38
さすがは完全なる地下空間。非常灯まで落ちてしまうと完全なる闇に包まれてしまう。これでは全く身動きが取れないし、暗闇に目が慣れてくれるまで待たねばならない。
「おい、何か明かりくらい持ってねぇのか? さすがの俺でも、この暗さはちょっと慣れるまで時間がかかるぜぇ」
闇の中に坂田の声が放り出される。幾ら坂田が予期していたことであっても、それに対して縁達が完全なる対策をしていたわけではない。もちろん、明かりなんてものを予め準備していたわけでもない。
「――それなら、スマホが」
坂田の声に続いて尾崎の声も闇の中に溶け込むが、しかし直後に舌打ちが聞こえた。
「そう言えば、解放軍に没収されていたっす」
スマートフォンのたぐいは解放軍に没収されてしまっている。世の中では当たり前になっているが、今やスマートフォンは高多機能のデバイスになっている。その機種によって多少の違いはあれども、カメラのフラッシュ機能を応用して、懐中電灯の代わりとするような機能が備わっている。恐らく、尾崎はそれを使って明かりを得ようとしたが、そもそもスマートフォン自体を没収されてしまっていたことを思い出したのであろう。
「もしかして、いずれこうするつもりだったからこそ、スマートフォンを没収したのかもしれませんね」
尾崎の言葉にぽつりと返す縁。このアンダープリズンでは、スマートフォンを通信手段としては使えない。それなのに、解放軍はスマートフォンを没収した。これは、今になって考えると違和感があった。
解放軍の面子にはアンダープリズンの関係者が含まれている。それならば、アンダープリズンがスマートフォンの使えない環境であることも、事前に知っていたはず。スマートフォンで外部に連絡を取ることができないのであれば、わざわざスマートフォンを没収する必要もないのではないか。もし、解放軍がアンダープリズンのことを知らず、スマートフォンも正常に使えるものだと思っているのだとすれば話は別だが、すでにライオンの中身はアンダープリズンの人間だったわけだし、知らなかったとは考えにくい。
では、どうして解放軍はスマートフォンを没収したのか――。そのような発想があり、縁は何気なく呟き落としたのだが、しかしそれを鼻で笑ったのは坂田だった。真っ暗闇の中なのに、人を馬鹿にするような態度が分かるのだから不思議なものだ。
「いや、違うな。お前らの話から察するに、解放軍は全く別の目的のために、お前らからスマートフォンを没収したんだよ。それに、スマートフォン以外でも没収されたものがあるんだろう?」
スマートフォン以外に没収されてしまったもの――。それを思い返して、縁はふっと気付く。縁が先ほど気付いた事柄を合わせて考えると、解放軍の目的が見えてくるのではないだろうか。ただ、目的は見えてくるのかもしれないが、その真意というものが分からない。何のために解放軍は、そんなことをしなければならなかったのか。
「その辺りのことを突き詰めて行くとな、ある人物が浮かび上がるんだよ。このアンダープリズン全体に漂う違和感。それらを統合して考えた時、ただ一人だけ得をする人間が出てくる。あくまでも状況的な証拠だけだから断定はできないが、極めて怪しくなる奴がいるんだよ」
坂田の意図している答えを想像して、背中が冷水を垂らしたかのごとく冷たくなる。それは縁にとって信じがたいことであり、決してあってはならないことだった。言葉を失う――なんて表現があるわけだが、正しく今の縁がそうだった。
文字通り縁が絶句している間も、尾崎が坂田から詳しいことを聞き出そうとしていた。それに対して「ちょっとは自分で考えろ」と突き放す辺り、やはり坂田は意地が悪い。そんなやり取りを二人が続けていると、どこかの扉がゆっくりと開く音が辺りに響いた。きっと、桜と解放軍が部屋から出てきたのだろう。
様子を探ろうにも、まだ目が暗闇に慣れていなかった。いいや、本当に慣れるものなのかと疑うほど、辺りは漆黒の闇に包まれている。状況は音のみで判断しなければならない状態が続いていた。
「足音が――ひとつだけだ」
ぽつりと呟いた坂田の声が聞こえたと思ったら、近くにあったはずの気配がすっと消える。まさかとは思うが、勝手な真似はしないで欲しい。しかし坂田に声をかければ、足音の主にこちらの存在がばれてしまうかもしれない。足音の主が桜ならば問題ないのだが、解放軍である可能性だってあるため、下手に声を上げることもできなかった。
辺りは闇、闇、闇、闇。ようやく少しだけ目が慣れてきたような気はするが、それは単なる思い込みであって、そこまで見えていないのかもしれない。ただ、なんとなく廊下の輪郭は掴めているような気がするし、隣にいる尾崎の姿も形としと捉えることができていると思う。ただし、気配をふっと消した坂田の姿は見えない。もちろん、縁の近くにもいないようだ。
ふと、次の瞬間のことだった。どこからともなく――いいや、足音が聞こえてきた方角から、鈍く重たいような音と、男が唸ったような低い声が飛んでくる。
目が慣れてきたといっても、人間というものは本能的に暗闇に敵わないようにできている。だからこそ暗闇に恐怖を抱くのであろう。縁もまた何が起きたのか分からず、何をどうしていいのかも分からず――ただただ暗闇の向こう側を凝視する。それで闇の先が見通せるようになるのであれば苦労はしないのだが。
「縁、そばにいるっすか?」
きっと、急に坂田の気配が完全に消えてしまったから、不安になってしまったのであろう。尾崎の声がごくごく近くから聞こえてくる。
「えぇ、この暗闇のせいで身動きが取れませんから」
そう答えると、尾崎から「そうっすか――」と安心したような声が上がり、続いて尾崎は何かに気付いたかのように「あっ!」と短く声を上げた。
「どうしたんですか? 尾崎さん」
坂田の気配は、いまだにどこへといってしまったのか分からない。状況から察するに、電気室のほうに向かったとしか思えないのであるが、それを掌握するのは現時点では難しい。
「そういえば、ライターがあるっす!」
尾崎の嬉々とした声と同時に、ポケットの中をまさぐるような音がする。そして、ライターの石を擦る音が何度かした後、暗闇の中にボゥっと尾崎の顔が浮かび上がった。
「これでとりあえず視界確保っすね」
どうして尾崎がライターなんて持っているのであろうか。喫煙者ならば当たり前のように持っているのであろうが、しかし尾崎は非喫煙者だったはず。少なくとも縁の前で煙草を吸っているのを見たことがない。これが喫煙者である倉科ならば、なんら不自然だとは思わないのだろうが、尾崎だとどうにも不自然に思えてしまう。
「倉科警部が置いていったライターっす。今度会った時に渡してあげようとポケットに入れっぱなしだったのが幸いだったっす」
恐らく、尾崎がライターを取り出したことに、縁自身が不思議そうな顔をしていたのであろう。まるで縁の心情を察したかのように、尾崎がライターを所持している経緯を話してくれる。基本的に鈍い尾崎が察するということは、よほど
「それは解放軍に没収されなかったんですか?」
尾崎がライターを持っていた経緯など、しかし正直なところどうでも良かった。それよりも縁が着眼したのは、ライターが解放軍に没収されなかったという事実のほうだった。
「えぇ、気にも留められなかったっすよ。ライターの存在にも気付かれていたみたいっすけど、没収はされなかったっす」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます