特に何かを話しかけるでもなく、そして話しかけられるでもなく、ただただ沈黙ばかりがゲストルームに漂っていた。しばらくすると安野が戻ってきて、その沈黙をやっとのこと破ってくれた。


「麻田に動いて貰うことになった。こんなことを頼めば、開口一番に文句を言うような奴だが、今回ばかりは文句も出なかったよ。歯痒い思いをしているのは俺達だけじゃないってことだ」


 とりあえず先生を保護することはできたし、縁をインターチェンジまで迎えに行く手筈も整ったようだ。尾崎もそうであるが、縁もこの辺りの土地勘がない。しかも、先生のところとなれば、どうしても案内が必要になってしまう。その役割を麻田が担ってくれたのはありがたい。


 尾崎、安野――そして先生。なんだか少し気まずいような空気の中、ただただ時間ばかりが過ぎ行く。保護をしたといっても、こうして尾崎と安野が張り付いているだけであり、それ以外に何をするというわけでもない。時折、言葉を一言か二言交わしたりするが、けれども重苦しい沈黙の中では焼け石に水だった。とにかく、先生を保護しろとの提案をしてきた縁の到着を、今は待つことしかできなかった。


 随分と長らく待っていたような気がするが、どれくらい時間が経っただろうか。恐らく廊下のほうからであろうが、足音が響いてきた。察するに二人分のようだ。安野が顔を上げて「やっとご到着か――」と呟き落とした。足音は確実にこちらへと近付いてきて、そしてゲストルームの扉の前でぴたりと止まった。そして、ほんの少しだけ間を空けた後、どういうわけだか勢い良く扉が開け放たれた――いいや、蹴飛ばされたといったほうが正しかったのかもしれない。


 扉の向こうにいたのは縁と麻田であり、縁は尾崎達の姿を確認すると、驚いたかのように目を丸くして――拳銃を構えた。恐らく、神座に戻った際に署に寄って持ち出したものであろうが、どうしてこの場面で物騒なものを取り出す必要があるのか。ここにいるのは――尾崎と、安野。そして保護すべき対象である先生しかいないのに。


「尾崎さん! 何をやっているんですか!」


 温度差というべきだろうか。随分と焦燥した様子の縁に、思わず「へっ?」と間抜けな声が出た。


「いや、何をやっているって――。言われた通り先生の保護を」


 どうにも噛み合わないというか、どうして縁と麻田がそんなに険しい顔をしているのか分からない。しかも、こちらに向かって銃口を向けるなんて、何を考えているのか。


「保護じゃありません! 確保です、確保っ! とりあえず、そいつから離れてくださいっ!」


 そいつ――とは、誰のことを指しているのであろうか。一瞬、そんな間抜けな発想が頭をよぎった。話の文脈から察するに、縁が指している人物は一人しかいないはずなのに。とりあえず、思わず安野と顔を見合わせてしまった。


「三件の殺人と遺体遺棄、及び遺体損壊の件でお話を伺いたい。署までご同行願えますか?」


 縁は尾崎と安野のさらに先を睨み付ける。そこでようやく頭が現状を理解してくれたのか、それとも安野が先に離れてくれたからなのか、尾崎も反射的にその人物から離れることができた。自然と拳銃を構えている縁の背後へと回る。麻田の「なにをやってんだか……」という呆れたような一言が、地味に痛かった。


 縁と麻田が飛び込んできて、離れるようにと指示を受けた安野と尾崎が縁達のほうへと回った。つまり、縁が睨み付ける先にいる人物はただ一人だけ。縁が小さく溜め息をつき、そして拳銃をしっかりと構えながら言葉を吐き出す。


「これまでのカニバリズム事件。貴方が犯人なんですよね? 先生――」


 そう――縁の視線の先にいたのは、必然的に残された、ただ一人の人物。この事件の司法解剖を担当し、何食わぬ顔で事件にたずさわってきた先生こと、中谷美華であった。


 しんと静まり返ってしまった空気の中、くすりと笑った先生。突き付けられた銃口にさえひるまずに口を開く。


「ちょっと……冗談はやめてちょうだい。どうして私になるわけ? 私はそんなことしていないわ。曲がりなりにも警察に協力する側の人間よ?」


 縁は深刻そうな表情を見せているが、一方で先生はそこまで重く捉えていないようだった。幾ら冗談でも限度というものがあるし、これが冗談ではないことくらい先生にだって分かっているはずなのだが。


「三人もの女性を殺害し、そして喰らうという異常な犯罪。この事件を全て統合して考えると、犯人は貴方しかいないんです」


 先生の言葉をかわすかのごとく、はっきりと断言する縁。もちろん、根拠があって物事を言っているのであろうが、先生の余裕そうなたたずまいというべきか、罪悪感が皆無の態度を見るに、どうにも先生が悪食だったとは思えない。


「だったら、根拠をお話し願いましょうか? どうして私が犯人だということになってしまうのか――。様々な意味で興味深いわ」


 縁の言葉に恐れる様子もなく、むしろ挑発するかのごとく笑みを浮かべる先生。まるでわがままを言う子どもをあしらう母親であるかのような余裕がそこにはあった。


「いいですよ。先生が納得できるように、順を追って話します」


 縁は拳銃で狙いをつけたまま先生の要求に応じる。異常犯罪者といえば、口で物事を言っても――どれだけ理論的なことを並べ立てても、マイルールを適用するばかりで話が通じないという印象がある。だからこそ、素直に縁へと根拠を求めた先生は、やはり異常犯罪者とは思えなかった。それこそ、人を殺して喰らっていたなどとは、その華奢な外見からは想像もできない。


「とりあえず、物騒なそれ――なんとかならない?」


 先生はそう言うと、突き付けられた銃口を眺めつつ、ソファーへと腰をかける。


「私は先生が犯人であると確信しています。そして、実に危険な人物であるとも思っています。ですから、拳銃を下すことはできません」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃく――何かの間違いであろう程度の態度を見せる先生。それに対して、飲み込まれないようにしているのか、眉間にしわを寄せて鋭い眼光を向ける縁。果たしてどちらの主張が正しいのか。しかしながら、尾崎は知っている。縁の主張には坂田の主張も含まれているということを。となると、やはり先生が悪食なのであろうか。


「まぁ、別に構わないけど――」


 先生は少し呆れたかのように溜め息を漏らした。それに動じもせず、縁は「では、始めます」と前置きをしてから話を始めた。


「まず、最初にはっきりとさせておきたいことがあります。それは――この事件は決して無差別殺人ではなかったということです」


 安野は神妙な面持ちで縁の言葉を待っている。麻田は事前に縁から話を聞いたのか、同意するかのように頷いた。尾崎はといえば、あまりにも余裕げな先生の態度に、なんだか不吉なものを感じていた。まだ確定したわけではないのだが、異常殺人鬼という存在に限って、普段は虫も殺さないような顔をしているのかもしれない。それが人々の生活の中――日常へと溶け込んでいると思うと、なんだか怖くなる。


「犯人は明確な目的――自分自身の異常なこだわりのために、犠牲者をじっくりと選定し、条件に見合った相手を殺害して来ました。第三の事件はちょっと特殊であるため、とりあえず第一と第二の事件だけで話を進めます」


 犯人の異常なこだわり。だからこそ選定された犠牲者。その基準はどこにあったのか、どうして犠牲者は犠牲者にならなければならなかったのか。それらがこれから明かされる――。


「犯人が犠牲者を選定していた条件は大きく分けてふたつ。ひとつめは――名前です」

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