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倉科は舌打ちをすると、財布を取り出してカード入れを探る。そこに認可証が入っていないことに気付いて血の気が引いたが、すぐに免許証のケースの中に仕舞っておいたことを思い出して溜め息を漏らす。
神座特殊拘置所入所認可証――。まるで早口言葉を並べ立てようなことが書いてある認可証を取り出し、それをインターフォンのカメラに向かって突き付けてやった。ここに入るためには、法務大臣の認可が必要となる。表向きには公表されておらず、アンダーグラウンドとして扱われている場所であるため、そのチェックも厳しい訳だ。上で網膜認証までしているというのに、やはり最終確認は人によって行われなければ駄目なのであろうか。
『確認しました。本人確認のため、身分を証明できるものを――』
認可証には、倉科の顔写真と名前も記されている。それなのに関わらず、他にも身分証明証を提示しろと来たものだ。いつもならば、仕方なく従うのだが、今日ばかりは複雑な手順を踏まねばならない仕組みに苛立ちを隠せなかった。こういう時に限って、ケースから免許証が中々取り出せなかったりするものだ。
「あのなぁ、今日は急いでるんだがなぁ。こうしている今も、連続通り魔殺人鬼が次の犠牲者を狙っているかもしれないのに」
文句を言いながら、ようやく免許証をケースから取り出す。インターフォンの向こうでは『決まりですから』の一点張りだ。お役所仕事はお役所だけにして欲しいものである。
「ほら、これでいいだろう?」
認可証の代わりに免許証を突きつけると、ようやく『確認が取れました。どうぞ』とインターフォン越しから返ってくる。そして、どう見ても扉には見えない鉄の塊が、音を立てながらゆっくりと開いた。その先に見える景色もまた、コンクリートに囲まれた空間だった。
「ご苦労様です!」
扉の向こうには刑務官の二人が立っており、倉科が中へと足を踏み入れると、無表情で声を張り上げた。その腰には警棒と拳銃。刑務官にしては物騒な装備であるが、場所が特殊であるがゆえに仕方がないのだろう。
「この複雑な手続き、どうにかならんのか?」
刑務官の男に文句を言ってみるが、やはり返ってくるのは「決まりですので」の言葉のみ。融通のきかない対応に、とうとう腹が立ってきた。
「まぁいい。例の事件に関して、奴に意見を聞きに来た。案内してくれ」
刑務官の男に言うと、細長い廊下の途中にある扉が開き、中から別の男が顔を出した。その扉の向こうは監視室であり、地上の映像から内部の映像までが網羅されていることを倉科は知っている。
「倉科さん。ここからは俺が案内しますよ。いつも面倒をかけさせてすいませんね。でも、決まりなんで。国によって定められた決まりですから」
その男とは、ここの面子の中では親しくさせて貰っている。一応、機密の施設であるがゆえに、ここで働く人間も基本的に機密を厳守しなければならない立場だ。よって、たまにここへと訪れる倉科にも、必要最低限の接し方しかしない。だが、この男――
「お国のお偉さん方も、どうしてこう堅苦しいことしか考えられんのかなぁ。お前からも上の連中に言ってやってくれ。機密、機密、機密で頭が痛くなる」
中嶋と並んで歩きながら倉科は愚痴をこぼす。コンクリート剥き出しの廊下には、倉科の愚痴ですらやけに響いた。
「国のお偉さんがここを機密にしたがる気持ちは分からなくないですけどねぇ。土地がないからって地下に広大な刑務所を作ろうとしたはいいものの、予算が大幅にオーバーした上に政権交代が起きたせいで
中嶋が声をひそめて呟いた。やはり地下深くでの勤務と、機密を扱う仕事にストレスが溜まっているらしい。むしろ、他の人間はよく愚痴すら漏らさずに勤務しているものだ。
「それに、これだけの人員を配置しておきながら、拘置所に入っているのは、たった一人ですから。正直、税金の無駄遣いですよ。まぁ、働いている分には給料もいいし、文句は言えませんけどね」
愚痴や不満はあるものの、やはり世の中は金だ。中嶋がここに居続けるのも、やはり金なのであろう。それに、特殊な仕事であるがゆえに退職後の待遇もかなりいいとか――。汗水たらして危険と向き合っている倉科からすれば馬鹿馬鹿しい話だ。
ここ、新座特殊拘置所は、かつての刑務所不足問題に国が対応すべく、地下に刑務所を建設しようとしたゆえの残骸である。予算が大幅にオーバーしたのに加え、当時はそこまで栄えていなかった場所が、歓楽街として急成長してしまったがゆえに、建設の半ばで頓挫してしまったものだ。二大政党の政権交代がとどめとなったのかもしれない。ゆえに、どこもコンクリート剥き出しの
莫大な投資をしてしまったがゆえに後に引けなくなった推進派の政治家達は、そこを刑務所ではなく拘置所として使用することを提案。これは、凶悪犯罪が多発していた頃に、政権を越えたごく一部の政治家の間で立ち上げられていた非常識かつ信じられない政策に無理矢理組み込むためだったそうだ。いまさらではあるが、先生と呼ばれる政治家達の発想には、狂気じみたものを感じる。
「それにしても、ここに倉科さんが来たってことは、やっぱり例の事件ですか? 巷を騒がせている
「殺人蜂なんて、マスコミが勝手につけた通り名だ。そんな格好のいいものじゃない。頭のおかしい連続通り魔さ。というか、事前にそう連絡したはずだがな」
苦笑いを浮かべた中嶋に案内され、何枚かの扉をくぐり、階段を何本か降り、また何枚かの扉をくぐる。幾ら最重要機密であろうとも、まるで臭いものに蓋をするかのごとく、こんな地中深くに彼を監禁しなくてもいいものを。
機密、機密、機密、機密、機密。全てが機密に包まれている施設ではあるが、ここが全てにおいて機密であるのは、国が国民に隠すべき重要な事実があるからだ。それは、莫大な費用を投じた刑務所建造計画が頓挫したことを指すのではない。頭のおかしい非常識な政策――国家プロジェクトが、ここで実際に機能してしまっているからである。全くもって頭がおかしいと思いつつも、ここに足を運んでしまうということは、そのプロジェクトを認めてしまうことになってしまうだろうか。もっとも、損な役回りを押し付けてきたお偉さんが、全ての元凶であるが。
「まぁ、ここしばらくは随分と暇そうにしていましたから、彼も喜びますよ。外界との接点がない彼からしたら、この事件はおもちゃですから」
倉科は中嶋の言葉に溜め息をついた。中嶋に言い返す言葉がないからだ。彼はきっと倉科の来訪を心中で喜び、そして悪態をつきながらも楽しそうに歓迎するのだ。そう――新しいおもちゃを与えられた子供であるかのように。
ここは刑務所ではなく拘置所だ。そもそも機密であるはずの施設が、どうしてわざわざ名目と用途の変更を行ったのか。その答えは実にシンプル。死刑を言い渡された人間は、刑務所ではなく拘置所の死刑房に入る決まりになっているから。そして、政治家のとんでもない発想に基づき、ここには死刑が確定した死刑囚が、地の奥深くに監禁されている。
表向きには、彼は数年前に死刑が執行されたことになっている。だが、実際に刑は執行されておらず、今も機密の拘置所で生きている。そう、刑務所の名残から【アンダープリズン】と呼ばれるここで、まだ彼は生きているのだ。政治家の先生方の、毒には毒をもって制すという、酔狂な考え方があったがゆえに。
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