「――倉科の奴は相変わらず元気か? まぁ、あいつのことだからピンピンしてるんだろうがな」


 安野はそう言うと、無精髭をたくわえた顎をなでながら笑みを浮かべた。悪い言い方をすれば、だらしがないという印象は変わらないのであるが、良く捉えるのであれば、ざっくらばんとしていて豪快なイメージがある。倉科とはまるで違うタイプであることは間違いない。


「えぇ、ピンピンっす! あの人は多分、殺しても死なねぇす! 細かいことでお説教をしてきますし」


 倉科がいないことを良いことに、言いたい放題の尾崎。説教をされるのは、尾崎が怒られるようなことをするからではないか――とは、さすがに会ったばかりの安野の前では言えなかった。


「――そうか。あいつは昔から変なところで細かいからなぁ。まぁ、本人に悪気はないんだ。これからも上手いこと付き合ってやってくれ」


 安野はそう言うと、駅の外のほうへと視線を移す。


「とにかく、こんなところで立ち話ってのもよろしくない。二人とも、飯は?」


 どうやら食事に誘ってくれているようだ。そこで事件の話をしてくれるのであろうか。内容が内容なだけに、公の場で話すようなことではないように思えるのだが――。そこで尾崎から分けて貰った駅弁に手をつけていなかったことを思い出すが、もはや後の祭りである。きっと今頃、車窓の景色を眺めながら新幹線に揺られているに違いない。


「まだっす! 言われてみれば、腹も多少は減ってるような気がするっす!」


 あれだけ駅弁を食っておきながら、尾崎は何を言っているのだろうか。その底なしの胃の容量に呆れながらも、縁は自分も食事がまだであることを示すかのごとく小さく頷いた。


「そうか。だったら今のうちに詰め込んでおいたほうがいいな。近場に美味い定食屋があるから寄って行こう。今回、お前さんがたにわざわざ来て貰った案件――この近辺で起きている事件の話を聞いたら、多分しばらく飯が喉を通らないだろうからな」


 そう言った安野の顔からは、ついさっきまで浮かべていた笑顔が消えていた。まだ公表さえもされていない猟奇事件。食人事件であるということ以外は何も知らされていないため、どうしても想像だけが先行してしまう。察するに、かなり酷い事件のようだが。


「それにしても、そっちの署に猟奇殺人事件専門のエキスパートがいるなんて驚きだな。やっぱり都会のほうは組織体そのものが違うのかねぇ。倉科が応援がどうこう言いだした時は、なんだかと思ったが」


 むろん、猟奇殺人事件を専門に取り扱うチームなんて存在しない。ただ、倉科がどう言ったのかは知らないが、縁と尾崎という存在は、0.5係としてではなく、そのような形で安野に伝わっているようだ。やはり、機密部分は隠して接するべきだろう。


「えぇ、私達で力になれるといいのですが――」


 それとなく話を合わせつつ、安野に促されて駅の外へと向かう。駅の外は正しく駅前通りといった具合であるが、昔からやっているであろう商店が軒を連ね、ゆっくりとした時間がすぎているような気がした。駅で行き交っていた人々のほとんどは、どうやら乗り換えの客らしい。あれだけの人がいたが、この土地そのものに用事がある人間は少ないようだった。外に出ると別世界のように静かであるが、神座のことを都会と呼べるほど田舎でもなさそうだ。


 この辺りは親不知おやしらずという地名になるそうだ。駅名もしっかりと親不知駅であるし、近くには子不知こしらずという地名まである――とは倉科の言葉である。警察学校の同期であるがゆえに、たまに互いの近況を報告し合っているらしく、倉科も安野の話をする際は懐かしそうに目を細めていた。なんだか、この地で猟奇殺人事件が起きたのは、偶然ではないように思える。なんたる因果なのであろうか。


「とりあえず飯を食って、それからうちの署の警察寮に案内しよう。空き部屋が幾つかあるから、こっちに滞在している間は好きに使って貰って構わない。本題は――そうだな。その後にしよう。少しばかり休んで貰ってからにしたほうがいい。そのほうが都合もつけやすいだろうし」


 駅前通りを歩きながら、今後の予定をざっと並び立てる安野。こっちでの生活のことは心配ないとのことであったが、どうやら警察寮をあてがってくれるらしい。まぁ、これは大方で予想ができていたことであるが。


「いいや、できることならば今すぐにでも事件に着手してぇっす! なんせ――自分はエキスパートっすから」


 エキスパートと呼ばれて気を良くしたのか、あえてその部分を強調する尾崎。安野は笑みを軽く浮かべて「頼もしい限りだが、そう慌てることもないさ」と呟いた。ここへとやって来た目的は、この地で起きた猟奇殺人事件の捜査ではあるが、到着して一息つく間もなく取りかかるというのは、さすがにヘヴィーだ。安野にも安野の都合があるようだし、今はその言葉をありがたく受け取っておくべきだ。


 安野の行きつけだという定食屋に連れて行かれ、食事をしながら、こちらでのおおまかな流れの説明を受ける。生活する分には警察寮で全てをまかなえる。そして、元より安野の署は人手不足らしく、縁と尾崎は単純に他の署から借りた応援の助っ人という形で話をまかり通すつもりらしい。


 実際の立場を隠して他の署に潜り込む――なんて、倉科は大袈裟なことを言っていたが、その辺りの段取りはしっかりと組んでくれていたようだ。もっとも、その権限が倉科と安野の二人にあるとは思えないし、きっと目に見えない不思議な力が働いているのだろうと思う。そう、0.5係を後押しする強力な後ろ盾の不思議な力が――。


 とにかく、実働する立場である縁が、そこまで深く考えることではないのだろう。様々なしがらみと、飛び交う思惑のなか、アンバランスな格好で0.5係は立っているのだろうから。


 あれだけ駅弁を食べたというのに、ぺろりと生姜焼き定食を平らげた尾崎に、これはこれで軽い事件であると思いながらも、縁は焼き魚定食をいただいた。人間にとって食事というのもは、生きていく上で必要不可欠なものだ。ただし、人の肉を食わずとも人は生きていける。もしかすると、肉関係の定食を避けて頼んだのは、根底に食人による殺人事件があったからなのかもしれない。


「さて、行こうか――」


 ここは安野が財布を出してくれ、近くにあったパーキングに停めてあった安野の車に乗り込む。そのまま向かった先は警察寮で、二人はそこに案内された。男女で棟が分かれているらしいのだが、緊急時のフットワークを軽くするためと、さほど縁が気にしないタイプであったため、尾崎の隣の部屋をあてがって貰うことにした。緊急時がないことを祈るだけであるが、ここには0.5係という使命を持って来ている。へまをしないためにも、あらゆる事態を想定して、それに見合った環境を作り上げておく必要があるだろう。


 部屋に荷物を置くと、しばらく待機ということで、部屋の中で待たされることになる。殺風景の中に、申し訳ない程度に備え付けられているテレビを点けてみるが、つまらなくてすぐに消してしまった。


 後で迎えにくる――そう言って二人の元を離れた安野が顔を出したのは、もう暗くなってからのことだった。安野としては二人を少し休ませてやろうという気遣いがあったのかもしれないが、0.5係という責任感もあってか、妙に神経が高ぶり、ちっとも休んだ気にはなれなかった。


 再び安野の車に乗り込むと、安野は夜の街へと車を走らせた。どこに向かうのか問うと「まぁ、隠れ家みたいなもんだ」との答えが返ってきた。車は栄えているであろう街の中心地をそのまま走り抜け、寂れた郊外のパーキングへと入る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る