「なんせ、何もかもが手探りで、何をやるにしてもお前達が第一号だからなぁ。現場の声はできる限り上げるようにするから、不便なことがあったら言ってくれ――」


 アンダープリズン自体でさえ、まだ体制やルールが定まっていないところがあるのだから、きっと0.5係にまで手は回らないであろう。それでも倉科がそう言ってくれるのであれば、甘えておいて損はないのかもしれない。改善するか否かは別にして、この閉塞的な空間に拘束されている鬱憤うっぷんを、多少は晴らせるかもしれない。


「尾崎さんと話し合って、後で書類にして提出しますよ。口で言うには、あまりにも多すぎると思いますので」


 いちいち出退勤の際に人目を気にしなければならない。出勤してもやるべき仕事がない。持ち込む私物についての検閲やルールが曖昧。遠方に出張した際の連絡手段の確立――など、上げ始めればきりがないほど、アンダープリズンと0.5係の規定は曖昧だ。それをここで倉科にひとつずつぶつけるのも、いい時間潰しになるのかもしれないが、倉科だって何の用もなしに、ここに来たわけではないだろう。そっちのほうを優先させてやるべきだ。


「それで倉科警部。今日は何の用で?」


 こんなことを言ってしまうと、まるでアンダープリズンがわの人間のようだ。いいや、実際にアンダープリズンがわの人間になるわけだが、なんだか複雑だった。こんな扱いをされるのであれば、倉科のように兼任のほうが、まだ気も紛れたのかもしれない。


「あぁ、あれから悪食の事件で幾つか分かったことがあってな。色々と報告に来たんだよ。どこかの誰かさんは、この報告を怠るとへそを曲げるからな。別に俺一人でも構わんのだが、お前達はどうする?」


 倉科はそう言いながら、坂田の独房があるだろう方角へと視線を移した。へそを曲げる――というのは坂田のことを指しているのであろうが、正直なところ毎日のように地下に潜り、そして何もすることがないという縁と尾崎も、自覚はないものの、かなりやさぐれていることであろう。これで事件の経過報告もなしに放置されてしまえば、へそのひとつくらい曲げたくなる。共感はしたくないが、坂田の気持ちが分かったような気がした。


「もちろん、さっそく坂田のところに行くっす!」


 尾崎が急にテンションを上げたのは、とりあえず無為な時間を過ごすことを回避できると考えたからなのであろう。事件のその後――逮捕された悪食の供述なども気になっていたことだし、倉科と一緒に坂田のところに行くのを断る理由はない。


「もちろん、私も一緒に行きます」


 常人には理解不能な理由で三人もの人間を殺害し、そして遺体を喰らったという猟奇殺人鬼。中谷美華のその後のことが気にならないわけがない。あの事件にたずさわっておきながら、ここで断るようなことは誰もしないであろう。


 部屋を出る際に、壁に埋め込まれる形で据え付けられているロッカーのロックを、認可証で解除する。このロッカーは普通のロッカーとはわけが違い、私物などを仕舞っておくものではない。それこそ、認可証を読ませなければならないくらいの物騒なものが入っていた。それは――拳銃と模擬弾だ。


 これまでは刑務官がそれらを管理し、必要に応じて手渡してくれていたが、そのような対応をしていたのは、あくまでも倉科が兼任であり、完全に内部の人間ではなかったからだそうだ。しかし、縁と尾崎は、ここに籍を置く専任であり、内部の人間でもある。それゆえに、任意で拳銃と模擬弾を取り出し、また任意で坂田に面会ができるように、システムが少しばかり整備されたのである。それでも、まだまだ改善する点は多いのであろうが、このシステムを導入したことにより、刑務官の仕事がひとつ減ったことだけは間違いない。


 尾崎と縁は拳銃を取り出すと、それに模擬弾を詰める。これのおかげで、刑務官達との繋がりが更に希薄になったような気がするのは縁だけなのだろうか。もっとも、ここに積極的に顔を出してくれる中嶋に関しては、これまでと変わらずに付き合いがあるのだが。


「行きましょう」


 アンダープリズンに出入りする際には、相変わらず面倒な手続きをしなければならないわけであるが、このアンダープリズンの中ともなれば、0.5係も一定の市民権は得ている。坂田に面会するにも刑務官の立ち会いが不要になったし、拳銃も任意で持ち出すことができる。ちなみに、悪食とやり合った際には、まだこれらのシステムの整備が追いついていなかったため、中嶋に頼み込んで拳銃と模擬弾を持ち出したという経緯があった。アンダープリズンの備品を外に持ち出すなんて、よくよく考えれば大胆なことをしたと思っているが、これもまたアンダープリズンの体制に不備があるからこそ成り立ったものだ。


 何枚もの鉄格子を認可証で開けながら進む。そして独房の前へとたどり着くと、三人でアイコンタクトを交わした。この瞬間の緊張感というものは、どれだけ慣れても薄れはしないのだろうか。


 意を決して認可証を読ませると、三人で固まって独房に飛び込む。今日の坂田はベッドの上に腰をかけ、待っていたとばかりに、こちらを見据えていた。


「くくっ――そろそろ来る頃だろうと思ってたんだ」


 毎日毎日、坂田はただただ無為な一日を過ごしている。それこそ、縁や尾崎とは比べ物にならないような無為な一日を。ある意味、これが坂田に対する罰なのではないかとも思う。刑務作業もなければ、規律正しい生活が強要されるわけでもない。良い言い方をすれば自由なのであるが、この小さな独房の中で与えられる自由など、きっと苦痛でしかないだろう。時間を潰す手段もないし、当然ながら娯楽もない。ゆえに、彼にとって事件の報告なんてものは、最大のエンターテイメントである。


 縁と尾崎は拳銃を構え、そして倉科は鉄格子に歩み寄る。報告がないとへそを曲げる坂田。アンダープリズンで無為な時間の辛さを知った縁は、なんとなく坂田がへそを曲げる理由が分かったような気がした。まぁ、同情する気は微塵もないのだが。


「あぁ、例の事件の報告に来てやったんだよ。ありがたく思えよ」


 倉科の言葉に気分を悪くするような様子もなく、にたりと笑みを漏らす坂田。何もすることがなく、ただただ時間を潰すばかりの毎日を過ごしているだろうから、このような変化が嬉しいのであろう。それにしても不気味な笑いである。


「随分と上から目線で物事を言うなぁ。お前、いつからそんなに偉くなったんだよ?」


 そう言って悪態をつくが、けれども本人は楽しそうだ。このまま話に乗ってやっても坂田が喜ぶだけであるし、下手をすると呑み込まれてしまう恐れもある。それは倉科も分かっているのか、あえて坂田の言葉を無視して切り出した。


「今回の事件で逮捕された中谷なんだが、いまだに犯行を全面的に否定しているそうだ。いや、犯行そのものは認めているみたいなんだが、それがどうして罪になるのか理解できていないらしい」


 あぁ、そうだろうな――。倉科の言葉に、縁は妙に納得してしまった。対峙した時も、先生は自らの罪を罪だとは思っていなかった。法的な観点から見て、警察に捕まるということはルールとして知っているが、人を殺すという行為が罪であると認識している様子は見受けられなかったから。


「責任能力はあるだろうが、精神鑑定に回されるだろうなぁ。着々と裏付け捜査は進んでいるみたいだし、中谷が犯人である証拠も続々出てきているそうだ」

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