27
こちらから頼む必要がなくなった――。そんなことを思いながら、倉科との電話を切ると、まさか一緒にいるとは思っていないのであろう。今度は尾崎の携帯が鳴った。内容は縁とまったく同じようであり、尾崎がどこかで口を滑らせて、一緒にいることを暴露してしまわないかとヒヤヒヤしたが、それは辛うじて回避できたらしい。
無事に尾崎も電話を終え、二人で小さく頷き合う。
「こちらからお願いしなくとも坂田には会えそうですね――。今日手に入れた情報は、坂田に会うまで出さないようにしましょう」
縁は自分に小賢しさというか、あざといところがあることを自覚している。事前に倉科へと捜査の件を話してしまうと、二人が勝手に捜査したことがばれてしまうわけであり、アンダープリズンに向かう前にこんこんと説教をされる恐れもある。勝手に捜査をしたことが、なんにせよ明白になってしまうのであれば、直接坂田の前で出してしまったほうがいい。
「そうっすね。そのほうが間違いないっす」
こうして二人で動いたことにより、少なからず収穫があった。贅沢を言うのであれば、もう少しだけ広瀬から話を聞きたかったのであるが――。
二人で翌日の打ち合わせをしつつ、路上に停めてあった車へと乗り込むと、シートベルトを締めながら縁は口を開く。
「あ、そうだ。確か第一の犠牲者が発見された現場がこの近くだったはず。帰りがてら、そこにちょっと寄って行きませんか?
現場百遍とは読んで字のごとく。捜査を行う上では現場を百回訪れてでも、慎重に捜査するべきであるという言葉だ。事件のあった空き地はここから遠くはない。地図上でしか把握していないが、番地は頭に叩き込んである。犯人の人物像を絞り込む作業が、こんなところに活きてきたわけだ。もう、第一の事件が起きてから時間が経っているが、現場を見ておいて損はない。何か新しい発見があるかもしれないし。
「そうっすね。現場を調べておいて損することはないっす」
尾崎が同意してくれたところで、スマートフォンで地図を呼び出し、番地を打ち込む。そして「行きましょう、尾崎さん」と、前を見据える縁。ナビに従って車は走り出した。
現場は思いのほか近く、そして思った以上に人目へとつかない場所にあった。ただでさえ人の気配がほとんどない路地に車を停めると、ビルとビルに挟まれる形の人が一人通るのが精一杯の幅しかない路地裏を進む。すると、ビルとビルに囲まれた空間が不自然に現れた。当然ながら、見回しても街頭の監視カメラはない。確かにここならば、人の目を気にせずに犯行へと及ぶことができるだろう。
空き地――と例えるより更地と例えるべきであろうか。きっと、犠牲者は犯人の思惑通りにここへと追い詰められ、そして短い人生を強制的に終了させられてしまったのであろう。さぞ無念だったに違いない。
当たり前だが、すでに警察の捜査は終わっており、賑やかな街中の死角となっている空き地には、静寂ばかりが反響する。そんな事件の抜け殻には、誰が手向けたのであろうか。花と菓子が供えられていた。
「ここなら完全に死角になってるっすねぇ。路地裏にさえ入ってしまえば、昼間だろうと堂々と犯行に及べるっす」
尾崎は供えられていた花のそばにしゃがみ込むと、手を合わせて黙祷をする。縁もそれにならって同じくしゃがみ込もうとしたが、ふと人の気配を背後に感じて振り返った。
思わず固まってしまった。縁と目が合ってしまったその人物もまた、驚いたかのように目を見開いて固まっていた。
「どうしたっすか? 縁」
黙祷を終えた尾崎が、不思議そうに縁の横顔を見上げた瞬間、その人物は一目散に駆け出した。
「待って、広瀬君っ!」
反射的に地面を蹴り、縁は駆け出した。第一の犠牲者が殺害された現場で再会することになった意外な人物――それは、他の誰でもなく、あの広瀬だったのである。
「尾崎さん! 彼です! 今、ここに広瀬君がいたんです!」
振り向きざまにそう叫ぶと、裏路地を抜けようとする広瀬の後ろ姿を追った。広瀬の姿は裏路地をすり抜け、一足先にビルの切れ目から飛び出した。縁もそれを追って、ビルとビルの間をすり抜ける。その先は寂れた路地であり、尾崎の車が虚しくハザードランプを点灯させていた。辺りを見回すが、しかし広瀬の姿はない。
「尾崎さんはそっちを探して下さい! 私はこっちを探します!」
恐らく、広瀬の姿を見ていなかったのであろう。完全に出遅れてしまい、何が何だか分からないといった具合の尾崎に指示を出すと、縁はそのまま広瀬を探して路地を駆け抜ける。
いない――。どこにもいない。完全に見失ってしまった。それでも諦めきれずに広瀬の姿を探したが、しかしその執念が実ることはなかった。
両膝に手をついて呼吸を整える。どうして彼がこんな場所にいたのだろうか。広瀬は塾に向かうと言い、縁達をあしらったはずなのに――。仕方なく尾崎の車のところまで戻ると、反対方面へと向かっていた尾崎が、ちょうど戻ってくるところだった。
「尾崎さん、どうでした?」
駄目元で聞くと、尾崎は首を大きく横に振った。
「こっちにはいなかったっす――。本当に広瀬を見たんすか?」
やはり尾崎は広瀬の姿を捉えることができなかったらしい。こちらが気付いてすぐに逃げ出してしまったし、かなり逃げ足も速かったようだ。どうしてこんなところにいたのか、何をしにやって来たのか――。色々と彼に聞きたいことは多い。
「えぇ、確かに彼でした。どうして、こんなところに来たのでしょうか?」
呼吸を整えながら口を開くと、尾崎は宙へと視線を投げて「――犯人は現場に戻ってくるってやつかもしれないっす」と、完全に広瀬を犯人扱いしているような言葉が返ってきた。それはそれで極端ではあるが、確かに広瀬がこの場にいたことに理由をつけるのであれば、その発想が出てくるのは自然なことなのかもしれない。
「とにかく、この件も含めて、坂田と事件の整理をしてみましょう。この段階で彼を犯人だと決めつけるのは早いと思います。決定的な証拠があれば、話は別なのかもしれませんが」
今のところ怪しいことは確実ではあるが、広瀬が犯人であるという証拠はない。とりあえず手土産としてアンダープリズンへと持って行くだけにしたほうが良さそうだ。
「そうっすね――。これ以上は深追いしないほうがいいかもしれないっす。今日は予定通りにここで切り上げたほうが賢明っす」
ただでさえ非公式であるがゆえ、これ以上の深入りは捜査そのものを混乱させてしまう恐れがある。正義の味方ごっこはこの辺にしておいたほうがいい。
尾崎の言葉に同意を示して頷くと、二人は車へと乗り込み、それぞれの帰路へと着く。元より電車でここまでやって来た縁を、わざわざ尾崎が家まで送り届けてくれた。普通、警察官や刑事の独身者は、寮で暮らすことになっているのであるが、縁の場合は特殊な事情があるため、警察署の近くのマンションを借りている。これは刑事にとって異例なことであり、尾崎は例外なく独身寮に入っているそうだ。もっとも0.5係自体が特殊であるため、どうやら尾崎の住まい事情も異例なことになるそうで、現在住居を探している最中だとか。
「はぁー、立派なマンションっすねぇ。自分も早く住むところ決めねぇと」
運転席からマンションを見上げて呟く尾崎に対し、縁は助手席のドアを開けると「わざわざ送ってくれてありがとうございました」と礼を言って車を降りる。
「礼には及ばねぇっす。それじゃあ、また明日――」
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