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国のごちゃごちゃした問題はさておき、ここが秘密裏の施設に指定されているのは、実にシンプルな理由だと考えていい。――このアンダープリズンには、死刑判決を受けていながら、国の意向により生かされている殺人鬼がいる。ここはその殺人鬼を閉じ込めておくための施設であると言っても過言ではない。政治家の先生達は神にでもなったつもりなのだろうか。
彼はきっと、今後も刑を執行されることはないだろう。世間体を考えて、すでに刑が執行されていることになっているのだから――。そして、倉科が会いに来たのもまた、その掟破りの殺人鬼なのである。
「おもちゃでもなんでも構わんが、ちゃんと協力してくれるかが問題だな。まったく……警察が殺人鬼の力を借りなきゃ事件を解決できないなんぞ、情けなくて涙が出てくる」
「まぁ、彼一人のために、こんな大掛かりな体勢でここを管理していますから、それなりの成果は見せてくれるんじゃないですか?」
あの男と直接的な関与がないから、中嶋はのんきなことが言えるのだ。実際に会うことになる倉科は、やはり気が重たくて仕方がなかった。あんな
「それにしてもマスコミでも連日取り上げられていますよね。殺人蜂――。まぁ、あれだけ異常性の強い事件が立て続けに起きたとなれば、マスコミにとっても良い飯の種なんでしょうが」
自分が無責任なことを言ってしまい、倉科が少しばかり機嫌を損ねたのに気付いたのであろう。中嶋は少し手前の話題へと話を戻した。
「狙われるのは未成年の少女。凶器は千枚通しやアイスピックなどの先端の尖ったものだと思われる。事件発生時刻はまちまちだが、背中から滅多刺しだよ、滅多刺し。今のところ被害者に共通点も見つかっていない。目撃証言もないし、これといった証拠もない。常識人しかいない捜査本部は、正直行き詰まっているわけだ」
中嶋の思惑に乗ってやるみたいで面白くはないが、ただでさえこれから大きなストレスを抱えるというのに、余計なストレスを抱えたくない。自分自身で整理するためにも、事件のことを振り返るのも悪くない。
「目には目を、歯に歯を、殺人鬼には殺人鬼を――。日本のお偉いさん方もクレイジーなことを考えますよね」
「……俺らも同類さ。そのクレイジーな考えに仕事として従事してるお前も、事件との橋渡しをしなきゃならない俺もな」
全くもって狂った話だ。それは誰よりも、この機密に関わっている人間が知っている。みんな、心のどこかではおかしいと思いながらも、この施設の職員として従事していることであろう。事実、倉科自身が自分をごまかしてここへとやって来ているのだから……。ただ、タチが悪いと思うのは、それなりの結果が出てしまっていることだ。これで結果が出ていなければ、政治家の先生達も馬鹿げた考えを改めてくれるかもしれないのに。
「さて、倉科さん。分かっているとは思いますけど、ここからはお一人でどうぞ。彼との接見許可は俺達ですら下りていませんからね。それこそ、配膳の時でさえ面倒な手続きを踏むんですから」
中嶋と話をしている内に、倉科達は一枚目の鉄格子の前へとたどり着いていた。鉄格子の向こう側は細長い廊下になっており、数メートル間隔で鉄格子が何重にも設けられている。ここは電子キーで管理されており、倉科の持つ認可証で開錠することができる。
「こんな機密に関わっていながら、あいつに接見できないとか生き殺しもいいとこだな。
「まぁ、その代わり24時間体制で監視はしていますから。殺人鬼観察日記くらいならつけられますよ」
冗談なのであろうが、中嶋が笑みを含みながら言った言葉に、倉科はつくづく痛感した。まともな神経では、こんな機密には付き合えない――。
「本にして出したら売れるかもな。ちょっと前に出た猟奇殺人鬼の自伝が馬鹿売れするような世の中だからな」
果たして何が狂っているのか。それは倉科にも分からない。世の中が狂ってしまったのか、それとも人間という生き物自体が、進化の過程を経て狂い始めているのか。それとも、元より狂ってはいたものの、それに気付けなかっただけなのか。なんにせよ、いつの時代だって世の中は物騒だと言われ続け、それはこの先もずっと続くのであろう。犯罪者がどれだけ逮捕されても、世の中は平和にならない。こうしている今も、新たなる犯罪者が産み落とされているのだから。
「確かに、馬鹿売れして印税生活ってのも悪くないかもしれませんね。まぁ、そんな夢物語はそこそこにして、俺はここで待機しています。万が一のことがあった時は守衛の方々も駆け付けてくれますが、何事も起きないのがベストですからね。くれぐれも、彼を刺激しないように」
中嶋はそう言うと、ホルスターの拳銃を引き抜いて倉科のほうへと差し出してきた。
「これも恒例になってますけど、中にはゴム製の模擬弾が詰めてあります。多少の怪我をする程度で済むことが大半ですけど、至近距離で撃った時に当たりどころが悪ければ死にますからね――。彼を殺してしまうことは、国家を揺るがしかねません。俺達の責任問題にもなりますから、くれぐれも気をつけて」
中嶋が差し出したのは旧式のリボルバー。シリンダーには青色のゴムで作られた模擬弾が入っている。それを受け取ると、倉科は滅多に拳銃を仕舞うことのない形ばかりのホルスターに、それを仕舞った。
刑事ドラマなどの影響のせいで、刑事は常に拳銃を所持しているというイメージが強いだろうが、実のところそんなことはない。むしろ、刑事という立場の人間は、拳銃を所持していない現場のほうが多い。
制服警官は、交番勤務などで人の目に付きやすい場所で勤務することになるがゆえに、見せる警備として拳銃や警棒を常に装備している。普通の仕事に例えると営業の外回りのような仕事であるがゆえに、身なりもそれなりにしておかねばならないわけだ。一方、刑事を同じように例えるのであれば、内勤の事務員のようなもの。表立って動くことはないため、拳銃の所持もする必要がない。所持するのは、それが必要と思われる現場――多少なりとも危険性のある現場に向かう時だけである。
ちなみに、ドラマなどでは刑事が上で、制服警官が下という妙な立場関係が描かれているが、それだって全くの嘘だ。警察は縦社会であり、階級社会だ。よって、制服警官の中には刑事より階級が上の人も多い。この場合、偉いのは当然ながら階級が上のほうということになる。もっとも、制服警官は新米が多いがゆえに、そのような描写がなされているのかもしれないだが。
「使わないで済むのなら、それが一番いい。問題は素直に彼が俺の話を聞いてくれるかだな」
模擬弾が詰められているとはいえ、久方ぶりの拳銃の重みに、身が引き締まる思いだ。倉科は無意識にネクタイを締め直した。
「そこは倉科さんの交渉術次第ですね。あ、ちなみに頼まれていた書類一式は、独房の入り口に届けてありますので。もちろん検閲済みですから、手土産に持って行ってやって下さい」
ここへと持ち込む書類関係は、その性質上、一度検閲にかけられねばならない。機密の漏えいを防止するためという名目はあるものの、彼に必要最低限以上の余計な情報を与えないことが主たる目的なのであろう。ここまでするなら、いっそのこと彼との接見も、上のお偉さんがするべきだ。検閲をするということは、現場の人間――彼と接見する倉科を信頼していないことになるのだから。
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