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 さて、話しかけたはいいが、どこからどう切り出すべきか。ダイレクトに事件のことを話すのは不自然であるから、何か上手いことを言って取り次いで貰うことを優先したいのだが――。


「ちょっと聞きたいんっすけど、この子達に見覚えはないっすか? ここの生徒だったらしいんすけど」


 偶然ともいえるチャンスを無駄にしまいと、慎重に事を運ぼうと思案する縁をさて置き、尾崎はポケットからコピー用紙らしきものを取り出した。ちらりと見えたそれは、どうやら犠牲者の顔写真を並べてコピーしたものであるようだった。こちらが慎重なスタンスを見せているのに、尾崎の余計な行動力が全てを台無しにしてくれた。こんな感じで、遠慮なく被害者遺族のところにも踏み込んだのであろう。溜め息しか出ない。


「いや、見覚えはないですねぇ。僕が受け持っている授業は、人手が足りない時に入る授業がほとんどですから。生徒の顔なんていちいち覚えていないんですよねぇ」


 尾崎はその言葉に「そうっすかぁ」と呟き、大きく落胆する。それはもう分かりやすいくらい、がっくりと肩を落とした。現実はそんなに甘くないわけであるし、推理小説のように都合よく被害者のことを知っている人間と遭遇したりもしない。勇み足もいいところである。


「――もし良かったら、他の講師の方にも聞いてみますか? あれだったらご案内しますよ」


 しかしながら、あまりにもダイレクトすぎる尾崎のやり方が、またしても功を奏してしまったらしい。やり方は褒められたものではないが、怪我の巧妙というべきか、結果オーライというべきか。そのような運を尾崎は持ち合わせているのかもしれない。甘いマスクの男は、その表情に笑顔を浮かべたまま、ちらりとエレベーターのほうへと視線を移した。


「いいんですか? だったら是非ともお願いします」


 縁は尾崎が口を開くより先に、その男に対して懇願した。事情もろくに話していないのに、塾の人間に取り次いでくれるなんてありがたい。むしろ理想の展開とも言える。


「えぇ、それくらい構いませんよ。じゃあ、一緒に行きましょう」


 たまたま会った男が柔和な感じであり、またアルバイトであるというのも一役買ったのかもしれない。もっと塾の根幹に関わる人間ならば、警戒して門前払いなんてこともあっただろうに。


 甘いマスクの男を先頭にして、三人でエレベーターに乗る。あっという間にエレベーターは到着し、三人はひっそりと静まり返った廊下に降り立った。


「あ、こっちです――。ここは原則私語厳禁になりますので、お静かに」


 甘いマスクの男は人差し指を立てて、二人へと注意を促す。仕草ひとつ取っても二枚目である。むろん、これから話を聞かせていただく以上、ここのルールを破るのは得策ではない。尾崎にいたっては足音すら立てないように歩き出す始末だ。それはやりすぎのような気もするが。


「ここに他の講師の方がいますので――」


 甘いマスクの男はしばらく歩いた先にあった扉の前で立ち止まり、颯爽さっそうと扉のほうへと手を差し出した。仕草ひとつ取っても――以下略。


「ありがとうございます」


「それじゃあ僕はこれで。ちょっと急ぎの用事がありますので」


 てっきり一緒に中に入って話を取り次いでくれるのかとばかり思っていたのだが、どうやら彼の案内はここまでのようらしい。案内して貰う立場であるため文句は言えないが、せめて中に声をかけるくらいのところまではやって欲しかったのだが。


「ご協力、感謝するっす」


 エレベーターに向かってきびすを返した彼に向かって、尾崎が頭を下げた。すると彼は振り返って「いえ、いち市民として当然のことをしたまでです」と、笑顔を見せた。エレベーターが到着し、もう一度頭を下げた男がエレベーターに乗り込んだ。しんと静まり返った廊下に、尾崎と縁は取り残される。関係者がいなくなった途端、急に疎外感のようなものに襲われる。


 尾崎と縁は顔を見合わせ、そして尾崎が小さく頷くと、扉をノックした。扉にはプレートが貼り付けられており【事務室】と書いてあった。


「はい、どうぞー」


 中から男のくぐもった声が返ってきて、二人はもう一度アイコンタクトを交わしてから、今度は縁が扉に手をかけた。扉の先にはいかにも事務室といった具合の光景が広がっており、幾つも並べられた机のひとつに、がたいの良い男が腰をかけて仕事をしているようだった。学校時代の体育の教師を連想させる風体だ。


「あの、突然で申し訳ありません。少しお話を伺いたいことがありましてお邪魔させて頂きました」


 頭を下げる縁。尾崎もつられてか頭を下げる。


「――あの、どちら様ですか?」


 どう見ても講師とは思えない男が立ち上がり、尾崎と縁のほうへとやってきた。その言葉には警戒心のようなものが含まれているような気がした。まぁ、塾の関係者でもない人間が、アポイントメントすら取らずにやってくれば、当たり前の反応なのであろうが。


「えっと、自分はこういう者っす」


 尾崎は得意げになって警察手帳を取り出した。その光景に様々な意味で溜め息をついてしまう縁。昔より規制は緩くなったおかげで問題はないのだが、よくもプライベートでも警察手帳を持ち歩けたものだ。ある意味で尊敬すらする。


 かつて、警察手帳は勤務時間以外の所持を許されていなかった。しかし、時代が進むにつれ、非番時でも警察の身分証明ができるようにと、所持の自由化が許可された。それでも、紛失してしまえばとんでもないことになるため、非番時に所持している刑事は実に少ない。規則上は問題ないのだが、それでも非番時に警察手帳を持っている辺りが尾崎の強さなのかもしれない。もっとも、塾に聞き込みにくることは前々から分かっていたのだから、今日くらいは縁も警察手帳を所持するべきだったのかもしれないが。


「――警察の方ですか? と、とにかく中へどうぞ」


 警察手帳を見ただけで察してくれた様子の男は、二人を中へと招き入れてくれた。事務室の隅っこにはパーテーションで仕切られた簡易式の応接室があり、そこへと通される。


「お茶を淹れてきますので、少々お待ちください」


 がっしりとした体格に、失礼ながら強面こわもての男ではあるが、その外見とは違い、随分と腰の低い態度で接してくる。一般常識を兼ね備えている人間ならば、警察相手に萎縮いしゅくしてしまうのは当たり前なのかもしれないが。


 応接室のソファーに腰をかける。テーブルの上に置いてあった茶菓子に手を伸ばそうとする尾崎を牽制しつつ、待つことしばらく。男は戻ってくると、二人の前にお茶を出し、そして対面へと座る。


「申し訳ないのですが、今の時間帯は当番の私くらいしか出勤しておりません。私は別に偉いわけでもなんでもありませんが、それでも構わないのであれば、お話を伺いますよ」


 がたいの良い男はそう言うと、名刺を二人の前に差し出した。


 ――安堂雅也あんどうまさや


「捜査一課の山本です。こちらは、同じく捜査一課の尾崎と言います」


 受け取った名刺を手元に置くと、縁は自分達の身分を明かす。安堂は自分のお茶を急須きゅうすから注ぐと、茶菓子の入った盆へと手を差し出す。


「あぁ、お口に合うかどうか分かりませんが、よろしかったらどうぞ」


 安堂の言葉に早速といった具合で手を伸ばす尾崎。思わず手を引っ叩いてやりたくなったが、そこはぐっと我慢する。曲がりなりにも警察という身分でやってきている以上、一般人の前でコントのようなものは見せたくない。


「――それで、警察の方がなんの御用でしょうか?」


 お茶をすすった安堂が、少しばかり不安そうな表情を見せつつ問うてきた。


「今、この巷を騒がせている殺人蜂の事件はご存知ですか? その件についてお話を伺いたいのですが」


 お茶に手を伸ばしながら、縁は本題を切り出す。すると、安堂は表情を曇らせて溜め息を漏らした。


「あぁ、やっぱりその件でしたか。いえね、うちの講師の間でも話題になっていたんです。殺された女子高生が、全員うちの生徒なのは気味が悪いって――」

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