28

 昨晩からほとんど寝ていないし、ちょっとばかりの仮眠をとっただけ。それなのに、目を閉じても眠りに落ちることはなく、悶々としたまま時間ばかりが過ぎ行く。体は休息を求めているはずなのに、眠ることができなかった。多少、うつらうつらとはしたのかもしれないが、ほとんど眠れぬままに、縁を乗せた新幹線は目的地へと到着した。


 夢のような現実のような――ふわふわとした浮遊感と一緒に新幹線を降りると、改札口を抜けて駅を後にする。頭をすっきりさせようと、見つけた自動販売機で缶コーヒーを購入し、それを一気に飲み干した。


 続いてタクシーを拾い、運転手に「神座まで」と伝える。神座といえば歓楽街であり、地名であるにも関わらず、神座と歓楽街はイコールで結び付けられる。運転手はさも当然であるかのように、歓楽街に向かって車を走らせた。過ぎ行く夜の景色にネオンが混じり始め、そして縁は歓楽街の入り口でタクシーから降りる。料金を支払って領収書を貰うと、縁は夜の歓楽街へと降り立った。


 この街を離れたのは、ほんの少しの間なのに、随分と懐かしいような気がした。歓楽街は相変わらず賑わっており、それ独特の雰囲気が漂っていた。様々な人が行き交う人間交差点――この地下にアンダープリズンがあるなんて、いまだに信じられない。


 倉科はアンダープリズンで待ってくれているのだろうか。スマートフォンを取り出して連絡を試みたが、繋がらない。電源が入っていないか電波が――なんてアナウンスが流れるだけだった。縁はスマートフォンを仕舞うとアンダープリズンへと急いだ。


 人の目がなくなるタイミングを見計らってアンダープリズンに続く扉へと体を滑り込ませた。夜は人通りが多くてタイミングが難しい。風俗店の前でタイミングを見計らっていた縁の姿は、果たして通行人からどんな目で見られていたのやら――。どうして、こんなところにアンダープリズンの入り口を作ったのであろうか。


 いつも通りの手続きを済ませると中嶋が出迎えてくれた。案の定、倉科は坂田のところにいるらしい。縁は持ち帰った情報を検閲のほうに通すように願う。スマートフォンという個人の通信機器を検閲に通すということに難色を示されたが、なんとか頼み込んで検閲に通されることになった。この辺りも明確なルールがなく、現場判断のどんぶり勘定だ。もしかすると倉科の口利きが事前にあったのかもしれないが。


 しばらく待たされた後、検閲に通ったとのことで資料とスマートフォンを渡される。さすがにスマートフォンは個人の持ち物であるし、レシピや自作の資料は封筒に入れずに持ってきてある。それもあってか、検閲済の判子は押されていなかった。きっと検閲の決まりも曖昧で、下手をすれば判断基準だって現場任せなのかもしれない。出入りする時のルールだけは厳格に取り決められているくせに。


 中嶋に案内されて地下へと潜り、そして鉄格子の前で模擬弾の入ったリボルバーを手渡される。縁は中嶋に向かって小さく頷くと、見送られる形で何枚もの鉄格子をくぐった。そして、独房の前で小さく息を吸って「よし」と気合を入れ、認可証を読ませた。今回ばかりは妙に出番の少ない検閲ボックスが、少しばかり寂しそうだ。


「ただいま戻りました」


 そう言うと同時に拳銃を構えねばならないとは、これいかに。坂田に対する牽制なのは分かっているが、どうにも物騒な習わしである。毎回、ここの出入り口が開く度に、まずは拳銃を突き付けられてしまうことになる坂田は、果たしてどんな思いで出迎えているのだろうか。もっとも、本人の様子から察するに、拳銃の存在を気にしているようには見えないし、ただの飾りだと思っているのだろうが。


「――思ったより早かったな」


 壁に寄りかかっていた倉科が口を開く。普段ならばずっと構えたままの拳銃は、なぜだか降ろされてていた。その理由は坂田を見れば一目瞭然。――寝ているのだ。ベッドの上で、これでもかと言わんばかりに大の字になり、すやすやと寝息を立てている。


「つまんねぇから寝る――だとさ。どう考えても、親不知からここに来るまで時間がかかるって何度も説明したんだが」


 どうやら坂田は待ちくたびれて眠ってしまったらしい。幾ら時間に縛られないからとはいえ、あまりにもフリーダムすぎる。そして自分勝手すぎる。人が必死になって戻ってきたというのに、寝顔で出迎えるなんて――。まぁ、相手は坂田だから、仮に文句を言ったところで馬の耳に念仏だ。とにもかくにも、どんな神経をしているのだろうか。


「――ごちゃごちゃとうるせぇなぁ」


 突如として、むくりと上半身を起こすと、不機嫌そうに目をこする坂田。人を呼びつけ、そして勝手に寝ていたくせに、随分と偉そうな言い草である。


「人が寝てるってのに、どうして黙ってられねぇかなぁ。常識ってもんを考えろよ。常識ってもんを」


 坂田の口から常識なんて言葉が飛び出すとは思っていなかった。誰が呼びつけたせいで、こうも慌てて戻ってこなければならなくなったのか分かっているのだろうか。


「あー、最悪の寝覚めだわ。俺の眠りを妨げるとか万死に値するけど、今回は特別に許してやるよ」


 どこまで上から目線なのか。わがままを言い出したのは坂田のほうであるし、待ちくたびれて寝たてしまったのも坂田なのに、到着したら到着したで、俺様の眠りを妨げるな――ときたものだ。殺人鬼と分かり合いたいとは思わないが、幸いなことに、こちらがどんなに歩み寄っても、坂田のことは分からないだろう。


「あ、ありがとうございます」


 頭では文句のひとつでも言ってやろうと思っているのだが、坂田の持つ独特の雰囲気に気圧けおされたのと、申し訳なさそうな顔をしながら軽くウインクをした倉科に免じて、あえて下手に出る縁。倉科のウインクの意味は、坂田の機嫌を損ねるな――なんてニュアンスのものなのだろう。まったくもって坂田は面倒臭い相手である。


「それで、事件のほうはどうなった? チョンマゲのやつに伝えたこと――しっかり調べてきたか? それに、第三の犠牲者のデータは?」


 寝起きでまぶたが重たそうではあるが、頭は事件のほうに向かって一直線のようだ。きっと、面白くて仕方がないのだろうなと思う。彼にとって外の世界で起きる事件は、架空の物語のようなもので、さしずめ坂田は続きを気にしている読者といったところか。続きが気になって気になって仕方がなくなり、そして縁に帰還の命が出たのであろう。


「第三の犠牲者のデータについては、まだ司法解剖が間に合っていない。だから、私なりに基本的な情報と所感をまとめて持ってきてある」


 坂田の態度に辟易としながら、とりあえず手書きの資料を鉄格子の間に通す。なんだか手を掴まれそうな気がして、坂田に銃口をしっかりと向けながら――。


「警察は相変わらずトロくて困る。さっさと司法解剖しちまえばいいのによ。だから、人殺しにとっちゃ、やりやすい国なんて言われんだよ」


 そう言いつつ資料に目を通す坂田。しばらくしない内に眉をひそめ「――これはどういうことだ?」と呟き落とす。


「おい、女。この資料に間違いはないんだよな? お前が情報を間違ってまとめてあるとか、そんな馬鹿みたいなことはねぇよな?」


 縁が作成した資料には、ミサトの本名や職業など、縁が知っている限りの情報と、遺体を発見した際の状況などをまとめてある。手書きではあるが、間違いがないよう丁寧に作成したつもりだ。間違った情報など記載していないはず。

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