できるだけ二人の不安を取り除いてやる。自分がここを初めて訪れた時は、誰もしてくれなかったことをやってやりたい。慣れてしまったものの、倉科もここを初めて訪れた時があるわけで、その時に感じた不安感は今でも忘れない。


「中嶋ぁ! いるんだろう? 話は通っていると思うから案内してくれ!」


 表情ひとつ変えない刑務官のことは諦めて、倉科は刑務官が詰めている部屋の前で中嶋を呼んだ。別に案内してくれれば中嶋でなくとも良いのであるが、二人の不安を少しでも和らげるには、中嶋のようなキャラクターが最適であると考えた。他の刑務官にもう少し愛想があれば、こんな気遣いをする必要もないのに。


「そんな大きな声で呼ばれなくても分かりますって。こっちに来るなんていきなり連絡があったもんだから待ってたんですよ。法務大臣直々のお達しの上、他の連中は九十九殺しと顔を合わせたがらないときたもんです――。全く、損な役回りですよ」


 倉科が呼びかけてしばらくしない内に、中嶋が詰め所から出てきた。尾崎と縁のほうを一瞥いちべつすると、実にフレンドリーな様子で二人のほうに歩み寄った。


「やぁやぁ、お二人さんが噂の【ハンテン】候補ですか。いやぁ、こちらの方は体を随分と鍛えていらっしゃるようで、心強い。それに、キャリア出身だからと身構えていましたが、こんなにお綺麗な方がおいでになるなんて――。このしみったれた地下空間に咲いた一輪の花ですよ。いや、仕事に対するモチベーションが上がります」


 砕けた調子で尾崎と縁に握手を求める中嶋。そんな中嶋に圧倒されるかのように、握手を返す二人。少しでも気さくなやつをと気を利かせたつもりだが、人選を失敗したかもしれない。普段はここまでハイテンションではないのだが――。やはり縁がいるからか。


「あの――ハンテンってなんですか?」


 縁の問いかけに、中嶋は得意げな表情を浮かべた。どうやら、二人がすでに0.5係に配属されるものだと思って話をしているらしい。まずいと思った時には、中嶋のマシンガントークが止まらなくなっていた。


「おや、ご存知ない? てっきり倉科さんから聞いていると思ったのに――。あのですね、ハンテンというのは警察組織の中に秘密裏に設けられた係の俗称でしてね。普段は0.5係と呼ばれていますが、0.5は1の半分で、小数点がついているでしょう? ですから、いつしかハンテンと呼ばれるように……」


「あー、中嶋。今日はあれだ。こいつらは体験入店みたいなもんだから、余計なことは喋らんでいい」


 しまったと思った。アンダープリズンの入り口にヘルス店なんてあるものだから、体験入店なんて言葉が口から出てしまったわけであるが、尾崎と縁から――主に縁から白い目で見られていることが、ひしひしと伝わってきた。それを咳払いでごまかす倉科。きっとごまかしきれてはいない。


「あ、それじゃあ――この話題はまずかった……ですね」


 バツの悪そうな表情を浮かべた中嶋に、倉科は無言で頷いた。まだ正式に辞令が出たわけでもないし、勝手に決定事項となっているものを覆そうとしているわけだから、この二人に余計なことを吹き込む必要はない。もっとも、ここまで来たら機密もへったくれもないのだが。


「とにかく案内してくれ。規約上、ここの人間が同伴しなければ、あいつとの接見もできんからな」


 倉科と中嶋のやり取りに、ただただいぶかしげな表情ばかりを浮かべる二人。縁は勘が良さそうだから、この時点である程度のことには気付いているのかもしれない。ここがどんな施設なのか、そして倉科が二人に会わせようとしている人物は誰なのか。もう察していてもおかしくはないだろう。


「あ、はい。では、こちらに――」


 中嶋の表情からは「やってしまった」といった感じの色が強く出ていた。先ほどの会話は残念なことに機密のろうえいにあたる。倉科のように開き直っていれば話は別だが、普段から機密に縛られている人間からすれば、口が滑ったどころの話ではないだろう。


「あの、倉科さん。さっきのやり取りのことは……」


「心配するな。俺もいちいち人の粗を探して言いふらすほど暇じゃない。万が一問題になるようなら俺のせいにすればいいさ」


 開き直った人間は強い。こっそりと口止めをお願いしてきた中嶋とは違い、怖いものなんてなかった。最終的に全部法務大臣のせいにしてしまう気でいるのだから当然だ。いまさらひとつやふたつ責任が生じたところで何も変わらない。


 中嶋を先頭に歩き出した。階段を降り、幾つもの扉を潜り、また階段を降りてようやく到着する。何枚もの鉄格子が並ぶ細長い廊下は、いつ眺めても気持ちの良いものではない。淀んだ空気が吹きだまり、まるで人を飲み込もうとせんばかりに手招きをしているようだった。


 尾崎と縁も、この異常な状況に何かを感じたのであろう。理屈やそんなものではなく、恐らく本能的な部分でだ――。


「この先の認証は、倉科さんが行ってくれれば、お二人も一緒に中に入れるようになっています。では、いつものごとくこれを……」


 中嶋はそう言うと、腰に巻いたホスルターから一丁の拳銃を引き抜き、それを倉科へと手渡してきた。その光景を眺める尾崎と縁は、さらに不安の色を濃くさせた。


「そんな不安そうな顔をするな。中に入っているのは模擬弾だし、戦場の真っ只中に向かおうってわけでもない。こいつはお守りみたいなもんだ」


 できる限り不安は与えたくないが、こんな訳も分からないような地下へと連れて来られ、幾つもの鉄格子が並んでいる廊下で、挙句の果てに上司が拳銃を装備したのだから、不穏なものを感じないわけがない。焼け石に水なのかもしれなかった。


「尾崎、山本――。ただ、これだけは言っておく。絶対に俺より前には出るな。いいな?」


 二人の返事も聞かずに、倉科は認可証を認証機にかざした。重々しい鉄格子がスライドする。中嶋の「お気をつけて」の言葉を背に倉科が足を踏み入れると、やや躊躇ちゅうちょしたのちに尾崎と縁もついてきた。鉄格子が閉まる。


「警部、そろそろ話して貰えませんか? 私達に会わせたい人って……」


 鉄格子を抜けると再び認証機に認可証をかざし、次の鉄格子を開ける。この淡々としていながら、何かおぞましいものへと近付いていくことに耐え切れなくなったのか、縁が口を開いた。


「さっき、お前達に聞いただろ? あの九十九殺しが生きてたらどうするってな――」


 鉄格子をくぐり、認証して鉄格子を開けて、またくぐる。それを繰り返しながら、倉科は答えてやる。


「まさか、本当に……」


 普段はおちゃらけている様子の尾崎も、流石にこの雰囲気に圧倒されてしまっているのだろう。その声が少し震えているかのように思えた。


「俺からのアドバイスだ。まず、目はできる限り合わせるな。あいつには独特のカリスマ性みたいなもんがある。不用心に接すると取り込まれてしまう恐れがあるからな――。後、あくまでもこちらが上だという意識を持て。それと、さっきも言ったが俺より前には出るな。もっと正確に言えば、あいつのいる鉄格子には極力近付くな」


 鉄格子を全て抜けると、重厚な鉄扉が三人を出迎えた。鉄扉の隣にあるボックスに認可証を読ませると、開いたボックスの中からケーキ箱を取り出した。ご丁寧に【検閲済】と判子が押されているが、焼きプリンの何を検閲したのだろうか。アンダープリズンのシステムは、それら全てが機密の上で成り立っているせいで、たまにこのようなトンチンカンなことが起きるのだ。この場所に運び込まれた焼きプリンですら機密扱いだ。


 ちなみに焼きプリンは、この近辺では評判の菓子屋である宝文堂のものだ。予め倉科が中嶋に頼んでおいたものだった。九十九殺しへの手土産である。要求通り、焼きプリンの上に乗っているクリームは、チョコとプレーンのミックスだ。

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