18

 坂田の笑顔に不気味なものを感じながら、倉科はゆっくりと後ろに退がった。当たり前ながら二人より坂田との付き合いが長い倉科であるが、最後まで坂田の機嫌が悪くならなかったのは、これが初めてだ。大抵は途中で機嫌を損ねてみたり、飽きたような様子をみせたりするのであるが――。


「ほら、早く行くぞ」


 死刑が執行されたはずの死刑囚が生きており、しかも今現在起きている連続通り魔事件について警察側が意見を求めているという事実。これが二人の目にどのように映ったのかは分からない。ただ、ここまで巻き込んでしまった以上、もはや言い訳がましい言葉でごまかすことはできないであろう。二人を0.5係から引き離すために坂田と接見させたというのに、これでは本末転倒である。


 倉科の言葉を受け、二人は戸惑いながらも独房を後にする。それを見届けてから、倉科は最後まで拳銃を構えつつ独房を出た。途端に空気の比重が軽くなる。これまで体を押さえつけていた重圧から解放された。この感覚だけは、今でも慣れることはない。殺人鬼独特の空気に押し潰されそうになるというか、奴と対等に話をしようとすると妙に疲れるというか――。なんにせよ、いつもこう思う。生きた心地がしなかったと……。


「お前達、大丈夫だったか?」


 両膝に手を置いて、大きく呼吸を落とす倉科。自分が初めて坂田と会った時のことを思い出した。情けないことに、独房を出た途端に腰が抜けてしまったものだ。それに比べると、尾崎と縁は随分とどっしり構えているように見えた。今の若い者は感覚がどこか違うのであろうか。


「大丈夫っす……。ちょっとチビっただけっすから」


 そう答えた尾崎の膝は、よく見ると小刻みに震えていた。しかも本当にチビったのであれば、それは大丈夫とは言わない。大惨事という。当時の自分が随分と情けなかったから、尾崎と縁が平気そうにしているかのごとく見えただけなのかもしれない。ただ、流石の倉科もチビってはいない。縁が尾崎と少しばかり距離を置いたように見えたのは気のせいなのか。


「山本、お前は大丈夫なのか?」


 物怖じしない尾崎でさえこの有様なのだから、平気そうに見えて縁だって相当に恐ろしい思いをしたに違いない。なんせ、鉄格子を隔てて九十九人殺しがいたのだから。


「――私は大丈夫です。ある意味じゃ慣れていますから」


 しかし予想に反して縁は涼しげな表情を浮かべ、髪先を指に絡ませる。それにしても、慣れているとはどういうことだろうか。現場で血や死体を見れば、すぐに吐いてしまうような人間が、殺人鬼に対して妙な免疫をもっているのも、おかしな話ではある。


 とにもかくにも、思いも寄らずに、ここまで深いところまで足を踏み込ませてしまったのだ。もはや隠し立てができるような余地はない。尾崎と縁だって、倉科が気まぐれで坂田に接見させたなどとは思っていないことであろう。


「二人とも、改めてしっかりと話をしておかなきゃいけないことがある――。どうしてこんなところにお前達を連れてきたのか。どうしてわざわざ機密を漏らすような真似をしたのか。それはな……」


 倉科は覚悟を決めた。いっそのこと一切合切話してしまったほうがお互いのためである。倉科は二人に対しての後ろめたさがなくなるし、二人はここに連れて来られた理由を知ることができる。そこからどんな選択をするのかは、尾崎と縁次第だ。国の決定事項であろうとも、二人が望まないのであれば、倉科は徹底的に抗うつもりだ。もっとも、あの坂田の様子では、もはや厳しいのかもしれないが。


 独房の前で洗いざらいに事情を話した。尾崎と縁に白羽の矢が立ち、0.5係候補とされていること。それを決定したのは国であるということ。ただ、ひとつだけ倉科は嘘をついた。嫌なら断ることができる――そんな無責任な嘘を。まだどうにかなるかもしれないと思っている自分がいた。


「まぁ、しばらく考えてみてくれ。気が向いた時に返事をしてくれりゃいい。そんなに急がん」


 今の立場から0.5係へと立場を変えるのは、人生の向きを大きく変えることを意味する。特にキャリアである縁にとっては、実に重たい選択肢であろう。そんな大切な決断を、こんなところで即答しろなんてことは言わない。縁と尾崎、各々がしっかりと考えて答えを出して欲しいと思う。二人が望まぬ道であれば、倉科は全力で法務大臣に嘘の報告を上げるだろう。だが、もし二人が望んだとしたら――正直、そんなところまでは考えてはいなかった。国の身勝手により、尾崎と縁の人生が捻じ曲げられるようなことがなければ、それでいいのだから。


 尾崎と縁は倉科の言葉に戸惑った様子を見せながらも、自分の中で咀嚼そしゃくをするかのように何度も頷いていた。ここに自分達が連れて来られた理由も、なんとなくだが理解してくれたようだ。全てを受け入れるのには時間がかかるだろうから、しっかりと考え抜いて欲しい。自分にとって、どのような道を選ぶのがベストなのか。どこに進むべきなのか――。そこに他人の意思や国の思惑などが絡んではならない。


 尾崎と縁は顔を見合わせる。非現実的な話が連続した後に、その非現実の一角に自分までもが組み込まれてしまうような話を持ち出されたのだ。誰だって戸惑うであろうし、話を上手く飲み込めないのかもしれない。話を持ち出した倉科だって、まったく馬鹿げた話であると思っているのだから――。


「さぁ、帰ろう。しつこいかもしれんが、ここでの出来事は全てにおいて機密事項だ。間違っても外部には漏らさんようにな」


 冷静に考えて貰うためには、とりあえず非現実的空間――アンダープリズンから出たほうがいいだろう。二人がここに入れたのは一時的な認可があったからこそであり、ここを出てしまえば二度と入ることは叶わない。それこそ、0.5係の話を引き受けでもしない限りは。


 ここに来た時と逆の手順で、やはり認可証をかざしながら幾つもの鉄格子をくぐる。ようやく最後の鉄格子をくぐり、人間らしい環境にまで戻った時のこと。縁が思いも寄らぬことを口にした。坂田から少しでも遠ざかって安堵した矢先だったから、倉科にとっては不意打ちのようなものだった。


「あの、警部――。さっきの話、是非ともお願いしたいのですが」


 鉄格子を幾つかくぐる間に、彼女の中でどんな心境の変化があったのか。思わず鉄格子の向こう側にある独房のほうへと振り返る倉科。正直、そこまでの距離はない。人生を左右させる決断を下すには、あまりにも短い距離だ。


「山本、それ本気なのか? ここですぐに答えを出す必要はないんだぞ? しかも、お前さんはキャリアなんだ。こんなドブさらいみたいな仕事をわざわざすることはない。坂田を見て貰えば分かるが、奴との接見は危険だって伴う。普通にやっていれば、もっと安全で楽な立場に――」


「いいえ、この仕事こそが、私のやりたかった仕事に近いかもしれないんです」


 倉科の説得を遮って、縁は首を横に振った。彼女がどのような理由で刑事を目指したのかは知らないが、殺人鬼と事件の橋渡しという仕事を、自らやりたいと言い出すとはつゆにも思っていなかった。寝耳に水とはこのことだ。


「尾崎、まさかお前も0.5係を志願したいなんて言いださないよな?」


 縁の対処に困った倉科は、それを丸投げするかのごとく、尾崎のほうへと話を振った。彼が0.5係を拒否してくれれば、縁の説得材料になると思ったゆえのことだったのだが、聞いた相手が単純な男であることをすっかり忘れてしまっていた。


「公表されていない機密の係って――なんか、格好いいっす」


 こいつらは自分の人生をなんだと思っているのだろうか。ゲームのように何度もリセットができて、行き詰まったらやり直せるとでも思っているのだろうか。まだ若いから分からないのかもしれないが、人生はそこまで甘くない。歳をとってから昔の自分の選択を恨んだり後悔することは珍しくないのだ。ましてや、二人に突き付けられた選択肢は特殊なもの。思い付きで決めていいものではない。


 尾崎は向こう見ずなところがあるから、単純な思い付きで0.5係を志望してもおかしくはない。強い憧れを持って刑事になったようであるし、どこか刑事ドラマと本職を混同しているところもある。だとすれば、このような特殊な役割に憧れに近いものを抱いても不思議ではない。


 ただ、わざわざキャリアとして警察組織に飛び込んできた縁が、0.5係に興味を示してしまうとは思っていなかった。0.5係になるということは、これまで築き上げてきた文字通りのキャリアを捨てるということ。誰でもキャリアとして警察組織に入れるわけではないのだし、彼女は狭き門をくぐり抜けて現在にいたるのである。それなのに、どうして0.5係を志願するのか。


「分かった――。とりあえず家に持って帰って、もう一度じっくりと考えろ。今は坂田と接見したせいで、妙に気分が高まっているだけなのかもしれないしな。しばらく時間を置いて、それでもお前達の意思が変わらないのであれば、俺から上に話を通す。いいな?」


 なんとかして二人を0.5係にさせまいとしていた自分が、なんだか馬鹿らしくなった。親の心子知らずとまでは言わないが、すでに決定した事項を覆そうとした倉科の気持ちは、きっと二人には届かないであろう。それにしても、まさか揃いも揃って0.5係に志願するなど思ってもいなかった。


 溜め息を漏らした倉科を先頭にしてアンダープリズンを後にする。中嶋が途中まで見送ってくれたが、あえて二人がどんな選択をしたのかは話さなかった。どっと疲れてしまって、それどころではなかった。


 人の目がないことを確認してから【人妻ヘルス】の入り口まで戻った倉科達は、そこで別れることになった。


 二人と別れた倉科は、胸ポケットから煙草を取り出し、それをくわえると、火を点けずにネオン街を後にした。大きな大きな溜め息を漏らしながら――。


 ちなみに、尾崎がうっかりしていたせいで、エビチリまでもが機密扱いとなる珍事が起きたことを聞かされるのは、また後日のことだ。

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