22

 事件が起きたのが今朝の未明。よって、丸一日経過していないというのに、これだけの情報が入ってくるのは凄いことであるといえよう。はっきり言って、正攻法では、ここまでのスピードで情報は集まらない。鑑識官である麻田がいるからこそのスピードなのだろう。


「うーん。なんだかスッキリしないというか、つかみどころのない事件だな。犯人のやっていることに意味があるのかどうかも分からんし、普通の人間には理解できない点が多いというか――」


 煮え切らない様子でぼやくと、サイドブレーキを倒してウインカーを出す安野。通り過ぎゆく車が途切れるタイミングを見計らって、車を車線へと戻した。


 安野の言う通り、この事件は不明瞭な点が多い。ボイスメモやらレシピから読み取れるものがあっても、それが一体何を意味しているのかが分からない。相手は完全に異常者であり、それを読み解こうというのだから、そもそも無理があるのかもしれない。しかし、必ず意味があるはずなのだ――。それこそ、犯人にしか分からないこだわりや、明確な意味が。


 レシピに視線を落とし、あれこれと考えているうちに、なんだか気持ちが悪くなってきた。事件の凄惨性もさることながら、車酔いしてしまったようだ。今さら手遅れであろうが、レシピから目を離して顔を上げると、ちょうど目的地に到着したタイミングのようだった。想像よりも小さな施設の、これまた狭い駐車場に、縁達を乗せた車が停車する。


「一応、先生には事前に連絡を入れてあるよ。俺達を待ってくれているはずだ」


 麻田が真っ先に車を降り、安野と縁はそれに続く。そのまま麻田を先頭にして施設の中に入った。消毒液の匂いなのか、施設の中は病院と同じような匂いがした。ここに来るのは慣れたものなのか、麻田はどんどんと廊下を突き進んで行く。そして、一枚の扉の前で立ち止まると、扉を軽くノックした。中から聞き覚えのある声で「どうぞ――」と、なんだか溜め息混じりの返事が飛んでくる。


 これまた麻田を先頭にして部屋の中へと入る。机が幾つも並び、その中でも特に乱雑に書類などが散らかった机に着席していた先生が、こちらを見て立ち上がった。


「よく来たわね。なんか適当に茶でも淹れるから、ゲストルームで待ってて」


 先生は両手を白衣のポケットに突っ込みつつ、恐らく給湯室であろうスペースへと姿を消した。


「なんで素直に応接室って言えないかねぇ。別に帰国子女でもないんだし。――っていうか、応接室っていっても、ここにいる人間の休憩所みたいなもんだけどねぇ」


 麻田が先生の背中に向かって呟き、続けて「まぁ、お茶でもいただきますか」と、慣れた感じで部屋の奥にある扉に向かった。


 先生がゲストルームと呼んだ部屋は、テーブルとソファーが置いてあるだけの、狭くて殺風景な部屋だった。誰かの私物だろうか、畳まれた寝袋が部屋の隅に追いやられるようにして放置されていた。仕事が忙しい時は、ここで寝泊まりをするのだろうか。


 麻田はさっさとソファーに座り、安野がその隣をすすめてくるが、どうにも座る気にはなれなかった。ソファーは二人掛けのようであるし、麻田と縁が座ってしまったら、安野と先生の座る場所がない。むしろ、無神経に座れる麻田の神経が分からなかった。


 とりあえず先生がやって来るのを待っていると、お茶を淹れることを諦めたのか、缶コーヒーを人数分持った先生が入ってきた。


「ちょうどお茶っぱを切らしていて、面倒になったから――冷蔵庫にあったコーヒー。はい、どうぞ」


 そう言って、コーヒーをテーブルの上に置いた先生は、どことなく元気がないように見えた。いや、崩れるように麻田の隣に座ったのを見る限り、大分疲れているように見えるといったほうが正しいのかもしれない。


 ここでも真っ先にコーヒーへと手を伸ばしたのは麻田。縁は先生がコーヒー缶に手を伸ばしたのを見てから、ようやく缶を手に取った。傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いというか、まるで自分の家であるかのような態度を見せる麻田は、どこか尾崎と通じるものがある。


「彼女の件――聞いたわ。残念だったわね」


 プルタブを起こした先生は、そう言うとコーヒーを一口。そして小さく吐息を落とす。


「あぁ、その様子じゃ、まだこっちのほうにも遺体は回ってきていないみたいだね」


 コーヒー缶を片手に問う麻田に、先生は小さく頷き返す。


「そうね。今回も警察から嘱託されたから、今夜の内には到着するとは思うけど」


 先生はそう言うと、口元に手を当てた。どうやら、あくびを噛み殺したらしい。


「大分疲れているようだな――」


 不思議なことにあくびというものは伝染する。今度は安野があくびを噛み殺しつつ口を開き、先生は目をしょぼしょぼとさせながら返す。


「なんだかんだで昨日の夜は仕事で寝てないから。それが片付いたと思ったら――彼女の件でしょう? こう見えて激務なのよ」


 元気がないように見えたのも、疲れているように見えたのも、どうやら睡眠不足が原因のようだ。そんな先生を見て、溜め息を漏らしたのは麻田だった。


「悪いタイミングで来ちゃったみたいだねぇ。もしかして、俺達邪魔だったりする?」


 まだこちらのほうに遺体が回されていないということは、もちろん先生の見解を聞くこともできない。最初から分かってはいたことであるが、完全なる無駄足である。それでもと思って、ここを訪れたわけであるが、先生がお疲れだというのならば、無理に居座る必要はないだろう。むしろ休息をとり、司法解剖に向かって貰ったほうがいい。


 麻田の言葉に「そんなことはないけどね――」と呟く先生。しかし、どう考えたって休んだほうが良さそうであるし、ここに縁達が居座り続ける理由もない。


「俺達も出直すとするか――。先走ってみたはいいものの、ちょっとばかり空回りしているようだ。仮眠でもとったほうが良さそうだな」


 再びあくびをする安野。麻田は「まぁ、俺は平気だけどね」と言いつつも、目の下には薄っすらとクマを作っている。親しかった人間が事件に巻き込まれてしまったことで、寝る間を惜しんで動き続けて来たのだろうが、どうやらこの辺りが限界のようだ。先生から話が聞けないとなると、後は尾崎が帰ってくるのを待つしかない。そろそろ戻って来ても良さそうなものであるが、せめて尾崎から連絡が入るまで、休んでおいたほうがいいのかもしれない。


「じゃあ、俺達は出直すわけ。先生も――そんなにゆっくりとは休めないと思うけど、少し休んだほうがいいよ」


 麻田はそう言うと立ち上がり、元々立ったままだった縁と安野を促すように、さっさと応接室の外へと向かう。


「悪いわね。それに甘えて少し休ませて貰うわ」


 先生はそう言うと、縁達を見送るために立ち上がろうとしたが、体が言うことを聞かなかったのか諦めたようだった。これまで気を張っていたのが、ぷっつりと切れてしまったのであろう。


「あの、おやすみなさい――」


 応接室から出る際に、そう言って頭を下げると、先生は小さく頷いて「それじゃ、また後でね」と、力なく手を振ってくれた。もう一度だけ頭を下げ、縁は応接室を後にした。


 施設を後にして車に乗り込むと、安野が小さく溜め息を漏らす。思うように事件に進展が見れず、イライラしているようにも見えた。待つことしかできないという状況は、思っている以上に苦痛だ。


「それじゃあ、俺は少しだけ寝る。何かあったら起こしてくれ」


 少しふてくされたようにして、運転席を倒すと、腕を組んで目を閉じる安野。まさか車の中で仮眠をとることになるとは思っていなかった縁は、慌てて助手席の麻田のほうへと体を乗り出すが、すでに麻田は寝息を立てていた。仕方なく、縁もシートにもたれかかって目を閉じた。女子である――曲がりなりにも自分は女子であるのに、その辺りの配慮というものはないらしい。


 どれくらい、うとうとしただろうか。微睡まどろみの中で現実と夢が交錯し、見覚えのない景色を見せられていた時に、聞き覚えのあるメロディーが鳴り響いた。縁のスマートフォンだ。

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