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「間違ってなんていません。私が分かっている限りのことを正確に書き起こしたつもりですから――」
坂田に対しても思わず敬語が出てしまい、なんだか負けてしまったような気分になる縁。坂田には敬語など使うまいと心掛けているのだが、疲れのせいかそこまで気が回らないらしい。
「だとすればおかしい……。俺の推測が正しければ、この第三の犠牲者は、そもそも犠牲にならなかったはずだ」
ぶつぶつと呟きつつ、その長い髪をかきあげると、額に手を当てる坂田。ベッドの上で片膝をつき、縁が作成した資料を凝視しながら固まってしまった。
「坂田――それは一体どういう意味だ?」
坂田のスイッチがオフからオンに切り替わったからなのか、改めて銃口を坂田に向けながら問うたのは倉科だった。いつも思うことだが、意見を求めるべき相手に対して銃口を突き付けるという絵面は、シュールというか珍妙な光景である。アンダープリズンではこれが当たり前になっているが、一般的な感覚からすれば、明らかにおかしな光景であることだろう。
「今回の事件の犯人は、ただ闇雲に犠牲者を選んでいたわけじゃねぇんだよ。あるこだわりがあって、その条件に見合う人間を厳選して犯行に及んでいたと思われる。しかし――どうにも、第三の犠牲者にはそれが当て嵌まらない。惜しいんだが、条件から外れてんだよ」
犯人――悪食は、犠牲者を選定した上で犯行に及んでいた。事件の全貌から、犯人が特別なこだわりを持っているであろうことは、縁も薄々感じてはいたのだが、坂田はもっと明確なこだわりを見抜いていたようだ。
「そういえば、第三の事件は他の観点から見ても、これまでの事件とは明確に違う点が――」
そこで縁は、他の事件には当て嵌まらない、第三の事件にのみ見られる特異性に着目した。それが浮き彫りにされている資料を坂田のほうへと差し出す。それは、麻田からコピーして貰ったレシピだった。すっと立ち上がった坂田は、鉄格子の間から差し出したレシピを、それこそ目にも止まらぬ速さで引ったくり、元の場所へと戻る。縁が拳銃を構える暇がないほどの速さでだ。やはり、九十九殺しの異名は伊達ではないということか。鉄格子の向こうにいるのが凶悪殺人鬼であることを再認識した。
「尾崎さんから聞いたけど、坂田の推測だとレシピの書き方にも一定の法則があったはず。一文の文字数が偶数で統一されていたり、三点リーダーを境界に文字数が左右均等に振り分けられていたり――。でも、第三の事件現場に残されていたレシピには、その法則が通用しない。これまでの法則が崩れてしまっている」
なんだか倉科が置いてきぼりで申し訳ないが、とにもかくにも今は坂田と自分の推測の擦り合わせをしておきたい。
「――くくくっ。ひゃっはっはっは! これはまた随分と極端に法則から外れたなぁ。いや、分からねぇ。どうして第三の事件だけ、こうも法則から外れてんのかよぉ!」
第三の事件によって、坂田の中での推測が崩れてしまったことは明白。しかしながら、本人は実に楽しそうだ。心の底から笑っている辺り、どういう神経をしているのか覗いてみたいところだ。
「あー、腹が痛ぇ。こんなに理解不能な事件、久しぶりだわ。だが、これをやったのも所詮は人間、何かしらの理由があるんだろうなぁ」
坂田はレシピのコピーで紙飛行機を折ると、それを縁達のほうに向かって放り投げた。しかし、バランスが悪かったのか、鉄格子に届く前に床へと落ちてしまった。それを見て再び坂田は大笑い。その笑いのツボがどこにあるのか教えて欲しい。
「――とにかく、これだけで事件を判断するってのはよろしくない。まだ、幾つか材料を持ち帰ってんだろう?」
散々と笑ったせいか、何度か咳き込みながらも、縁に材料の提示を求める坂田。むろん、持ち帰った情報はこれだけではない。むしろ、メインが残っていた。縁は鉄格子から離れてスマートフォンを取り出す。坂田に奪われてしまうのを避けるためだ。この中に重要な情報が入ってはいるものの、基本的には縁の私物である。それを奪われるなんて堪ったものではない。
「これを聞いて欲しい――」
縁はボイスメモを再生し、コンクリートで固められた独房の中に音が反響する。坂田はぴたりと動きを止めて耳を澄まし、そして倉科は溜め息混じりに耳を傾ける。
「なんだこりゃ?」
男とも女とも取れる甲高い声は、それだけでかなり不気味なものがあって、聞き終えた倉科が目を丸くしながら声を上げる。
「第三の事件の犠牲者が残してくれた――恐らく犯人の肉声です。このボイスメモにも幾つか特筆すべき点が……」
「最初のほうに出てくる、エックスがなんやらってくだりは、対称式だな。それと、口にしている料理の名前が、実際のレシピのものと異なっている。そして――」
縁の言葉に覆い被せるかのごとく口を開く坂田は、そこで一旦言葉を区切り、にたりと笑みを浮かべてから、なぜだか力強く言い放った。
「やけに
なぜゆえに、そこを強調したのか。確かに、坂田の言う通りボイスメモの声は吃りがちだ。分かりやすいほどに吃っている。しかし、それは事件とは関係ないことであって、これでもかと主張しなければならない部分ではないだろう。
縁が注目したのは、対称式と料理の名前だった。特に、実際のレシピで採用された名前と、ボイスメモに残されていた料理の名前が異なることに着眼していたが、どうやら坂田が目をつけたところは、そこではないらしい。確かに、やけに吃っている印象はあるが、そこまで気にするような点ではないようにも思える。
「坂田、この吃りがどうしたっていうんだ?」
もはや蚊帳の外へと追いやられようとしている倉科が、なんとか話に入ろうと食らいつく。それを見て、坂田は鼻で小さく笑ってから口を開いた。
「吃りかただよ。吃りかた――。分からねぇかな? こいつの吃りかたにはよ、一定の法則があったりするんだよ」
坂田はボイスメモから何を掴んだのか。ただ、核心部分を話さず、ちょっとだけ曖昧に表現したことから察するに、きっと問いただしても本人は教えてくれないのだろう。どうせ「それくらい自分で考えろ」と言われるのが関の山だ。
「まぁ、こいつも犯人を絞り込む材料にはなりそうだな。だが、まだだ。まだ分からねぇことが多い。とりあえず、持って帰った情報を全部出せよ」
いや、持ち帰った情報はこれで全てである。あえて残っているものを挙げるとするのであれば、坂田が調べるように尾崎に指示を出した事項について答えくらいだ。
「ここからは坂田が尾崎さんにお願いしていた事柄に関する報告になる。まず、第一の犠牲者に恋人がいたのか、もしくは既婚者だったのか――。どうして、こんなことを調べる必要があるのか分からないけど、答えはイエスだった。既婚者ではなかったけど、婚約者がいて、プロポーズを受けたばかりだった」
うっかり坂田に対して敬語が出てしまわぬように注意を払いながら、調べ上げたことを淡々と報告する。
「やっぱりなぁ。俺の読んだ通りだ。それで、第二の犠牲者の足取りは?」
足取り――と言われても、直近のものしか安野から教えて貰っていない。もっと調べることもできたのであろうが、尾崎からバトンタッチを受けるようにして戻ってきたものだから、時間がなかったと言い訳をしたいところだ。
「直近の足取りしか分かっていないけど……」
続けて縁が第二の被害者の足取りを説明すると、坂田は「そうじゃねぇんだよ。俺が知りたいのは、もっと細けぇところなんだよなぁ」と、溜め息を漏らしながら呟いた。だったら、もっと具体的に尾崎へと指示を出しておけば良いのに――。そんなことを考えながらパスケースを取り出した。そう言えば、こいつ自体は検閲に通していないが、大丈夫だろうか。まぁ、かつてエビチリが検閲に通されるという珍事が起きたくらい曖昧な基準であるし、まず大丈夫だろう。
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