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 当然ではあるが、坂田に一般的な常識など通用しない。思考回路そのものが普通の人間とは全くの別物であるがゆえに、他人の気持ちを考えるという機能自体が備わっていないのだ。だから、彼にとって犠牲者のことなど、どうでも良いことなのである。人がどれだけ死のうが、どれだけ凶悪な犯罪行為が繰り返されようが、坂田が心を痛めることはない。


 扱いに慣れている倉科は、坂田がこんな馬鹿げたことを口にしても、そういうものである――という割り切りで受け流すことができる。けれども、坂田と初対面の縁にはそれができなかったのであろう。坂田を説き伏せたりすることなど不可能であるのに、縁はさらに激昂げきこうする。


「貴方には人の心というものがないんですか? なんの罪もない人が殺され……」


「――無ぇよ。そんなもん。大体、人の心ってなんだよ? 赤の他人が死んだだけなのに、偽善者ぶってあわれんでやることか? それとも、妙な正義感に打ち震える自分に酔うことか?」


 ぴたりと笑うのをやめた坂田は、急に真顔になって縁の言葉を遮った。それでも縁が何かを言い返そうとしたものだから、倉科は慌てて口を挟む。


「山本、それくらいにしておけ。そいつには他人との共感性がないんだ。一般的な感情論を押し付けたところで、恐らく理解すらできないだろう」


 客観的に見れば、坂田が無茶苦茶な理屈を言っているように見えるかもしれないが、きっと坂田にとっては普通のことなのである。他人との共感性が欠如しているために、他人を思いやろうという感情そのものを持たない。坂田にとって人間という生き物は自分だけであり、他の全ての人間は言葉を喋る人形程度にしか思っていないのだ。だから人を傷付けたり殺したりすることに罪悪感が生まれない。もちろん、殺人蜂に殺された被害者に同情するなんてこともない。坂田が興味を持っているのは、事件の構造だけだ。


「ですが――」


 縁は根本的なことを分かっていない。坂田という人間を、ある意味で過大評価している。こちらの言い分に耳を傾けると思っているし、話せば分かってくれるとでも思っているのだろう。しかし、残念ながら坂田を動かしているのは、損得勘定と、事件への好奇心だけだ。正義感もなければ、犯人に対する憎しみも持っていない。それが九十九殺しの殺人鬼の本質なのだ。


「女、話を元に戻すぞ――。これらのポエムから犯人像を推察した結果、お前は犯人が学生であるとの答えを導き出した。さてさて、具体的には何が根拠になるんだ?」


 何事もなかったかのように話を元に戻した坂田に、縁は明らかに不服そうな表情を浮かべる。その鋭い眼光は坂田に向けられ続けていた。大人しくて、どちらかと言えばオドオドとした印象が強い縁だけに、そのギャップに倉科はただ驚くばかりだ。縁は黙ったままだった。


「くくくくくっ――。気の強ぇ女は嫌いじゃねぇぜ。俺の女にしてやろうか?」


 縁の感情を逆撫でするかのごとく、いらんことを口にする坂田。そこで縁が何か言い返そうと口を開きかけたところで、倉科は待ったをかけた。


「山本、ここで坂田とやり合ったところで、事件の犯人が捕まるわけじゃない。気持ちは分かるが、今やるべきことは坂田とやり合うことじゃないだろ?」


 坂田の機嫌が良いうちに、さっさと事件の情報を聞き出しておきたい。縁と坂田がぶつかった時はひやりとしたが、どうやらまだ坂田のヘソは曲がっていないようだ。縁にはぐっとこらえて貰い、話の方向を修正すべきだ。


「縁、我慢っす」


 置いてきぼりをくらっている尾崎が、自分の存在を忘れられまいと口を開く。縁は「分かっています」と呟いて咳払いをひとつ。大きく深呼吸をしてから改めて坂田を見据えた。


「根拠は幾つかあります。これらのポエムの中にこんなワードが出てくる。例えば【後ろの席】【帰りの掃除】【渡り廊下】などです。ひとつめのポエムの中に含まれている【後ろの席】ですが、これは果たしてどのような状況を指しているのか。これって、学校の教室なんじゃないでしょうか?」


 縁が着目したのは、ひとつめのポエムの中にある【後ろの席】というワードだ。ここから縁は学校の教室を連想したようだった。ずらりと並んだ机。前の席に座っている被害者を眺めながら、にやりと笑みを浮かべる男の姿がイメージできた。


「あ、もしかして【帰りの掃除】って、授業が終わって放課後にやらされる奴っすか? 学生時代によくサボったものっす」


 尾崎に言われて、倉科は妙に納得した。確かに【帰りの掃除】は学校時代に誰しもがやらされた経験があるだろう。また【渡り廊下】というワードも、なんとなく学校を連想することができる。尾崎の言葉に頷いてから、縁は続けた。


「決定的なのは最新のポエムの中で使われている【今年も夏がやってくる】に続く【離れ離れになっているうちに】という言い回しです。どうして夏がやってくるだけなのに、離れ離れになると表現しているのでしょうか? それは――」


「くくくっ、夏休みに入るからだよなぁ?」


 本来ならば縁が言うべきであろう言葉を横取りする坂田。最新のポエムでは、夏になると離れ離れになってしまうというニュアンスの表現が含まれている。どうして離れ離れになる前提で書かれているのか――。それは坂田の言った通り、夏休みという概念があるからだ。言われてみればその通りである。


「ついでに言うなら、この犯人は【春が終わる】と言っているのに【一年が始まって間もない】とも言っている。普通の考え方をするなら、一年の始まりは一月だろうから、春の終わりを、一年が始まって間もないと表現するのは妙だ。だが、これも犯人が学生だと考えるとしっくりくる」


「犯人の言っている一年の始まりとは、一月ではなく年度の始まりとなる四月……。言うまでもありませんが、学校は四月から三月までを年度として区切っています。だから、犯人は春の終わりを、一年が始まったばかりだと表現した。一月を一年の始まりだと考えると、春の終わりなんてもう五月か六月になってしまいますから、一年が始まったばかりなんて言い回しを使うわけがありません。ですから、犯人は学校年度を基準にしている可能性が高いんです」


 仕返しとでも言わんばかりに、今度は縁が坂田の台詞を奪い、倉科と尾崎に説明してくれた。これはもう、縁が刑事には向いていないなどと思っていたことを撤回しなければならないだろう。科捜研のプロファイリングを鵜呑うのみにしている捜査本部に、縁と坂田の見解を伝えねば。


「私がポエムから読み取った犯人像は以上です。犯人の年齢を未成年から二十代後半までと広く見積もったのも、犯人が学生であることを考慮した上での――」


「くくくくくくっ――。犯人の年齢はもっと絞れるぜぇ。どうやら、お前は重要な情報を見落としているらしい」


 言葉に言葉を被せ合う。坂田と縁が競うかのごとく犯人像を暴こうとしているように見えるのは、倉科の気のせいだろうか。ただ、やはり餅は餅屋。殺人鬼の心理を理解できるのは殺人鬼なのであろう。縁が読み解いた情報に加えて、坂田はさらにポエムから何かを読み取ったようだった。どうやら軍配は坂田のほうに上がったようで、優越感たっぷりの表情を浮かべながら坂田が続けた。


「ポエムの一節に【時間を早戻しして】という文があるだろう? これ、なんだか違和感がねぇか?」


 坂田の言葉に、尾崎が頷いた。


「それ、自分も思ってたっす。なんか【早戻し】より【巻き戻し】のほうがしっくりくるなって――」

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