事例1 九十九殺しと孤高の殺人蜂【解決編】1

【1】


「それで――山本は電話にも出ないのか?」


 いつもの駐車場に車を停め、朝の歓楽街へと足を踏み入れる。夜は随分とにぎわう歓楽街であるが、ここにとって朝は休息の時間。眠りに就いてしまった神座の街は、ひっそりと静まり返っていた。


「そうなんすよ。今日は署にも出てきていないみたいだし、縁に限っては無断で欠勤したりするようなタイプの人間じゃないと思うんすけどねぇ」


 隣を歩く尾崎は、ここに来るまでの間に何度も縁に電話をかけているようだった。しかし、何回やっても結果は同じだ。ぽつりと「やっぱり出ないっすねぇ」と呟くばかり。署でも縁がやってくるのを待っていたのだが、坂田を待たせてヘソを曲げられても面倒であるため、仕方なく倉科は尾崎と二人でアンダープリズンへと向かい、現在にいたる。


「あいつらしくないな――。しかも、今日は坂田と接見する日だってのに」


 倉科も一度は電話を入れてみたが、無機質な呼び出し音が鳴るばかりで、縁が電話に出る気配は一切なかった。彼女に限って寝坊をするなんてことは考えられないのだが――。


「尾崎、山本にメール送れるか?」


 眠りに就いた歓楽街を、例の【人妻ヘルス】を目印に向かいつつ、倉科は尾崎のスマートフォンを覗き込む。


「えぇ、送れるっすよ」


「だったら、今から言う電話番号を山本に送ってやってくれ。アンダープリズンに入ると、俺達の持っているスマートフォンは使い物にならん。あまりこの回線を使いたくはないんだが、念のためだ。あ、これも機密だから、メールを送ったらすぐに消してくれ。できれば、お前の脳みその中からもな」


 倉科の言葉に尾崎は頷き、メール画面を出したようだった。それを確認すると、倉科はアンダープリズンの電話番号を告げた。機密であるがゆえにスマートフォンに登録することもできないし、メモとして残すことも禁じられているため、嫌でも暗記してしまったものだ。アンダープリズンに引かれているアナログ回線の電話番号である。


「心配しなくても、数字とか覚えるの苦手っすから――」


 尾崎はそう言いながら、倉科が告げた通りの電話番号を打ち込む。送信する前に「これでいいっすか?」と、わざわざ画面を倉科への見せてきた。それで構わないという意味を含めて頷くと、尾崎はメールを送信して、倉科の目の前でメールを削除した。アンダープリズンの電話回線を使ってまで、遅刻の言い訳は聞きたくはないのだが、念には念を入れておきたい。むしろ、これで寝坊でもしてくれていたほうがありがたかった。なんだか嫌な予感がする――。


 縁が来ていないという事実に妙な不安は感じるものの、坂田をあまり待たせるわけにもいかない。アンダープリズンの回線はあまり使いたくはないが、今回のようなケースは、回線を私的理由で使用することにはあたらないであろう。なんせ、坂田自身が縁を含めた倉科達との接見を希望しているのだから。縁の存在の有無で坂田の機嫌が変わり、事件の進展が左右されるのであれば、私的問題ではなく公的問題であるといえよう。


 神座の街を進み、ごみ捨て場に群がるカラスに馬鹿にされながらも【人妻ヘルス】の前までやってきた倉科達。ここからはいつもの手順を踏みつつ、アンダープリズンへと潜らねばならない。また融通の利かない堅苦しい手順を踏まねばならないと思うと気が重くなる。せめて、もっと手順を簡略化して欲しいものだ。


 文句を垂らしたところで、そこはお役所仕事。例のごとく面倒な手順を踏みつつ、確実に坂田の元へと近付く倉科と尾崎。アンダープリズンに潜る際に、縁の所在を問われてしまったが、そこは適当にごまかしてやった。それでも、ちょっとした押し問答はあったのだが――。型にはまることばかり優先して、ちょっとしたイレギュラーが起きると、確認やらなんやらで手間を取る。それだけセキュリティーを徹底しているということなのであろうが、いちいち堅苦しくて息が詰まる。


 中に入ると、いつものように中嶋が顔を出した。そして、中嶋に案内をされて階段を降り、何枚もの扉を潜り、また階段を降りを繰り返す。ようやく鉄格子が並ぶ通路までやってくる頃には、すっかりと疲れてしまっていた。肉体的にではなく精神的にだ。ここは人の生気を吸い取ってしまうような、独特の雰囲気に包まれている。その最深部で生活をしている坂田は、さしずめ深海魚といったところか。水深の浅いところで生きている魚が、深海へと潜れば不調をきたす。本来ならば、ここは普通の人間が足を踏み入れて良い場所ではないのかもしれない。


 いつものごとく中嶋から模擬弾の入った拳銃を渡され、それを尾崎に持たせると、二人は鉄格子を幾つも潜り、坂田の待つ鉄扉の前へとたどり着く。今回は特に進展がないため、資料は用意していない。口頭でのやり取りが主になることであろう。


「いいか尾崎。いくぞ?」


 鉄扉の前で心の準備をすると、認可証を認証機にかざして最終的な認証を得る倉科。尾崎は特別認可であるため、特に何かをするでもなく、スライドした鉄扉の向こう側へと拳銃を構えた。


 この瞬間ばかりは、何回――何年繰り返しても、慣れることはない。鉄格子に遮られ、坂田からの実害が及ぶわけでもないのに身構えてしまう。空気が張り詰め、その空気に電気が混じったかのように、肌がピリピリとする。普通の人間が関わっていいような存在ではないのかもしれなかった。坂田という男は――。


「随分と遅かったじゃねぇか。待ちくたびれたぜ」


 ベッドに腰をかけたまま、ずっと倉科達がやって来るのを待っていたのであろうか。こちらは朝一でアンダープリズンへと赴いたというのに、彼からすれば不満があるらしい。独房の中の時間が、周りとは違ってゆっくりと流れているからなのか。まぁ、刑務作業もなく、かといって娯楽もないような状況では、時間の流れが遅く感じても仕方ないのであろうが。


「これでも大急ぎで飛んできたつもりなんだがなぁ。色々と事情があるんだよ。事情が」


 倉科が言うと、坂田は「そんなもの、知ったこっちゃねぇよ」と、鼻で笑った。口では文句を言ってはいるが、そこまで機嫌は損ねていないようだ。


「――女はどうした? あの、俺にたてつくような命知らずの女は」


 当たり前であるが、真っ先に坂田は、ここに縁の姿がないことに気付いたようだった。これは坂田に限ったことではないのだが、刑務所にいる受刑者というものは、とにかく異性との接点がない。それゆえに、異性に対して異常なほどに敏感になるというか、妙に執着する節がある。なんだかんだで人間も動物であり、男には雄の本能が染み付いてしまっているのだろう。もっとも、坂田が縁を気に入っている理由は、それだけではないのだろうが。


「これもちょっとした事情があってな。少し遅れて来ることになっている」


 まさか、無断で署に出てきていないし、連絡すら取れないなんてことは言えない。それを言ってヘソを曲げられても困るし、とりあえず適当な嘘で場を取り繕った。


「ふーん。まぁいい。それならそれで、先に始めちまうか。で、事件の進捗状況は? 幾ら警察が馬鹿だっていっても、少しは進展があったんだろう? くくくくくくっ。また、犠牲者が増えたとかな」


 笑いを噛み殺す坂田。犠牲者がこれ以上増えるなんて、とんでもないことであるが、彼からすれば殺人蜂の事件はエンターテイメントにすぎない。人がどれだけ殺されようが、映画の中で人が死ぬ程度の感覚でしかないのであろう。

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