そもそも、法務大臣というものは警察組織との直接的な関与は持たない。あくまでも法務大臣の下にいるのは警察ではなく検察である。ただ、検察と警察は密接な関係にあり、直接的な関係はなくとも、無関係であるとは言い切れない。それぞれの独立した組織が複雑な関係性を保っているわけだ。もちろん、常識的に考えれば、法務大臣がわざわざ事件のことに首を突っ込んでくることなどあり得ないことだ。しかし、坂田やアンダープリズンが関与している事件となると、法務大臣も黙って静観するわけにはいかない。


 この辺りの仕組みがどうなっているのかは、倉科自身も把握はできていないが、アンダープリズンに関する認可は基本的に法務大臣から下りる。よって、アンダープリズンの最終的な管轄権は法務大臣にあると言っても過言ではない。機密ばかりで頭が痛くなるようなアンダープリズンの全責任は、どういうわけだか法務大臣にあるのだ。普通に考えればあり得ないことではあるが、それだけアンダープリズンというものが異質なのだ。国が自ら生み出したイレギュラーとでもいうべきか。決められた法律を無視する超法規措置的な存在――。アンダープリズンと坂田の位置付けは、そうなってしまうのであろう。そうとしか説明できないのが現状だ。


「現在、坂田にも意見を聞きながら目下捜査中だよ。もう少し時間をもらえんかな? あいつを手懐けるのも簡単じゃないんだ」


 近親者でなければ、法務大臣に対してこんな軽口は叩けないであろう。もっとも、ここ数年は会ってもいないし、倉科自身が親戚付き合いというものをしない人間だから、もう顔すら忘れてしまいそうなのだが。


「倉科君、現場が大変だってことも分かっているつもりではある。君に二足のわらじを履かせたのも私だからね――。しかしながら、国のお偉さん全員が現場のことを分かっているわけではなくてね。特にアンダープリズン推進派の方々が事件の早期解決をと」


 法務大臣の言葉に、魂さえも抜けてしまいそうな溜め息が出た。正直なところ呆れてしまったのだ。こうして凶悪な殺人鬼によって犠牲者が出続けているというのに、お上の人間は何を考えているのか。


「事件が長引けば、反対派だった連中に叩かれるからな。推進派はアンダープリズンの設立と坂田の運用を推進してきたのだから、自分達の考えが間違いだったことを指摘されたくない。だから一刻も早く事件を解決しろと? 叔父さん、そこは国会だろ? それとも、どこぞの小学校の学級会か?」


 国会中継なんかを見ていて、倉科はふっと思うことがある。まるで学級会のようであると。ひとつの意見に対して幾つもの野次が飛び交い、中には居眠りをする議員もいる。そもそも国会で取り扱う内容が不服であるとして、出席すらしない議員までいるのだ。これが国を動かすための会議であるなど到底思えないし、思いたくもない。


「事件には被害者がいて、その被害者には家族がいるんだ。そして、事件解決のために汗水を垂らしている人間が大勢いるんだよ。それなのに、お偉さんの保身のために早期解決? ふざけるのも大概にしてくれ」


 身内相手ということもあってか、ややヒートアップした口調が出てしまった。きっと心の中では様々な不満を抱えていても、いざ国のお偉さんを前にしたら、何も言えなくなるだろうにだ。


「気持ちは分かるし、その言い分がもっともなのも理解している。だが、私の立場というものも少しは理解して欲しい。私だってアンダープリズンの案件を押し付けられた被害者のようなものなんだから」


 そう言われて、ぶつけようのない怒りを舌打ちという形で発散する。確かに、アンダープリズンのことを押し付けられた叔父が悪いわけではない。それは分かっているのだが、ならば誰が悪いというのだろうか。国の政治の在り方であるなどと、ここで余計な議論をしたくはないし、そんなことをするだけ時間の無駄である。最終的には水掛け論になってしまうのだから、ここはぐっと堪えるしかなかった。


「それで叔父さん。用件はそれだけか? 俺にプレッシャーをかけるためだけに連絡してきたわけじゃないだろう?」


 口から飛び出してきそうな愚痴を堪えながら、倉科はできる限り取り繕ってみせた。どうせ叔父に愚痴を漏らしたところで、国が変わるわけではないし、自分の立場が改善されるわけでもない。ましてや、アンダープリズンがなくなるわけでも、坂田の刑が執行されるということでもない。様々なしがらみのなかで、よくも取り繕えたものだと自分を褒めてやりたかった。


「――今夜、少し時間が取れるか? 今、そちらのほうに向かっていてね。直接話をしたいことがあるんだよ。君にとっても悪い話じゃない。むしろ、これまで一人で0.5係を任されてきた君には朗報だと思う」


 事件を解決しろとせっついてきたかと思えば、今夜は時間が取れるかときたものだ。刑事とサラリーマンを同じものだとでも考えているのだろうか。事件が起きた直後にアフターファイブに洒落込む刑事がどこにいるというのか。いるのならばぶん殴りに行きたいところだ。


「叔父さん。こっちの事情は分からないかもしれないが、事件が起きたばっかりなのに、捜査本部を抜け出す馬鹿がいると思うか? しかも、曲がりなりにも警部という階級にある人間がだ」


 わざわざこっちに出向いてまで、何の話があるのか分からないが、事件をほっぽり出して法務大臣と会うなんてことはできない。正直にそう話したところで与太話よたばなしだと笑われるだけだ。本当に信憑性のない話である。たかだか所轄の警部が、こうして法務大臣と繋がっているなどという話は――。


「そちらのほうには連絡をしておく。いいかね、倉科君。今日の夜、君と私が会うことは決定事項なんだ。それこそ、私だけの意思ではなく――ね。もう一度言うが、私の立場というものも理解して欲しい」


 なんとも傲慢ごうまんな話だろうか。捜査でもっとも重要なのは初動捜査だというのに、方針が決定されるであろうタイミングで席を外せと。捜査本部の一部の人間は把握してくれるのであろうが、何も知らない人間からすれば、大事なタイミングに居合わせない警部など、まるで使い物にならないように映ることだろう。


「――まったく。こっちの立場ってものも理解して欲しいものだ」


 倉科はあちら側に送り込んでやる勢いで、大きく溜め息を漏らした。どうやら、叔父がわざわざ会いにくるのは、叔父だけの判断ではないようだ。恐らく、他のお偉さん方の意思も背負っているのだろう。いや、むしろほかのお偉さんの主張が、こうして叔父を動かしているのかもしれない。


「どこにいても、何をしていても、世の中というものは、しがらみがついて回るな――。では、そちらのほうに迎えを寄越すように手配するから。頼んだよ」


 まるで同じように被害者意識を抱いているようであるが、そのしわ寄せが最終的に倉科へと集中していることを、叔父は理解しているのであろうか。通話が切れてしまったスマートフォンを睨みつけてみるが、光の反射具合なのか、そこには眉間にしわを寄せた、くたびれた男の顔が映っただけだった。


「何がしがらみだ……。俺に0.5係を任命したのは叔父さんじゃないか」


 スマートフォンを仕舞いながら、殺伐とした空気の中に愚痴を漏らした。さわさわと揺れるあしの長い草の香りが、それを飲み込んでどこかへとやってしまった。


 ――とりあえず現場に戻るか。倉科は普段通りに振る舞うように自分に言い聞かせると、現場に戻る。


 のちに事件は殺人蜂の仕業であると正式に発表され、五人目の犠牲者の訃報が全国へと報じられたのであった。

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