事例3 正面突破の解放軍【事件編】1

【1】


 ここのチャイムは基本的に三種類存在する。ひとつは朝の始業点検のチャイム。学校生活を彷彿とさせるような無機質なものであり、ただでさえじっとりとしている地下での朝を、もっとじっとりと暗いものにしているような気がする。もっとも、これで朝のチャイムがサンバなどの明るいメロディーだったら、それはそれで馬鹿にされているような気がして腹立たしいのだろうが。とにかく、これがアンダープリズンに鳴り響くのは午前八時半と決まっている。


 朝の始業点検のチャイムが終わると、次にチャイムが鳴るのは正午となる。アンダープリズンという特殊な環境ではあるが、しっかりと昼食の時間は設けられており、外の世界と全く同じように休憩時間が与えられる。ただ、朝の始業点検とは打って変わり【エーデルワイス】という歌のメロディーが流れることになっている。昼休みの始まりである正午と、終わりである午後一時。両者とも流れるのはエーデルワイスだ。地下に鳴り響くエーデルワイスはやや不気味であるが、しかし解放感があるように感じられるのは、やはり食べることが人の本能として組み込まれているからなのであろう。


 そして最後に終業点検時のチャイム。これが鳴るのは午後五時半。基本的に0.5係は事件がない限り究極に暇であるため、普段はこのチャイム待ちである。使用されている曲は、どういうわけだか【蛍の光】だ。


 始業点検のチャイムだけごくごく普通のチャイムを使っているにも関わらず、昼と終業時のチャイムはメロディーを使っているという統一感のなさや、その選曲センスには脱帽ものである。システム構築が間に合っていないのと同様、どこか適当な感じが否めない。挙げ句の果てに、チャイムがあるから充分であろうと、アンダープリズンには時計の設置がされていないというから驚きだ。国のやっつけ仕事ぶりが半端ではない。


 中嶋に聞いた話だと、チャイムを制御する装置そのものも使い勝手が悪いとか。装置そのものは刑務官の詰め所だかにあって、そこに設定するだけで指定した時間にチャイムが流れるのだとか。ここまでは良いのだが、チャイムを別のメロディに変更するには、容量の都合でデータを全て上書きしなければならないという面倒な仕様らしい。しかも、チャイムの時間設定を変更するにも、いちいちデータを全部書き換えなければならないそうだ。これもまた中途半端な仕様のものを導入したようだ。


 今日も今日とて朝から地下に潜り、特に仕事もないままに虚無な時間を過ごしている。それだけ平和で結構なことであるが、悟りの境地に達するには、まだまだ慣れが必要のようだ。もっとも、暇だからどこかで事件が起きてくれないか――なんて坂田みたいな発想にはならないが。


 尾崎と二人で、名前ばかりの部屋を与えられ、朝から晩までやることもなく過ごす。今日もきっと、そうして一日が終わって行くのだ。思わず縁が溜め息を漏らしそうになってしまうと同時にエーデルワイスのメロディーが鳴り響いた。


「あー、やっと昼っす。飯っす、飯」


 椅子に座ったまま大きく背伸びをする尾崎。これでようやく折り返し地点。昼休みが終われば、また無意味な時間潰しが待っているのだが、やはり昼休憩というものは砂漠の中で見つけたオアシスのようなもの。漏らそうとしていた溜め息も、少しばかり前向きなものになった。


 ここを訪れる際は、基本的に坂田のところにしか用のなかった縁達であったが、ここに駐在するようになって、良くも悪くも行動範囲が広がっていた。もっとも、あくまでもアンダープリズンの内部での話になるのだが。


 まず、アンダープリズンに入ってすぐ。すなわち、アンダープリズンとしては最も地表に近い地下一階部分は、刑務官達の詰め所及び事務室などがある。ちなみに、元の設計は刑務所であるため、コンクリートにベニヤ板を打ち付けて仕切られたような部屋ばかり。機密ばかりが邪魔をして、本格的に工事などは入れられないのが実情だったりするのだとか。そんな貧相な部屋を何部屋かに分けて使っているらしいが、奥のほうに行くと空き部屋だらけだそうだ。いかにここが無計画の結晶なのかが分かる。


 次に地下二階。アンダープリズンから一階分降りた先には、住居スペースが広がっている。元よりここは刑務官が泊まり込みの交代制で勤務することが前提となっていたらしく、地下二階の部分は最初から住居スペースとして作られており、地下一階の質素さとは違って、しっかりとした作りになっている。刑務官に与えられる個室をはじめ、簡単な軽食が自動販売機で購入できる休憩スペースや、はたまた娯楽室、大浴場に食堂などがある。ちなみに坂田の食事を筆頭に、アンダープリズンの刑務官達の食事は、しっかりと専属の栄養士がいて、朝昼晩と食堂で作ってくれるそうだ。もっとも、中途半端に部外者であり、日勤扱いの縁達は、その恩恵にあずかれないのだが。


 地下三階部分は機械室だの動力室だのがあり、アンダープリズンのシステム的な面を補っている。ただ、縁にはまったくもって無縁の場所であるため、実際にどのようになっているのかは知らない。自分達の仕事場がある地下四階に降りる際に素通りするだけだ。この辺りも専門のエンジニアが駐在する形になっているらしい。ここが仕事場になるまでは、刑務官は刑務官で一括りにしていたのであるが、どうやら全てが全て刑務官だというわけではないらしい。


 当初は地下刑務所として計画が進んできたアンダープリズン。その敷地は思ったよりも広大で、そして縁が知らないこともまだまだ多い。ただ、ここに来てから大きく変わったことがひとつだけあった。


「やっほー! ゆかりん、ご飯行こうー。ご飯」


 チャイムが鳴り終わるか否かのタイミングで、ノックもなく扉が勢い良く開き、作業着を着た小柄な女性が、片手を挙げながら顔を出した。


 少しばかり茶に染まった髪は肩くらいまでの長さであり、毎度のごとくカチューシャをつけている。俗に言う童顔というやつで、ぱっと見た限りは高校生くらいに見えるのであるが、実際には縁より歳上で20代後半だとか――。


「今日も元気ですね。新田さん」


 突然0.5係を訪ねてきた彼女の名前は新田桜にったさくら。その風体からは想像できないが、このアンダープリズンに駐在するエンジニアである。刑務官ではない。


「うん。こんなジメーッとしているところにいるからさ、せめて気持ちだけでも前向きじゃないと、無駄に落ち込んじゃうんだよね!」


 桜は大きく頷くと、納得の一言を吐き出す。日勤という形の縁でさえ、ここの雰囲気には気が滅入るというのに、彼女の場合は泊まり込みで仕事をしているのだ。しかも、アンダープリズンのシステム的な部分を任されているのだから、その責任も大きいだろう。何人かのエンジニア達と持ち回りで仕事を回しているらしいが、それでも数ヶ月間も外に出ることもなく、この地下空間で暮らしていることには恐れ入る。そんな桜は尾崎のほうを見て、これまた大げさに手を挙げて挨拶。


「よっ、チョンマゲ君! 今日も絶好調?」


 尾崎に対するチョンマゲというあだ名。言うまでもなく名付けたのは坂田なのであるが、どういうわけだかアンダープリズン内で浸透してしまっている。桜だけではなく、刑務官の中にも尾崎のことをチョンマゲと呼ぶ者は多い。


「――えぇ、チョンマゲは今日も元気っすよ」


 最初こそ訂正をしていた尾崎であるが、今はなかば諦めてしまったのか、それについて触れたりはせず、受け入れているような節がある。ちなみに縁のことを【ゆかりん】と独特な呼び方をするのは桜だけだ。まぁ、なんだか学生時代に戻ったようで悪い気はしないのだが。


 ――ここを仕事場としてから訪れた大きな変化。それは、このアンダープリズンの人間と、多少なりとも交流をするようになったこと。相変わらず名前も分からなければ、喋ったことすらない者だっているが、こうして桜のように比較的親しくなった人間もいる。立場は違えども、アンダープリズンという特殊な環境下で働く者同士。特に女性の数が少ないものだから、桜と縁が親しくなるのは当然だったのかもしれない。


「元気があってよろしい。ほら、チョンマゲ君も一緒にご飯行くよ。ご飯」


 他にも会えば言葉を交わす程度にはなった者もいるが、こうして昼食時にわざわざやってきて、ランチに誘ってくるのは桜くらいだ。後、中嶋も気まぐれに顔を出したりはするが、他の人達は上手い具合に一線を引いているという感じだった。


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