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【5】


 何もしない――できない時間が続くということは、思ったよりも精神的に厳しいものがある。ずっと銃口を向けられているというストレスもあるのだろうが、これからも延々と同じ状況が続くと思うと嫌になってくる。しかしながら、何もできないというのが現状だった。


 縁達が食堂を後にしてから、どれくらいの時間が経過しただろうか。途中でいなくなったレジスタンスリーダーは戻ってきていないし、縁達に同行したライオンも戻っていない。ずらりと一列に並んだ動物達は、ただこちらに銃口を向けているだけ。言葉を発することもなければ、微動だにすることもない。なんというか、完全なる指示待ち状態といったところだ。とりあえず、次の指示があるまで、尾崎達のことを見張っているといった具合だ。


「チョンマゲさん――。チョンマゲさん」


 ふと、流羽が口が開いた。それこそ、解放軍の動きを見ながら、ごくごく小さな声で――。返事をしてやりたいところだが、自分では音量を落としているつもりであっても、周囲からすれば充分にボリュームがあったりするものだから、下手に返事もしてやれない。アイコンタクトをして、小さく頷くに留めておいた。


「善財さん、新田さんも聞いておいて下さい。あくまでも視線は前で、わたくしの声に耳を傾けていることが悟られないように」


 流羽は続いて善財と桜にも呼びかける。彼らも大きな反応は見せないが、もちろん流羽の声は聞こえているらしく、その耳だけは流羽のほうへと向けられていた。


「先ほどから、解放軍の方々を見ていて思ったのですが――もしかして、すでにライフルの残弾がない方々が大半なのではないでしょうか? ここに来た時に盛大に発砲して、それ以降は弾を充填している様子もありません。アサルトライフルはカートリッジを交換することにより弾の充填を行いますが、それらしき動作をした人間は確認できていない。確か89式のカートリッジは20発のものと30発のものがあったはずですが、ここを占拠する際に、あれだけ乱射したのであれば、かなり残弾も厳しいものになっていることは、間違いありません」


 言われてみれば、解放軍がアサルトライフルのカートリッジを交換している姿を一度も見ていない。となると、全てが全てというわけではないが、すでに飾りと化しているアサルトライフルも中にはあるという可能性はあるだろう。命を最優先させるのであれば、このまま解放軍に従うべきであろうが、しかしこのまま従い続けたところで命が保証されているわけではない。ゆえに、流羽は冷静に状況を見つめ、突破口を探していたのであろう。


「まさか、だから一斉に飛びかかってみないか――なんて言いださないよね? 確かに、カートリッジを交換した様子はなかったし、それなりに残弾は厳しいものになっているかもしれない。でも、全くのゼロとは言い切れないし、一発だろうが十発だろうが、銃弾を受ければ死ぬ時は死ぬ。何よりも、反撃に出た時の混乱が怖い。もう少し様子を見たほうがいい」


 この状況を打破したい様子の流羽に対して、善財が諭すかのように現状維持を提案する。解放軍の様子を伺いながら、小声で会話をしなければならない状況は、変な緊張感があった。


 幸いなのは、解放軍の連中が被り物をしていることだった。そのおかげか、ちょっとした物音には気付かれにくい。少なくとも、流羽や善財の声のトーンならば大丈夫であろう。もっとも、そこに尾崎が加わるとまずいだろう。どんなに声のトーンを落としたつもりでも、なぜだか声量が出てしまっているのだから。ならば、喋らないことに徹するべき。尾崎は唇の端をつまむ真似をすると、左から右へと動かした。お口に……チャックである。


「あ、あの! ちょっといいか!」


 突然、食堂の一角から上がった声に、その場にあった幾つもの視線が集まった。尾崎達から離れた最前列のほう。もっとも出入口に近い辺りにいた男が声を上げたようだ。間違いなくアンダープリズンの職員なのであろうが、申し訳ないことに名前が出てこなかった。


 解放軍の視線もまた、男に集まっていた。しかし、ライオンやレジスタンスリーダーのように、気味の悪い声を発しようとはしない。ただ、少したじろいだような反応を見せたような気がした。


「その、トイレに行きたいんだ。ずっと我慢していたんだが、そろそろ限界みたいで――。ここで垂れ流してもいいのなら構わないんだが、できることならばトイレで用を足したい」


 そう言われると、なぜか自分もトイレに行きたくなるという不思議。この異様な緊張感のせいで忘れてしまっている人間が多いのであろうが、しかし生理反応というものは、人間の理性で抑え込むには限界がある。ここが占拠されてからどれだけ時間が経ったのか分からないが、そろそろ我慢できなくなる人が出てきても不思議ではない。


 解放軍の連中は、困ったかのように顔を見合わせるだけだった。自分達では判断できない――それこそ、誰かの指示がなければ動けない。そんな雰囲気だった。ここを占拠した時は統率の取れた動きをしていたのだが、どうやら指揮系統となる人物がいないと駄目らしい。ライオンとレジスタンスリーダーが、同時にここを離れたのは、指揮系統がなくとも、ある程度は動けると思っていたからであろう。


「あの、こっちもいいだろうか? こんな血生臭いところに長時間いるせいか、体調を崩している者がいる。抵抗をするつもりは、さらさらないが、何かしらの対処をお願いできないだろうか?」


 今度は違う場所から声が上がる。まるで、わざと合わせたかのようなタイミングだ。どこから声が上がったのかまでは分からないが、こんな非日常の空間にいて、体調に変調をきたさないほうがおかしいのかもしれない。


 一方からはトイレの申し出、もう一方からは環境に対する苦言。残された解放軍達は困ったように顔を見合わせるだけで、誰も声を発しようとはしない。


 トイレに行きたいと申し出た職員が、そんな解放軍の姿を見て、いきなり地面を蹴った。すると、その周囲の人間までもが、つられるようにして飛び出した。いいや、つられたのではない――。明らかに照らし合わせていたような、一糸乱れぬ綺麗な動きだった。そこで尾崎は確信した。トイレの申し出はフェイク。本命は……解放軍に対する反撃の狼煙のろしだったのだと。


「――続けっ! 続けぇぇぇぇ!」


 トイレの申し出だけではなく、環境に対する苦言もまた、完全なるフェイクだったようで、別の場所からも一斉に職員が解放軍のほうへと向かう。互いに席が離れているため、事前の打ち合わせなんてものはできなかっただろうから、どちらかが便乗したという形になるのであろう。なんにせよ――何の前触れもなく、解放軍に対する反撃が始まってしまったのだ。何人もの職員が、雄叫びを上げながら、解放軍の群れに向かって走り出す。


「伏せるっす! できるだけ身を低くするっす!」


 なぜだか周囲の景色がゆっくりと流れ、次に起こるべく事態が頭をよぎった。予知能力とか、第六感などというものではなく、きっと人間の本能が働いたのであろう。尾崎は周囲に声をかけると、同じく状況を察知した善財達と一緒に、テーブルの下へと隠れた。この流れ――すでに一度経験している。そして、前回と全く同じように、テーブルの下に隠れると同時に、ミシンの稼動音が辺りに響いた。


 タン、タン、タン――。まだ充分に弾数が残っていたではないか。銃声と、それに混じって聞こえる断末魔のようなものを聞きながら、尾崎は流羽のほうへと視線を移す。桜は相変わらず不安そうな表情を浮かべ、そして善財はテーブルの上を見つめながら、銃声が鳴り止むのを待っているようだった。


 ただ、ここからが前回の流れと異なっていた。銃声が飛び交う中、流羽が尾崎達の顔を見回して、ひとつ前のテーブルを指差す。そちらのほうに移ろうと言っているようだ。

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