29

 ――両親は何者かに殺された。その言葉を聞いた瞬間、ショックを受けたというよりも、なんだか妙に納得してしまった自分がいたことに驚いた。もしかすると、縁も無意識下で、薄々とそうなのではないかと思っていたのかもしれない。


 警察が捜査をしているが、いまだに犯人は捕まっていない。就寝時を狙って自宅に押し入り、犯行に及んだらしいが、金目のものが盗られているようなこともなく、物盗り目的の犯行でもなかったようだ。ただ、縁の日常を突如として奪ってしまった事件には、巷を騒がせていた連続殺人事件の特徴が残されていたそうだ。


 ナンバリングキラー。誰がそう呼び始めたのかは分からない。犠牲者の体のどこかに鋭利な刃物か何かで数字を刻むという異常性を見せ、すでに同様の手口で何人もの人間を殺害していた連続殺人鬼。どうやら、縁の一家もナンバリングキラーの餌食になってしまったようだった。その証拠に、縁の胸元にはいまだに生々しい傷痕が残されている。そう――【17】という数字が刻まれているのである。このナンバリングキラーこそが坂田だったことを知るのは、それからかなり先の話である。


 ――姉はどうしたのだ。食ってかかるように問うた縁に、叔父は困惑の表情を浮かべながら、別の親戚に預けてあるとだけ答えた。それを見ていた叔母は泣いていた。姉は縁のひとつ上であり、同じく高校生だった。経済的な事情により、叔父が引き取ることができたのは縁だけであり、遠方の親戚が姉を引き取ることになったそうだ。両親を失ったショックは大きかったが、姉が生きているということが唯一の救いだった。


 何度も姉と連絡を取りたいと訴えたが、縁と違って姉は精神的なショックが大きく、あまりにも言動がおかしかったために、いまだに入院中だとのこと。一切連絡を取らせて貰えなかった。


 そして月日は流れ、とうとう姉と連絡が取れないまま縁は高校を卒業。奨学金と叔父夫妻の協力のおかげで、大学へと進学した。


 叔父と叔母には、どれだけ感謝しても足りないほどのことをして貰った。自活力のない縁を養い、そして大学に進むためのお金なども出してくれた。奨学金はあくまでも大学の授業料として使うものであり、身の回りの必要なものは、全て叔父と叔母が捻出してくれたのだから。後になって知ったことだが、日常を取り戻した縁に話を聞くため、何度も警察が家にやって来たらしいのであるが、叔父が全て門前払いをしてくれたそうだ。縁を送り出す前日に、酒が入った勢いで武勇伝を聞かせてくれた叔父の言葉に、思わず涙してしまったのを覚えている。


 姉がふらっと現れたのは、大学に入って一年目のことだった。ずっと連絡を取りたいと願っていたし、会いたいと思い続けてきた。しかしながら、姉との久々の再会は、実に後味の悪い奇異なる再会であった。


 季節は確か秋の終わりだったと思う。紅葉を終えた落ち葉が歩道を覆い、木枯らしに吹かれてゆらゆらと舞っていたのを覚えている。何よりも、秋の色にそぐわない真っ白な薄手のワンピースを着ていた姉が、強く印象に残っていた。


 厚手のコートを着込みたくなるほど寒さが厳しくなってきた時期に、お気に入りだった薄手のワンピース一枚でたたずんでいた姉。その時点で、縁は悟った。やはり姉はどこかおかしくなってしまったのだ――と。


 縁の姿を見ると、にこりと……いいや、にたりと笑みを浮かべる姉。ずっと再会を願っていた縁であったが、この時感じたものは喜びや嬉しさではなく、恐れだった。


 大学の授業へと向かう予定だった縁は、どうしていいか分からず、叔父へと連絡を取った。叔父は電話口で「そんなはずはない」と言った。姉を引き取った親戚の連絡先を教えて欲しいとお願いしたが、仕事中でそれはできないという。


 長らくの間、離れて暮らし、しかも縁は大学進学のために新天地へとやって来ていた。それを姉はどのようにして調べて会いに来たのか。姉が会いに来てくれたことに不気味さが増すばかりだった。


 どうしたものか――。そう思いながら叔父との電話を切った縁は、周囲に姉の姿がないことに気付いた。辺りを探してみたが、姉の姿はない。しかしながら、あんな状態の姉を放っておくこともできず、縁は一日中姉を探して回った。結局、その日は大学で授業を受けることができなかったし、姉を見つけることもできなかった。


 けれどもそれ以来、姉はふっとした瞬間に、縁へと会いに来るようになった。自宅にいる時、キャンパスで友達と過ごしている時など、日常の隙間に姉が姿を現す。その度に縁はどうしていいのか分からずに奔走する。


 近くのホテルに泊まっている――。病気が治ったから、いずれは一緒に住みたい――。そんなことを口にする姉に、縁はとうとう決心した。ふらふらと徘徊をされるのは危ないし、本人は治ったと言っているが、どう見ても病気は治っていない。姉の言動や仕草からは、常人とは違う何かが常に漂っていた。


 ――とりあえず一緒に暮らそう。姉を放っておくのは危ないし、姉のことは自分が責任を持って面倒を見るべきだ。ふっと姉が現れたタイミングでそう提案すると、それが目的であったかのように姉は頷いたのであった。


 こうして、姉と一緒に暮らすことになった縁。ここ数年、何度か姉は自ら入院してみたり、またふらりと戻ってきたりを繰り返しながら現在へといたる。病状は悪化することもなく、良くなることもなく、再会を果たした時から何ひとつ変わってはいない。最近は家の中に引きこもっていることが多く、ふらりと外に徘徊することも少なくなったから、もしかすると病状が良くなっているのかもしれない。


「ナンバリングキラー。九十九殺しの坂田仁」


 ぽつりと漏らすと、自身に気合いを入れるかのごとくほっぺたを軽く叩き、縁はごみごみとしたリビングへと戻った。見計らっていたかのように、電子レンジが縁を呼ぶ。チーズがどろどろに溶けた熱々のピザを皿へと移し、リビングのテーブルの上へと置いた。


「お姉ちゃん。ご飯できたよー」


 食事というにはあまりにも質素ではあるが、部屋の中に引きこもっている姉に声をかける。学生時代は自炊をする余裕もあったのだが、今はそんなことをする余裕すらなくなってしまった。着実に食生活のレベルが落ち続けていることを感じながら、テーブルへと着席。いっそのこと家事代行などを頼んでやろうと思ったこともあるのだが、見ず知らずの第三者が上がり込めば、姉が怯えてしまうのが目に見えている。だからこそ、リビングだけは手付かずの荒れ地と化しているわけだ。散らかっているのが部屋のものばかりで、ゴミではないことが唯一の救いか。まぁ、自分の衣服などを引っ張り出してきてリビングにばら撒かれるのには迷惑しているが。


 縁の言葉に応じて、姉がふらりふらりとリビングへとやってきて、縁の対面に座った。ほっそりとした色白の姉。素っぴんでありながら、病気でなければ、男が放っておかないであろう整った顔立ち。いつ洗濯しているのかは知らないが、常に真っ白なワンピース。もし、あの事件さえなければ、姉も少しは真っ当な人生を送れただろうに――。そう考えると、なんだか悔しい。


「ふふふふふっ。縁ちゃん。私なりに色々と考えてみたの。どうやって坂田のやつを殺してやろうかって――。やっぱり、あのマネキンみたいにバラバラにしてあげたほうがいいかしら? それとも……」


「お姉ちゃん。これからご飯なんだから、そういう話はやめにしようよ」


 縁は姉の言葉を強引にさえぎり、手を合わせて「いただきます」と、食に対する表向きだけの感謝を告げ、ピザに手を伸ばした。


「でも縁ちゃん。坂田は私達の仇なのよ? しかも、縁ちゃんには坂田を殺すチャンスがあるわ。どうやって坂田を殺そうか考えることは、そんなに悪いことかしら?」


 姉の言っていることは間違っていない。両親を縁から奪い、そして姉をこのようにしてしまったのは、坂田である。


「――私だって色々考えてるんだから、お姉ちゃんは心配しなくていいよ」


 キャリアという確立された道を捨て、0.5係などという、将来が全く保障されていない道を選んだのも――坂田と接する機会があるからだ。ただそれだけ。同じように0.5係を志願した尾崎のような正義感はない。まぁ、尾崎が正義感に駆られて0.5係の道を選んだのかは分からないのだが。


 縁の心の奥底に眠っている傷。それゆえに縁は刑事を志し、特に猟奇的な事件に特化した学び方をしてきた。大学に在学している間に留学し、それなりの人の下で学んだくらいだ。倉科は縁の特化した能力に驚いていたようだが、これは備わるべき理由があって備わった能力なのである。そう――全ては自らが巻き込まれた事件を解決するために得たものだ。


 縁がピザを頬張るのを、姉は肘をつきながらニコニコと眺めている。感情の起伏が激しく、何を考えているか分からない姉であるから、こんな行動は奇行のうちに入らない。やはり、今日は具合が良いようだ。


「――食べないの?」


 縁が問うと、姉は幸薄い透き通った顔に、まるで絵に描いたかのような満面な笑みを浮かべて頷く。先ほどまでは空腹を訴えていたのに、まるで食事に手をつけようとしない。こんなことも日常茶飯事であり、気分によって言動が変わってくるのも、姉の得意技だ。


「うん。私は後で適当に食べるからいいわ。それよりも――坂田の話が駄目なら、あの話を聞かせて。今、調べている最中なんでしょう? 殺人蜂の事件」


 思わず縁は咳き込んでしまった。姉は時折、妙に勘が鋭い時がある。それこそ、全てを見てきたかのように、縁の行動を把握している時があるのだ。0.5係へ異動することになった話は姉にもしたが、殺人蜂の事件を追っていることまでは話した記憶がない。0.5係の存在意義は説明したはずだから、そこから推察したのかもしれなかった。


「それはお姉ちゃんでも話せないよ。表立って捜査しているわけでもないから」


「そう――残念ね」


 姉は小さく溜め息を漏らす。すっと立ち上がって、ふらふらと自分の部屋のほうに向かって歩き出した。ピザを片手に、その後ろ姿を目で追う縁。姉は部屋へと吸い込まれるように入り、扉に手をかけながら縁のほうへと振り返った。


「縁ちゃん――。人は誰でも心に闇を抱えているわ。誰にも知られることなく、ひっそりとその闇を抱え続けているの。言葉というコミュニケーションツールがあっても、他人の心を完全に掌握できる人間なんていないわ。何不自由なく生きているように見える人も闇を抱えている。世の中の成功者だって、心のどこかに誰にも知られない闇を抱いているの。じゃあ、今回の殺人蜂は、どんな闇を抱いているのかしらね」


 ゆっくりと閉まる扉の向こう側で、姉の歪んだ笑みが消えていった。ぱたりと扉が閉じると、そこにはピザのチーズの香りと静寂、そして縁だけが残された。


「人の心が分かれば、刑事だって楽なんだけどね」


 縁はそう呟くと、もう冷めて固まりつつあったピザをかじった。姉は一度部屋に引っ込んでしまうと、よほどのことがない限りは出てこない。今日はもう寝てしまうつもりなのだろう。


 とりあえずシャワーでも浴びよう――。ピザを平らげた縁は、着替えを持って浴室へと向かう。服を脱ぐと、嫌でも見えてしまう。そう、ナンバリングキラーこと九十九殺しが刻んだナンバーの名残が。坂田自身も、まさか自分の目の前に殺し損ねた被害者がいるなどとは思ってもいないのであろう。


 シャワーを浴びながら今日一日のことを振り返る。尾崎が調べ上げてくれたおかげで、今日は色々な手掛かりを入手することができた。これだけの材料があれば、きっと事件も進展することであろう。


「――えっ?」


 今日の出来事を映像として振り返っていた縁は、ある場面に差しかかったところでその映像を停めた。そこから少し映像を前の場面へと戻し、そして再び回想する。


「あれって――なんなんだろう?」


 その疑問は縁の中で一気に膨らみ、そして思いも寄らぬ方向へと思考をいざなう。――掴んだかもしれない。この事件における決定的な証拠を。これまでは疑惑止まりだったものが、縁の頭の中で確信へと変わっていく。


 縁は慌てて脱衣場に飛び出すと、脱ぎ散らかしていた私服を改めて着る。――確かめないと。この推測が正しいのであれば、一刻も早く確かめないと。


 リビングに戻ると、適当に髪の毛を乾かし、これまた簡単に化粧をすると、縁は姉の部屋に向かって「お姉ちゃん! ちょっと出てくるね!」とだけ声をかけ、部屋を飛び出した。


 分かったかもしれない。殺人蜂の正体が――。


 ようやく暖かくなってきたものの、いまだに朝晩は冷え込む春の闇夜に、縁の姿は飲み込まれるように消えたのであった。

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