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【3】
テーブルの向こう側には尾崎とキャリア組の縁が並び、尾崎にいたっては次々と料理を注文しては、それをむさぼるという行為を繰り返している。普段、よほどまともなものを食っていないのか、その勢いに隣の縁も引いているようだった。こちらの
「それで警部――。今日はどんな用件で?」
自分が頼んだものをあらかた食べ終えた縁が、尾崎の様子を伺いながら口を開く。尾崎は口の周りをべたべたにしながらも「シェフを呼んでほしい」とか「今死んでも悔いはない」とか、大袈裟なことを口にしている。これでは話が進まないし、倉科の財布の中が破綻する。ある意味、縁の言葉は助け舟だった。
「あー、尾崎。ちょっといいか? 俺の話を聞いてくれ」
咳払いをして注目を集めようとするが、尾崎にとっては目の前の上司よりも料理のほうが優先らしい。食べ散らかす尾崎に対して、倉科は思い切りげんこつを落としてやった。
「俺の話を聞けと言っとるだろうが――」
自分でも会心の一発だったと思う。尾崎は頭を押さえながらしばらく
「は、はぁ……。なんすか? 警部。自分は今はエビチリで忙しいっす。手短に頼むっす」
それでも食に対する情熱を失わない尾崎。その情熱を仕事に向けて欲しい――と思うのは、倉科の叶わぬ願望なのであろうか。
「尾崎、そして山本。こうしてお前達を飯に誘ったのには理由がある。最初に言っておくが、お前達の人生を決めるのは、当然ながらお前達だ。俺が決めるわけでも、ましてや国が決めるわけでもない。だから、嫌だったら断ってもらっても構わない。それを前提にして話を聞いて欲しい」
倉科が神妙な表情を浮かべたのが幸いしたのか、尾崎がぴたりと動きを止める。それでも、人の目を盗んでそっとエビチリを掴んだ箸を叩き落としてやった。
「尾崎、真面目な話なんだ。頼むからしっかり聞いてくれ」
そこでようやく、倉科の様子がいつもと違うことに気付いたのであろう。尾崎はエビチリを脇に避けると姿勢を正した。
改めて、自分には運がないと思う。よくよく考えれば、子供の頃の縁日でのくじ引きで当たるのは、処理に困るようなガラクタばかり。学校時代の席順のくじ引きでも、ろくに当たりを引いたことがない。とどのつまり、くじ運というものがとにかく悪いのだ。だからこそ、0.5係なんてものを押し付けられたのだし、こうして二人を前にして、味も分からないような料理を口にする羽目になるのだ。
「二人共、これから話すことは例えばの話だと思って欲しい。むしろ作り話だと思って貰っても構わない」
アルコールのひとつでも頼んで景気付けしたいくらいだ。そう思ってしまう程度には、今回の倉科の立場は苦しいものだった。叔父である法務大臣が憎たらしくて仕方がない。それでも倉科には話す義務がある。二人に選ばせてやる使命があるのだ。
「今、俺達がいる神座の地下に、広大な敷地面積を誇る拘置所がある――って言われて、信じるか?」
倉科が食事をしている場所は、正しく足元にはアンダープリズンが広がる歓楽街である神座だった。誰だって地下に拘置所があると言われてもピンとこないだろうし、信じもしないだろう。
「信じねぇっす。そんな話、聞いたことねぇっすからね」
一刻も早くエビチリとの再会を果たしたいのか、チラチラと大皿のほうへと視線をやりつつ答える尾崎。
「――ちょっと信じがたいですね。そもそも、地下で拘置所を運用する意味が分かりませんから。それに、拘置所に広大な敷地面積は必要ありませんし」
キャリアの縁も、倉科の言葉には懐疑的なようだ。それでいい。話半分に聞いてくれれば充分である。
「それは色々なしがらみがあった結果なんだがな。まぁ、いい。例え話を続けよう。仮に地下に拘置所が存在しているとして、どうして拘置所なんかが存在していると思う? いいか、あくまでもこれは例え話だ。お前達の率直な意見を聞かせて欲しい」
全て真実であると前置きを置いたところで、信じて貰えないのは百も承知だ。ならば、後々のことを考えて、あくまでも例え話として話をしたほうが面倒が減る。こうして倉科が例え話として出している話は、本来ならば外部に流出させてはならない機密なのであるから。
「……それは拘置所でなければならない理由があったから。でも、そんな理由なんて――」
「あー、ギブアップっす。大体、拘置所やら留置所やら面倒なんすよ。自分、その違いも良く分かりませんし。そんな例え話で自分たちの資質を図ろうとしても無駄っすよ。自分、無限大なんで。可能性だけはインフィニティーなんで」
縁は真剣に倉科の例え話に付き合ってくれているようだが、尾崎にいたっては話さえ聞き流しながら、エビチリに対しての臨戦態勢をとっていた。正直、倉科自身もどう話していいのか分からず、話は遠回りするばかりだ。
やはり、例え話として話すのは無理があるのだろうか――。こんな時でも機密のことを気にしている自分が嫌になった。そして、真実を話すことによって、二人が後に引き返すことができなくなると思い込んでいる自分もだ。そもそも、機密を漏らさずに伝えられるような用件ではないことは、最初から分かりきっていたのに。
「話を少し変えよう。お前達、かつて日本を震撼させた九十九殺しのことくらいは知っているだろう?」
あえて例え話の体面を保ちつつ、しかしそこへとダイレクトに核心をぶち込んでしまう倉科。どこかヤケになっている部分があるのは、誰よりも倉科自身が知っていた。
「あー、確か少し前に死刑が執行された殺人鬼っすよね?」
「日本犯罪史に残る凶悪殺人犯ですね。どんな神経で三桁近い人を殺したのか理解に苦しみますが――」
九十九殺しの坂田仁。この名前は警察関係者でなくとも世間一般的に知られている名前である。かつて、テレビは彼のニュースで持ちきりだったくらい関心を集めた人物であるし、また日本国民を恐怖に陥れた人間だ。彼の死刑が執行された際も、大体的にニュースに取り上げられたことは記憶に新しい。
「もしもだ。もし、その九十九殺しが今も生きてるって言ったら、信じるか?」
事前に筋道を立てていたつもりだったが、完全に倉科の中でそれらは破綻していた。それを自分で認めたことがきっかけだったのか、妙に開き直ってしまう倉科。後々問題になっても、責任は全て叔父である法務大臣へと押し付ければいい。これは、わざわざ高級な料亭に呼びつけられた時に、叔父自身も言っていたことだ。
尾崎と縁は顔を見合わせ、そして代表するかのごとく縁が口を開いた。
「警部、こう言っては失礼なんですが、さっきから何を言いたいのか、さっぱり意図が理解できません。大体、九十九殺しは数年前に死刑が執行されているはずですよ?」
そもそも、機密を守りながら話をするなんて無理があるのだ。本来ならば、ここで二人の意思を確認してから連れて行くつもりだったが、開き直った勢いで直接彼に会わせたほうが良さそうだ。二人に対しての認可は、限定的に法務大臣殿から特例で下りている。もう機密など知ったことではない。
「――ついて来い。お前達に会わせたい奴がいる」
倉科がそう言って立ち上がると、エビチリを死守していた尾崎が、明らかに面白くなさそうな表情を浮かべる。
「エビチリならタッパーに詰めて貰え。タッパーに。家に帰ってからチンして食え。な?」
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