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【4】


 中嶋からの電話を切ると、倉科は大きく溜め息を漏らした。内容が内容であるし、前例のないことであるがゆえに、何から先に手をつけて良いのか分からない。ゆっくりと焼肉を堪能した後、さっさと署で面倒なレポートを終わらせようと車を走らせていた矢先の出来事だった。


 ハザードをたいて路肩に寄せていた車内で、さてどうしたものかと思案する。アンダープリズンが解放軍を名乗る連中に占拠された。こんなこと、前代未聞の事態であり、中嶋達には申し訳ないが、どうにも現実味がない。ごく一部の人間しか知らない極秘の施設が占拠されるなど、正しく天変地異が起こったような気分だった。中嶋にいたっては、ほんの小一時間前まで一緒にいたというのに、運悪く暴動に巻き込まれてしまったようであるし。


 車の時計は二時半になろうとしている。どのような形で中嶋が巻き込まれてしまったのかまでは聞いていないが、ざっと情報をまとめると、中嶋と倉科が食事をしていた時分の段階で、すでにアンダープリズンは占拠されていたようだ。もう少しアンダープリズンに戻る時間を遅らせていたら、そもそも中嶋も巻き込まれずに済んだのであろう。


 倉科はとりあえず、叔父である法務大臣の連絡先へと電話をかけてみる。アンダープリズンが占拠されたからといって、正当な手段で救援を要請するわけにはいかない。なんせ、アンダープリズンは機密の存在であり、安易に公にしてはならないのだから。少なくとも、倉科の自己判断で救援を要請するべきではないだろう。


 倉科は法務大臣と直接連絡のやり取りができる。電話をかける先だって、公式なものではなく、法務大臣のプライベートな番号のほうである。叔父と甥の関係だからこそ可能な手段であり、それを見越して、中嶋達も倉科に助けを求めてきたのであろう。


「やぁ、どうした? そっちから連絡を寄越してくるなんて珍しいじゃないか。あぁ、もしかしてお願いしていた聞き取り調査のレポートが、もう仕上がったのか? 相変わらず仕事が早――」


「叔父さん。残念だが、聞き取り調査のレポートどころじゃなくなったよ。今さっき、アンダープリズンのほうから一報が入ったんだが――どうやら、アンダープリズンが何者かに占拠されてしまったらしい」


 数コールした後に、何も知らないであろう叔父が、のんきな口調で電話に出た。言葉の最中で遮って、単刀直入に事実を伝えてやると、しばらく叔父は沈黙した後に、乾いた笑い声を出した。


「ははははっ。悪いが、その冗談は笑えないなぁ。君も大人だ。言っていい冗談と、悪い冗談くらいは分かるだろう?」


 中嶋から直接連絡を受けた倉科でさえ、アンダープリズンが占拠されたという事実に、やや懐疑的である。機密の存在として管理されていたアンダープリズンが、第三者によって占拠されたと聞かされても、やはり現実的に捉えることができない。さらにアンダープリズンから離れている叔父はなおさらのことだろう。


「冗談ならもっと面白いことを言える。詳細は不明だが、解放軍を名乗る連中にアンダープリズンは占拠されてしまったらしい。すでに死者も出ているそうだ。一刻も早く手を打たないと、不祥事どころじゃ済まなくなるぞ」


 倉科が真剣な口調で訴えたのが、叔父にも伝わったのか、トーンダウンしつつ「そんな、まさか――」と叔父が漏らす。国民の皆様には存在をひた隠しにしており、すでに死刑が執行されたことになっている死刑囚が収監されている地下刑務所。その性質がゆえに、穴があるもののセキュリティー面は整備されているし、アリの子一匹も通さない――とは言い過ぎではあるが、間違っても第三者に占拠されるなんてことはない。その安全神話が破られてしまったとなると大ごとである。


「とにかく、然るべきところに救援を要請しなければならない。相手は武器を所持しているみたいだし、簡単には制圧できない程度の頭数も揃っているらしい。これ以上、被害が拡大しないためにも、一秒でも早く手を打つべきだ」


 アンダープリズンが占拠されたという事実は、いまだに信じることができない。しかし、それこそ悪質で笑えない冗談を、わざわざ中嶋がして来るとは思えない。どこか、おちゃらけたところのある中嶋ではあるが、その辺りの分別くらいわきまえている男なのだから。


「――しかし、アンダープリズンに救援を送るとなると嫌でも目立ってしまう。アンダープリズンの存在が公になることだけは避けたい。それに、個人で判断できるような問題でもないだろう。今から方々に声をかけ、早急に対策を打ち立てる。しばらく時間が欲しい」


 このような緊急事態なのだから、すぐさま救援の要請を行うかと思えば、やはり優先されるのはアンダープリズンの機密性。確かに、アンダープリズンの存在が公になってしまうと、政治家生命が危うくなる政治家の先生も出てくるのであろうが、状況というものを考えて欲しいものだ。倉科個人では判断できないことだからこそ、わざわざ叔父に連絡を入れたわけであるが、どうやら叔父にも個人で判断できるような案件ではないらしい。事実上、アンダープリズンの最高責任者になるのだから、その辺りは格好いいところを見せて欲しかったのであるが。


「――分かった。だが、本当に早急に頼む。しばらく時間が欲しいと言われても、半日や一日も待ってはおられん」


 アンダープリズンには政治的な思惑が絡んでいる。そして、政治的なものが絡むと、ろくなことがないというのが定説だ。とにかく、これから方々のお偉さんを集めて対策を打ち立てるみたいだが、まず人の招集に数時間、話を始めるのに半日――などと、じっくりと時間をかけられてしまったら堪ったものではない。念のために釘を刺しておく。


「申し訳ないことだが、個人でやれることには限度というものがある。私が早急に話し合いの場を設けても、集まるお偉方の都合が悪ければどうにもならない。どれだけの時間を要して話がまとまるのかさえ分からない。はっきり言っておくけど、一時間や二時間ではどうにもならないだろう。それだけデリケートな案件だということくらい分かってくれるだろ? 本来ならば、絶対にあってはならないことだからね」


 なんとも歯がゆくて仕方がない。今すぐにでも救援を出して欲しいのに、どうにも上手くいかない。ただ、はっきりと分かったことがある。叔父を含める上の人間は、恐らくどんなことがあったとしても、アンダープリズンの機密を優先する。そうしないと、推進派の先生方の多くを失脚させる要因になりかねないし、何よりもアンダープリズンが明るみのものになった時、国民に対してどのように説明責任を果たしていいのか、倉科にも想像がつかない。自分で言っておいてなんだが、これだけのリスクをはらんだ案件を、一時間や二時間でまとめろと言うほうが無理なのかもしれない。


「――アンダープリズンの秘匿性が強い以上、仕方のないことか。叔父さん、無理を承知でお願いするが、人として正しい判断と、そして一刻も早い決断を。それじゃ、吉報を待ってるよ。できるだけ早急な吉報をね」


 吐き捨てるかのように言うと電話を切る。もはや、叔父を含む政治家はあてにならない。話し合いの場が設けられたとしても、どのようにしてアンダープリズンの危機を回避するかという問題よりも、いかにして世間に知られないように事態を収束させるか――というものに絞られるに違いない。時間もきっとかかることだろう。


 正当なルートで救援を要請することはできず、また叔父経由で救援の要請をするにも、話をまとめるのに時間がかかる。どちらにせよ、今すぐにアンダープリズンへと救いの手が入るわけではない。倉科はシートベルトを締め直すと、スマートフォンを助手席へと放り投げてアクセルを踏み込んだ。

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