「うん、難しいことは良く分からないけど、チョンマゲ君の負けってことだね。うん、敗者チョンマゲ!」


 尾崎と流羽のやり取りを見ていた桜が、柔道の審判を真似るかのごとく、流羽のほうに向かって手を挙げた。そもそも、なんの勝ち負けを競っているのか、良く分からないではないか――。そんな言葉が喉まで出かかったが、ぐっと飲み込んだ。しかし、勝ち負けとなると変に熱くなるのが尾崎という男だ。


「まっ、負けてねぇっす! 自分のほうが大人ですからぁ、折れてあげただけっすもんねぇ」


 なんの勝ち負けなのかは全く分からないが、明らかな負け惜しみを口にする尾崎。


「ならば、わたくしの論拠を崩すことも可能なはずです。反論は受け付けると宣言しておりますし、どうぞお好きなように反論していただいても結構です。ちなみに、精神的な年齢に限って言えば、わたくしのほうがチョンマゲさんよりも大人かと」


 流羽も流羽で、ここは大人の対応をしておけばいいというのに、さらに尾崎の神経を逆撫でるかのような言い草をさらす。両者ともに変な部分で譲ろうとしない辺り、どちらも子どもである。そしてぽつりと「いいぞ、もっとやれ」と腹黒い一言を呟いた桜もまた、大人であるとは言えない。


「ひっ、人のことをチョンマゲって言ったほうがチョンマゲだって、学校の先生が――」


 わけの分からない反論を尾崎が始めた時だった。ドンと音がして、テーブルがビリビリと震えた。縁も含め、一斉に視線を音のしたほうにやると、テーブルの端っこに座っていた体格の良い男性が、こちらを睨んでいた。


「賑やかなのは結構なことだが、ここは貴様達しかいないわけではないことを理解してくれんかな? 静かに食事をしたい人だっているんだ」


 ソフトモヒカンと呼ばれるヘアースタイル。尾崎と比べても背が高く、また恰幅が良い。スプーンを持っているが、それが玩具のスプーンであるかのように小さく見えるのは、それだけ体が大きいせいなのであろう。


「お気に障ったのであれば謝ります。申し訳ありません。楠木守衛長」


 縁はその威圧感に思わず言葉を失ってしまったが、良くも悪くも常に平常運転の流羽が、深々と頭を下げた。


 確か名前は楠木平くすのきたいらだったと思う。アンダープリズンの出入口――いつも面倒な手続きを踏まされるところで、眉ひとつ動かさずに仁王立ちをしているイメージが強い。強面であり、その圧倒的な存在感であるがゆえに、直接的な接点はないものの、彼のことは知っていた。中嶋いわく、かなり情に厚い人らしいのであるが、はっきり言って縁の中での印象は最悪だった。あまり0.5係のことを快く思っていないことが、雰囲気からも伝わってきていたからだ。


「そもそも、食事が支給されないのなら、ここで0.5係が食事をとる必要もない。ちゃんと自分達の部屋が与えられているのだから、そこで大人しくしていればいいんだ」


 案の定、0.5係に対する皮肉を口にする楠木。彼の発言には、このような露骨なものが多々見受けられる。そこまで言葉を交わすこともないのだが、顔を合わせる度に何かと理由をつけてバッシングをしてくる。


「守衛長、お言葉ですが、0.5係がこのスペースを使用してはならないという決まりはありません。そして、ここは貴方の所有物ではないゆえに、彼女達がここを使用することを拒否する権利もございません。その発言――訂正されたほうがよろしいかと」


 ここで顔色ひとつ変えずに反論に出たのは流羽である。彼女は彼女の中にある理論を持ち出しているだけであり、決して0.5係をかばおうとしているわけではないのだろう。それが分かっていても、なんだか嬉しい。


「ふん、ここには変わり者が多くて堪ったもんじゃない」


「守衛長のおっしゃる変わり者の基準とは何なのでしょうか? ごく一般的な常識の範疇で立ち振る舞っているのに、そんなことを言われる筋合いはございません」


 楠木の言葉に間髪入れずに反論を挟み込む流羽。桜が「るぅるぅ、やめときなよぉ」と、仲裁に入るが、流羽は鋭い視線を楠木へと向け、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。


「――付き合っておれん」


 楠木は舌打ちをすると、途中だった食事をトレイごと持ち上げ、別の場所へと移ってしまった。桜が小さく溜め息を漏らし、流羽は何事もなかったかのように食事を再開した。楠木に反論のひとつもできなかった縁は、なんだか自分達のせいで場の空気が悪くなったような気がして申し訳なかった。


「ここ、いいかい?」


 席を移る楠木と入れ違いでやってきた男が、トレイを持ったままの状態で縁に問うてきた。その男は黒ぶちの眼鏡をかけており、長身でひょろりとした男だった。流羽が口を開こうとするが、それより先にさっさと答えてやる。


「え、えぇ――どうぞ」


 黒ぶち眼鏡の男のことは縁も知っていた。恐らく、アンダープリズンで顔見知りになり、多少なりとも挨拶を交わすようになった人間の中では、彼がもっとも中嶋に近いポジションにいるのかもしれない。なんでも、中嶋とは同期とのことらしいし。


「彼は昔からあんな感じでね。妙に仲間意識が強いというか、余所者に対してきつく当たりたがるんです。もう0.5係だってアンダープリズンの一員なのにね」


 名前は、うろ覚えで申し訳ないが善財翔輝ぜんざいしょうきだったと思う。珍しい苗字という印象が強いため、下の名前のほうがおぼろげになってしまうのは仕方がないであろう。ちなみに、桜は善財のことをと呼ぶ。安直ではあるがなだけに――。中嶋ほど馴れ馴れしくはないが、しかしフレンドリーな印象のある男だ。歳も中嶋と近かったはずである。


「まぁ、自分達は何かが起きなければ仕事をしない昼行灯みたいなものっすから――」


 尾崎の言葉通り、確かに普段の0.5係は昼行灯のような存在だった。だから、楠木の気持ちは全く分からないわけではない。基本的にここの職員は、何ヶ月もアンダープリズンに閉じこもって仕事をしているというのに、縁と尾崎は毎日決まった時間に地下に潜り、そして大した仕事もせずに定時まで過ごし、時間になれば外の世界へと戻っていく。これを快く思わない人間がいても不思議ではないだろう。


「でも、有事の際にはしっかりと結果を出しているじゃないですか。やるべきことはやっているし、あそこまで邪険に扱わなくてもいいものを」


 離れた席へと動き、仏頂面で食事を口へと運ぶ楠木の姿へと視線をやる善財。アンダープリズンに従事する者同士であっても、全ての人間が互いに馬が合うわけではない。中嶋は楠木のことはそこまで悪く思っていないようだが、善財は楠木を快く思っていないように見える。邪推ではあるが、流羽も楠木のことを好意的な目で見ているようには思えない。個人がひとつの集団になる時、必ず軋轢あつれきや歪みが生じてしまうものだが、人間が集まっている以上、このアンダープリズンも例外ではないのだろう。


「――そういえば、中嶋さんは? 今日はまだ姿を見てないような気がするんですが」


 そこでふと、中嶋の姿がないことに縁は気付いた。たまにではあるが、朝には縁達のところに顔を見せに来る時もあるし、昼休憩ともなれば決まって姿を現わすはずなのに――。今日に限っては食堂を見回しても姿が見当たらない。


「あぁ、中嶋だったら特外――特別外出中ですよ。確か昼過ぎまで戻らないはずです」


 特別外出――。このアンダープリズンの勤務体制や勤務に関係するシステムなどは、いまだに知らない点が多い。


「へぇ、ここは数ヶ月ごとの交代勤務だって聞いていたっすけど、外に出ることもできるんすねぇ」


 当然、尾崎もそんなシステムがあることを知らなかったようだ。てっきり、交代の時期になるまでアンダープリズンで缶詰状態になると思っていたのに。


「こんな地下でずっと暮らしていたら、精神衛生上よろしくないからねぇ。だから、申請制にはなるけど、交代で外出できるシステムがあるんですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る