明らかに倉科へと白い目が向けられていたが、しかし【人妻ヘルス】などと銘打めいうたれた店の前に突っ立っているのも嫌だったのであろう。手招きをする倉科につられるようにして、尾崎と縁が扉の中へと入る。倉科はもう一度だけ辺りを確認して、誰もいないことを確かめてから扉の中へ――。入ってすぐに中から鍵をかけた。


「ここ――なんすか?」


 半地下からさらに地下へと伸びた階段。しかも明かりは最低限で薄暗い。気のせいなのだが、じめじめとした冷気が階段を這い上がってくる。


「ついてくれば分かるさ」


 階段の先にある不安を見つめているような二人を尻目に、倉科はコンクリートの階段を下りる。少し尻込みしている様子の二人の足音が倉科の後に続いた。


「ちなみに、スマートフォンの電源は切っておけ。ここから先は電波が入らん。電源を入れておくだけ無駄だ」


 これから向かうのは地下のさらなる地下だ。どれだけ通信技術が発達しようとも、地中深くともなれば電波は入らない。これは、徹底的に機密にされているアンダープリズンにとっては好都合なのであろう。ちなみに、その脆弱性ぜいじゃくせいから近代では当たり前になってきたワイヤレス通信の電波も飛んでいない。もっとも、地上との通信手段がないと困るためか、アナログの電話線だけは引かれているらしい。ここの職員である中嶋から聞いた話だと、誰の趣味なのか知らないが、わざわざダイヤル式の黒電話があてがわれているそうだ。


 階段を下ると、その先には少し広くなったスペースがある。ここから乗り心地が非常に悪いエレベーターに乗って、地中へと潜るわけだ。倉科は備え付けの端末を覗き込んで網膜認証を済ませると、怪訝けげんそうな表情を浮かべる二人を尻目にエレベーターを待つ。


「あの警部――。尾崎さんも聞いてましたが、ここって何なんですか?」


 何の説明もなしに、ここまで連れてこられたのだから不安になる気持ちは分かる。事実、倉科だってここを初めて訪れた時は、例えようのない不安感に襲われたものだ。もう二度と地上に戻れないのではないか……。そんな不安感だったことを覚えている。


「アンダープリズンだよ。読んで字のごとく地下刑務所だ。まぁ、正確には拘置所なんだがな」


 エレベーターが到着すると、まず先に二人をエレベーターへと乗せ、そして最後に倉科が乗り込む。扉が閉まり、何度乗っても慣れない不快感を伴いながら、エレベーターは下へと向かって動き出した。縁は辺りをきょろきょろと見回し、なぜだか尾崎はエビチリのタッパーが入った袋を大事そうに抱える。心配しなくとも、誰も尾崎のエビチリを奪ったりはしない。


 実に不愉快な重力の分散を受け、そしてエレベーターの扉は開いた。国をあげての機密施設なのだから、エレベーターくらいしっかりと整備して欲しいものだ――と思うのは、これで何度目だろうか。


 エレベーターを降りた先には、何度見ても扉とは思えない鉄の扉が待ち受ける。人の手では決して開けることができないような鉄扉の向こうにこそ、アンダープリズンが広がっているのだ。倉科の感覚では、この場所こそが現実と非現実の境目だった。


「捜査一課の倉科だ」


 インターフォンに向かって口を開くと、提示を要求される前に認可証をカメラに向かって突きつける。ここでのやり取りには毎度のことながら苛々させられるが、今日ばかりは先手を打ってやった気分だった。もちろん、続けざまに免許証も突きつけてやる。


『――そちらのお二人は?』


 インターフォンから漏れ出す声に、尾崎と縁がカメラを探す。この施設ではどこにいたって監視の目がついて回るわけだが、慣れていないと気味が悪いだけであろう。


「そっちにも話が行ってるだろうが、特例の認可者だよ。法務大臣直々のな――」


 法務大臣……なんて大仰たいぎょうな役どころを出したからであろう。尾崎と縁の挙動が明らかに不審になる。いちから事情を説明してやりたい気持ちもないわけではないが、百聞は一見にしかずとも言うし、説明するよりかは直接見せたほうが話も早い。


「説明は後でする。だから、今は何も聞かんでくれ」


 二人にそう言うと、倉科はインターフォンからの返事を待つ。


『お調べしますので、しばらくお待ち下さい』


 その言葉を残して、ぶつりとインターフォンの向こう側でマイクが切られる音がした。


「まぁ、法務大臣の認可がない限り入れない施設――とだけ説明しておこうか」


 ほんの少し待ち時間ができてしまったからか、尾崎と縁からの視線が痛かった。倉科は場をごまかすかのように呟き落とす。


「でも、どうしてそんな施設に私達を? それに、特例の認可ってことは、私達が法務大臣から認可されているってことですよね?」


 尾崎は「へぇ、そうなんすかぁ」と呟いただけであったが、やはり縁はその程度では納得しないらしい。まぁ、何の前触れもなくこんなところに連れてこられて、法務大臣やらなんやらと言われたら、誰だって疑問に思うであろう。ただし、尾崎のようなタイプを除いてではあるが。


「分からんことばかりだって言いたいのは、俺も理解してるつもりだ。実際、俺も初めてここにきた時は、今のお前達みたいな状態だったからな」


 こんな馬鹿げた話は、どんなに頭の回転が早い奴でも簡単に飲み込むことなどできないだろう。いや、頭の回転が良く、しかも常識人であればあるほど、簡単に受け入れられるものではない。


 縁はキャリア組であるため、尾崎に比べると明らかに頭の回転が早い。尾崎のように大して考えもしない人間のほうが、実のところアンダープリズンの仕組みの理解は早いだろう。常識的に考えてあり得ないことばかりが横行しているアンダープリズンのことを説明したところで、縁はさらに混乱するだけだ。今は曖昧あいまいに話をはぐらかせ、目の前にあるものをしっかりと把握できるようにしてやったほうがいい。


『確認が取れました。捜査一課、尾崎裕二。同じく捜査一課、山本縁。本人確認のため、身分証明書の提示を』


 二人の視線が自然と倉科に集まる。インターフォンについているカメラを顎でしゃくって「カメラから見えるように提示すればいい」とアドバイスをすると、おずおずとそれぞれ免許証を取り出し、順番にそれをカメラへとかざす。


『どうぞ中へ。尾崎裕二、山本縁の両名は特例による認可のため、一度外に出た時点で認可が無効となります』


 相変わらず融通が利かない。マニュアルに沿っているだけなのであろうが、どうにもお堅い雰囲気が気に入らなかった。外界のよそ者を完全に拒絶しようとする空気があるというか――。まぁ、事実外界と切り離された非現実的な施設であるため、仕方がないのかもしれない。


 鉄扉がゆっくりと開き、二人の刑務官が倉科達を出迎えた。こんなところに迷い込む人間など、システム上はあり得ないのだから、常に出入口に刑務官を配備しておく必要もなさそうだが。


「ご苦労様です!」


 何度来ても変わらない台詞に、彼らの仕事が少しばかり不憫ふびんにさえ思えた。ロールプレイングゲームの村人じゃあるまいし、彼らにも別の台詞を吐かせてみたいものだ。


「あぁ、そっちこそご苦労さん。いつも大変だな」


 ねぎらいの言葉をかけたところで眉間にしわを寄せた刑務官は反応しない。手を後ろで組み、足を肩幅に開いたまま、ただただ鉄扉の向こう側を見つめているだけだ。倉科は溜め息をつくと、刑務官の存在に萎縮したようになっていた尾崎と縁に手招きをする。


 鉄扉が閉じる音と同時に二人が振り向いた。完全に外界から遮断されたような気になっているのだろう。


「心配するな。ここから出られないなんてことはないから。用件が終わったら、さっさと帰るぞ――」

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