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 橋場のリアクションに、尾崎は調子付いて「サイン欲しいっすか?」と、まるで有名人であるかのように得意気な表情を見せる。すると橋場は興奮冷めやらぬといった具合で、しかしきっぱりと「いらない」と答えた。彼が憧れを抱いているのは警察であって、尾崎ではないということか。


「あの――警察の人がなんの用ですか?」


 橋場と尾崎のやり取りに、どこか冷めた視線を送っていた広瀬が、縁へと問うてきた。恐らく、尾崎より縁のほうが話が通じると思ったのであろう。童顔の彼が向けてくる鋭い視線は、どこか不気味に映った。


「ちょっと話を聞きたいことがあって。田野雪乃さん――知ってるよね?」


 第一の犠牲者の名前を出した途端、ただでさえどこか警戒を見せていた広瀬の態度が、さらに悪化した。明らかに不機嫌になり、ただでさて鋭い視線がさらに研ぎ澄まされる。


「知っているからなんだって言うんですか?」


 縁と広瀬のやり取りに、さっきまでやいのやいのと騒いでいた尾崎達も静かになった。その視線は縁と同じく広瀬へと向けられていた。


「私達ね、殺人蜂の事件を調べているの。それで、田野雪乃さんの身近にいた貴方なら、何か知っているんじゃないかって思ってね。橋場君から聞いた話だと、田野雪乃さんと交際をしていたみたいだし」


 縁が核心に触れると、広瀬の鋭い視線が橋場へと向けられる。――警察に余計なことを喋りやがって。目は口ほどにものを言う……なんて言われているが、まさしく彼の視線はそのように苦言をていしているようだった。橋場が苦笑いを浮かべたのも、広瀬の視線があったからであろう。


「確かに雪乃とは付き合っていました。でも僕は何も知りません。どうして彼女が殺人蜂に殺されてしまったのか知りたいくらいです。まだ殺人蜂は捕まっていないし、犠牲者は増え続けるばかり。逆に聞きたいんですけど、警察は殺人鬼一人を相手に何をやっているんですか?」


 まさか過去に死刑になったはずの殺人鬼に意見を求めつつ、非正規の範囲で事件を調べているなんて言えない。それにしても、なんというかうまい具合に話をはぐらかされたような印象があった。


「失礼します。これから塾があるので」


 どう答えようかと言葉を選んでいると、広瀬はそう言って頭を下げ、すっと縁の脇を抜けてしまった。


「ちょっと待って! まだ話は終わって――」


 慌てて引き止めようとしたのだが、広瀬は急に走り出し、瞬く間に姿を消してしまった。


 話を聞こうとしただけなのに、妙な嫌悪感を示されてしまった。それにしたって、話の途中で無理矢理切り上げてしまう必要なんてないのに。残された尾崎と縁、そして橋場は顔を見合わせ、その気まずさをごまかすためか、橋場は「えへへ」と苦笑いを浮かべた。


「彼、いつもあんな感じなんすか?」


 尾崎が橋場に問うと、橋場は小さく頷いた。


「彼女が亡くなってからは――。殺人蜂を捕まえられない警察の文句も言っていたし、警察は無能だって言ってた。あ、でも俺は違うよ。警察の人が頑張ってるのは知ってるし、絶対に殺人蜂を捕まえてくれると思っている」


 警察への憧れからか、こちらの肩を持ってくれる橋場。それはありがたいのであるが、広瀬の本音をダイレクトに聞かされると、なんだか落ち込んでしまいそうだ。確かに、五人もの犠牲者を出してしまった警察は、無能呼ばわりされても仕方がないのかもしれないが。しかし、そこまで嫌悪している警察に、彼はどうして会う気になったのだろうか。


「そうか――。絶対に殺人蜂を捕まえる。約束する」


 縁がそう答えると、橋場は表情を明るくさせた。できない約束はしないほうがいいのだが、刑事に憧れを持っている橋場の夢を壊したくはない。まさか、これが非正規の捜査活動であるとか、実質的な捜査権がないとか、そんな余計なことは言いたくなかった。


 とにかく、広瀬本人から話を聞けないのであれば、ここにいる必要はない。橋場に礼を言うと、縁と尾崎は学校を後にした。


「――あの広瀬って生徒、怪しいっすね。塾で他のクラスの授業に出ていたのは、犠牲者に近付くためだったと考えれば筋が通るっす。そして、自分達の話をろくに聞かずに、さっさと立ち去ってしまったのはやましいことがあるから。縁のプロファイリングだと犯人は学生っすから、広瀬はぴったりと当てはまるっす」


 車に戻りながら呟いた尾崎に、縁は同意すべきか迷ってしまった。確かに、広瀬の態度は明らかにおかしかった。警察である縁達を避けているような雰囲気もあった。それはもしかして、彼自身が殺人蜂であるからなのかもしれない。塾での行為も、尾崎の言う通り犠牲者に近付くためだと考えれば筋が通ってしまう。


「倉科警部に連絡して、坂田に接見できるか聞いてみませんか? ここは坂田の意見を聞いてみたいです」


 ある程度の情報は収集できたが、一度それを整理しておきたい。できることならば、坂田も交えて整理したいところだ。殺人鬼の心理は、誰よりも殺人鬼が知っている。そちらの観点も含めて事件を見極めたい。


「でも、アンダープリズンには入るためには、特別な認可が必要っす。この前は警部が事前に認可を取り付けてくれたから入れたわけであって、急に坂田に会いたいって言っても無理なんじゃないっすか? アポイントメントは大切っす」


 ろくにアポイントメントさえとらない尾崎には言われたくなかったが、確かにその通りである。ただ、どうにも倉科は二人をアンダープリズンへと引きずり込んだことを負い目に思っている節がある。その辺りをさりげなく突っつけば、坂田との接見は難しいことではない。


「その辺りは心配無用です。何も今すぐというわけではありませんし、辞令が降りていなくとも、私達は0.5係に片足を突っ込んでいます。それに、この事件は坂田に協力をあおいでまで解決しなければならない事件です。こちらが申請さえすれば簡単に認可は降りると思います」


 確信はないのだが、すでに五人もの犠牲者を出している凶悪な事件だ。早期解決を望むのは縁や尾崎、そして倉科だけではない。認可をする法務大臣だって、事件の解決を望んでいるだろう。解決のためなら、その辺りのことは容認してくれるはずだ。


「それじゃあ、警部に連絡をとってみるっすかね」


 尾崎がスマートフォンを取り出すと、見計らったかのように縁のスマートフォンが着信を知らせた。ディスプレイを確認すると、まるでどこかで見ていたかのようにタイミング良く、倉科からの着信だった。縁は「警部からです」とだけ呟くと、その場で電話へと出る。


「あぁ、非番のところ悪いな。今、大丈夫か?」


 尾崎と一緒に事件の捜査にあたっていることは、直属の上司である倉科も知らない。むしろこれから連絡をするつもりだったなんてことは言えずに「はい、大丈夫です」とだけ返した。


「明日なんだがな。ちょっとアンダープリズンに出向こうと思っているんだ。まぁ、なんというか、坂田からそんな話があったらしい。事件の進捗状況を伝えろとさ――。本当なら俺が一人で出向くべきなんだが、どうにも坂田が山本と尾崎を連れてこいと駄々をこねてるらしくてな。もう一度、特例で認可を申請するから、悪いけど明日は朝一でアンダープリズンだと思っておいてくれ」


 なんたる偶然なのであろうか。まるで、目に見えない何者かが、一刻も早く事件を解決せよと言っているかのようだ。こちらからアプローチすることなく、あっさりと坂田と接見する機会を手に入れた。独房の中にいる彼もまた、事件のことが気になっているのであろう。もっとも、坂田の場合は時間を潰すための娯楽なのであろうが。

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