親の心子知らず――とはよく言ったものであり、きっと倉科の考えていることなど縁には伝わっていないことだろう。だが、それでいい。さっさと研修期間を終えて、さっさと上に行くべきなのだ。現場が苦手ならば出てくる必要はない。どんなに本人が努力をしたって、向き不向きというものはあるのだから。うつむいた縁が拳を握りしめるのを見て、なんだか倉科は申し訳ない気持ちになった。


「尾崎……」


 言い返せなくなった縁を見ていられなくなった倉科は、尾崎のほうへと目配せをする。流石の尾崎も倉科の言いたいことを察してくれたようで、縁に向かって「さぁ、署に帰るっす」と呟くと、縁を連れて現場から姿を消した。その後ろ姿を見送ると、その場にいた捜査員や鑑識係に向かって苦笑いを浮かべる。一度は止まってしまったかのようだった現場が、再び時を刻み始めた。


「とにかく、こいつが殺人蜂の仕業であることは間違いない。となると、所轄だけで処理するわけにもいかないな。合同捜査本部に連絡を――」


 取り繕うかのように指示を出すと、部下は気持ちのいい返事をして、現場から離れた。パトカーのほうに行って本部に連絡を入れるのであろう。


 この事件は、すでに幾つかの近隣市町村で起きている事件である。市が異なれば、当然ながら所轄の管轄も変わる。けれども、それぞれの警察が独自の判断で動いていては、事件がめちゃくちゃになるのは当然の話。そのため、捜査をする上での連携を強め、情報を共有化し、迅速に事件を解決するために設置されるのが、合同捜査本部だ。ちなみに、捜査本部はひとつの所轄にて迅速に解決すべき事案が発生した際に設置されるものであり、言ってみれば合同捜査本部というものは、近隣の警察の連合軍のようなものである。


 捜査本部には警視庁、もしくは県警の人間が介入する。倉科が住んでいるのは地方都市であるため、この場合は県警のお偉いさんがやってきて、拠点となる所轄に合同捜査本部を立ち上げるわけだ。合同捜査本部のおおよそ半分が県警の人間であり、少し前にドラマなどで名が知れ渡ることになった管理官と呼ばれる人間が、陣頭の指揮を執ることになる。残りの人間は、所轄から集められた捜査員だ。この所轄からの捜査員として倉科は合同捜査本部に参加しているのだった。


 合同捜査本部に参加する人間は、その所轄の二番手や三番手であると相場が決まっている。合同捜査本部に所轄のエースを配属してしまうと、他の事件に対応できないからだ。しかし、一応エースとも言える警部の倉科は、合同捜査本部に配属されていた。なぜ配属されたのか――それは倉科が0.5係という特殊な側面を持っているからだ。


 本部への連絡を終えたのか、部下が戻ってきて律儀にも報告をしてくれる。しばらくしない内に、増援がやってくるだろう。本部のお上さんが、合同捜査案件であると判断するのは目に見えている。


「合同捜査になるだろうから、スムーズに引き継ぎできるように手配しておいてくれ」


 事件の主導権が捜査本部へと渡れば、この場にいる捜査員の大半を署に帰してやることができる。所轄のみで捜査していい案件ではないため、捜査本部に組み込まれている捜査員以外は、悪い言い方をすればお払い箱である。ぞろぞろと捜査員が現場にいても邪魔なわけであるし、所轄は所轄で忙しいのだ。


 ポケットに入れていたスマートフォンがぶるぶると震え出した。ようやくガラケーから乗り換えることに成功したが、電話ひとつに出るにしてもいまだに戸惑うことがある。なんというか焦ってしまって、どうしても操作がもたついてしまうのだ。


 ディスプレイに表示された名前を見て、倉科はさらに戸惑った。操作方法云々ではなく、そのディスプレイに表示された名前のせいで、操作がもたつきそうだった。なんというか、できるだけ関わりたくない方からの着信だったのだから。


「ちょっと現場を離れるぞ」


 とにかく、人が大勢いるところで電話に出るのはまずいだろう。そう考えた倉科は現場の人間に声をかけて、ぶるぶると震え続けるスマートフォンを片手に土手を駆け上がった。周囲に人がいないことを確認し、深呼吸をして落ち着いてから、すっと指を画面にスライドさせた。思ったよりも、もたつかなかった。


「はい――倉科です」


 なんともタイミングが悪いのであろうか。いや、またしても殺人蜂の仕業と思われる事件が発生してしまったことが、もう捜査本部から上まで伝わったのかもしれない。時として、この人には下の人間から直通ホットラインがあるのではないかと疑ってしまうほど、情報伝達が速いことがある。滅多なことでは本人から直接電話がかかってくることもないため、えらく緊張した。


「やぁ、倉科君。久しぶりだね――」


 電話の相手は、それこそ雲の上の人……。数奇たる運命じみたものが重ならなければ、まず倉科が関与することはなかった人物だった。それこそ、この人物との奇妙な縁さえなければ、0.5係などという役割を背負わされることもなかっただろうに。


「お久しぶりです。三田法務大臣――。大臣様が、こんな地方の所轄の刑事ごときに何のご用でしょうか?」


 倉科は皮肉を込めて言ってやった。光栄で特別な役割をあてがってくれた張本人だ。そりゃ、皮肉のひとつも言いたくなる。役割を押し付けるだけ押し付けておいて、後は丸投げというやり方も、正直なところ面白くなかった。


「おいおい、倉科君。私と君の仲じゃないか。そんな他人行儀な呼び方はよしてくれよ」


 皮肉を皮肉として受け取っていないというか、受け流し方が上手いというか――。なんにせよ、人の上に立つ人間には、鉄の心臓と神経の図太さが必要とされるのであろう。


 そんな法務大臣と倉科との付き合いは、それこそ数十年になる。もっと具体的に言ってしまえば、幼い頃からの付き合いだった。なんせ、法務大臣は倉科の叔父にあたるのだから。もちろん、このことは誰にも話していないし、わざわざ話すことでもない。法務大臣のほうだって、おいっ子に刑事がいるなんてことは誰にも話していないだろう。


 つまり、倉科が国の尻拭き――お上のお偉いさんが提言した、馬鹿げたことに荷担させられることになったのも、法務大臣の甥であるという理由があるからなのだ。連続殺人鬼を警察組織に組み込むという狂気じみた考えを押し付けるには、きっと倉科のような近親者のほうが都合が良かったに違いない。甥っ子が刑事になっていると知って、きっと法務大臣も小踊りをしたことであろう。そんな法務大臣はかなりの高齢になるが、呼ばれても葬儀には絶対出ないと倉科は決めていた。国の都合に合わせて、実験的に0.5係を任される身にもなって欲しいものだ。


「叔父さん――。悪いけど今は忙しいんだ。用があるなら手短に頼むよ」


 周りに人はいないのであるが、なんだか小声になってしまう倉科。まぁ、倉科個人の電話に法務大臣が電話をかけてきていると言ったところで、誰も信じはしないだろうが。


「あぁ、ちょっと小耳に挟んだのだけど、五人目の犠牲者が出たそうだね。検察ならまだしも、警察のことにそこまで私が首を突っ込むような真似はしたくないのだが、ほら今回の事件は九十九人殺しも関与しているだろう? 他のお偉さんの手前上、見過ごすこともできない案件でね」

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