縁のほうへと視線を持ってきた。


「手錠を携帯していないか? 0.5係は曲がりなりにも刑事の端くれだろう?」


 その口調が皮肉めいていることに引っかかりを覚えつつ、縁は首を横に振った。特に私服警官は、普段より何の用もないのに手錠を持ち歩いたりはしない。携帯するのは、犯人を逮捕に向かう際や、必要であろうことが分かっている時のみだ。ちなみに、どうしても手錠で犯人を拘束しなければならないという規則もないため、ベテランになると持ち歩かない者さえいるという。ゆえに、最近はルーティンワークをこなすだけだった縁は手錠を携帯していなかった。


「楠木さん、ドラマと実際の刑事というのは別物なんですよ。手錠も携帯していなければ、拳銃や警棒だって不用意には持ち歩かない。私服の刑事ならなおさらです」


 中嶋が助け舟を出すと、楠木は小さく肩をすくめて溜め息を漏らした。こんな状況ではあるが、0.5係に対しての風当たりは強いままのようだ。なんとなくだが、楠木から冷やかな視線を送られたような気がする。一方的に作られた溝なのだが、楠木との間にある溝は、簡単には埋まらないのであろう。


「楠木さん、こいつで代用しましょう。そこに通っている配管に拘束しておけば、そう簡単には動けないでしょうから」


 中嶋の視線の先には、上から下へと向かって、壁沿いに伸びている配管があった。本来ならば壁の中に埋め込むようなものだろうが、アンダープリズンには割りかし剥き出しの配管というものが散見される。そこにライオンを縛り付けてしまおうということか。


「――そうするか」


 楠木も手伝い、配管の近くまでライオンの体を運ぶと、配管を挟むようにして後ろ手を回し、ベルトでぐるぐる巻きにする。配管ごとライオンを拘束してやった形だ。こうしておけば、仮にライオンが目を覚ましても、後ろ手に縛られているため簡単に拘束から抜けることができない。動こうにもベルトが配管に引っかかるため、身動きもとれない。即席でやったにしては充分な拘束手段だといえよう。


「よし、これでいいでしょう」


 とにもかくにも、解放軍の脅威から脱した縁達。後はアンダープリズンと外界をへだてる鉄扉を開け、外に助けを求めればいい。食堂が占拠された時はどうなることかと思ったが、どうやら事件は収束に向けて動き出したようだ。食堂に残されている人達も無事に救出されることだろう。いや、そうであって欲しいと願いたい。


「じゃあ、外に助けを呼びに行こう。今、出入り口の鉄扉の状態を確認する。少し待っててくれ」


 楠木はアサルトライフルを中嶋へと預ける。思っていた以上に重たかったのであろう。取り落としそうになりながらも中嶋はそれを抱え、恐る恐ると構えてみる。ぽつりと「こんな物騒なもの、扱ったことがありませんがねぇ」と漏らしつつ――。


 楠木は守衛室に入ると、縁の位置から見えるパソコンのディスプレイらしきものと睨めっこを始める。キーボードを叩く音だけが辺りに響いた。


「さて、山本さん。もう少し詳しい事情を教えて貰えませんか? 楠木さんからは本当に要点しか教えて貰っていませんので」


 誰もいない廊下に銃口を向けながら、構える格好だけはもっともらしい中嶋。縁は事の次第を中嶋へと伝える。食堂が占拠されてしまったこと。相手はざっと数えても十数人以上は下らないこと。すでに何人もの人が殺害され、解放軍とやらは坂田の解放を要求していること――。思いつく限りのことは全て伝えた。解放軍が共通して動物の被り物をしていることも、ついでに伝えておいた。まぁ、レジスタンスリーダーの被り物だって、大きな括りでは動物と定義できるわけであるし。


「……なるほど。坂田の解放ですか。多くの仲間が失われたというのは、正直なところ自分の目で見てみないことには実感が湧きませんが、守衛室を見る限りじゃ現実なんでしょうねぇ。でも、外に助けを呼ぶことさえできれば、全てが解決する。こうして、早い段階で助けを呼べるのは不幸中の幸いでしたね」


 起こったことが非現実的すぎて、中嶋の中で消化しきれないのだろう。まるで他人事のように言う中嶋の様子は、冷静のように見えて憔悴しょうすいしているようにも見える。現状を見つめるのが精一杯で、内心では整理が追いついていないようだ。


 助けさえ呼ぶことができれば、事態はなんとでもなるだろう。もちろん、これ以上の犠牲は出ないという保証はないし、事態が悪化しないと決まったわけでもない。けれども、解放軍に対抗し得る戦力がアンダープリズンに流れ込んでくることだけは間違いない。当たり前のことだが、今よりも状況が好転する可能性は高い。


 ――楠木がキーボードを叩く音だけが、相変わらず辺りに響いていたが、それが次第に強く大きくなる。しまいには「くそっ!」と、楠木が声を上げた。


「楠木さん、どうしたんですか?」


 廊下の向こうを見据えながら中嶋が問うと、明らかに苛立った楠木の口調が返ってきた。


「鉄扉を開けるためには、その都度パスワードを入力する必要があるんだが、どういうわけだかいつも使っているパスワードが弾かれるんだ。どうやら、変更されてるらしい。鉄扉にはロックがかかっている状態だし、これじゃ外に助けを呼びに行けないぞ」


 その言葉に、さあっと血の気が引いた。これで助けが呼べるとばかり思っていたから、なおさらなのであろう。期待をしてしまった分、その絶望というものは大きい。


「ですが、俺が来た時はあっさり開きましたよ。面倒な手順も全部省略で」


 中嶋がここを訪れた時は、やり取りもなしに鉄扉が開いた。しかし、今の楠木の反応から察するに、鉄扉を開けることさえできなくなっているようだ。


「恐らくだが、自動開閉仕様に設定されていたのだろうな。察するに、あれだけの数の解放軍を受け入れる際に、手動での操作から自動に切り替えられ、俺達が弄れないようにパスワードも変更されたのだろう。あぁ、自動開閉仕様ってのは、いわゆる自動ドアみたいなもんだ。センサーで人を感知して、認証なしに出入りできるようにする仕様だよ。アンダープリズンの職員が一斉に交代する時も、目視で確認するだけで詳細な認証を行わないだろう? あの時も自動開閉仕様でやってるんだよ。いちいち一人ずつ認証してたら時間がかかるからな」

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