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「――で、結局のところ、そこにいるチョンマゲと女はなんだ? 何しにこんなとこに来たんだ?」


 ようやく落ち着きを取り戻した坂田は、尾崎と縁の間に視線を往復させる。恐らく、チョンマゲ呼ばわりされたのは尾崎のほうだろう。


「け、警部……。彼は私の記憶が正しければ」


「あぁ、正真正銘の坂田仁だよ。近くで見ると迫力あるだろ? 餌は勝手に与えちゃ駄目だぞ」


 倉科は冗談じみた返し方をしてやったが、その場の雰囲気は全く和まなかった。むしろ、もっと酷くなったような気がする。


「自分、テレビで観たっすよ。坂田仁は確かに死刑が執行されたって報道されていたはずっす」


 チョンマゲと呼ばれたことを気にしてなのか、尾崎は結わえた後ろ髪に手を当てながら、驚愕の表情を見せていた。


「まぁ、世の中は嘘やフェイクだらけだってことだ。これで分かっただろう? ここで見聞きしたことを口外しちゃいけないって意味がな」


 日本を震撼された凶悪連続殺人鬼。すでに死刑が執行されていることが常識となっているにも関わらず、鉄格子越しに自分の目の前に現れ、しかも絶賛しながら焼きプリンを平らげた。尾崎と縁は夢でも見ているような感覚なのであろう。


「俺は見世物じゃねぇんだよ。全く、例の事件のことを聞きにきたのかと思ったら、わけの分からねぇ連中を連れてきやがって、勝手にごちゃごちゃと――。せっかく、俺の機嫌がいいってのによぉ」


 例の事件とは殺人蜂のことである。本来ならば、別の日に改めて聞きにくる予定だったのだが、どうやら今日の坂田は話す気があるらしい。この天邪鬼は本当に気分屋で、機嫌の悪い時は交換条件をのんでやっても何も話さないことがある。尾崎と縁を坂田と接見させることが目的だったのだが、少しばかり方向修正をしなければならないようだ。坂田が機嫌のいい日など滅多にないのだから。


「警部、例の事件って?」


 できれば黙っていて欲しいのだが、縁の立場からすれば疑問符ばかりが浮かんでいて、それを処理することに必死なのであろう。答えてやる義務はないが、それではあまりにも尾崎と縁が可哀想だ。可能な限り機密は機密にしておきたかったのだが、仕方がないだろう。


「殺人蜂の事件だよ――。今、捜査が行き詰まってるだろう?」


 倉科の言葉に、すかさず尾崎が口を挟んでくる。


「殺人蜂って……。どうしてこいつが殺人蜂の事件のことを知ってるんすか?」


 尾崎に【こいつ】と呼ばれたことが面白くなかったのか、まだクリームのついていた指先を舐めながら坂田が呟く。


「こいつじゃねぇ――。坂田だ。覚えとけよ、チョンマゲ」


「だったら自分もチョンマゲじゃねぇっす! 尾崎っす!」


 尾崎が声を荒げて反論すると、驚いたかのように目を見開き、そして表情を歪める坂田。腹の底から漏れ出すかのような笑い声が、喉からひり出される。


「くくっ――くくくくくくく。こいつは驚いた。初めて俺を目の前にして、これだけ物怖じしない奴は見たことがねぇなぁ」


 確かに坂田の言う通り、彼と初対面でここまで堂々としている人間は初めてかもしれない。今は慣れてしまったが、倉科だって初めて坂田と対面した時は、恥ずかしながら膝の震えが止まらなかった。その点、尾崎は向こう見ずなところがあるというか、先の想像力に欠けるというか――悪い言い方をすれば、お馬鹿であるため、戸惑っていながらも物怖じしないように見えるのであろう。


「もうここまで来たら中途半端に隠し立てできないな……。まぁ、ここに足を踏み入れた時点で、お前達はとんでもない――それこそ国家機密レベルの機密を知ってしまったようなものだ。くどいようだが、今後のお前達のためだ。これから話すことは絶対に口外するな。いいな、外部に漏らしても損しかしない。友人や知人はもちろんのこと、家族にも口外するなよ?」


 坂田は事件のことを話したがっているようだし、この機会を逃したら、次はいつ応じてくれるのかも分からない。完全に二人を巻き込んでしまう形になってしまうが、まだ二人を0.5係から外すつもりでいるし、とにかく機密であっても二人が口外さえしなければ問題はないだろう。最終的な責任は全部叔父に押し付ければいい。まだ決定事項を覆す悪足掻きを諦めたわけではなかった。


 尾崎と縁は、やや不安げな表情のまま頷いた。尾崎は単純だから、平然と坂田と渡り合っているが、やはり縁は坂田の持つ威圧感に気圧されているのか、自然と倉科の背後に立つような形になっていた。


「さっき、中嶋――俺達を案内してくれた刑務官が言っていた、0.5係こと俗称ハンテンのことなんだがな。実は俺が持っているもうひとつの肩書きなんだよ。正式名称、対凶悪異常犯罪交渉係。日本で発生する凶悪な……その中でも猟奇性が強く、通常の捜査では解決が困難な事件に特化した知られざる係だ」


 坂田と事件のやり取りをする手前上、下手に機密を隠そうとするよりも、いっそのこと全て話してしまったほうが、尾崎や縁の不信感も和らぐことだろう。なんだか二人に引き継ぎ作業をしているような気がして嫌だったが、倉科は首を横に振って話を続けた。


「対凶悪異常犯罪交渉係? その――猟奇事件に特化した係というのは、なんとなく理解できるんですが……交渉って? 誰と交渉するんです?」


 その言葉に倉科は坂田のほうへと視線を移した。つられて尾崎と縁も坂田を見る。坂田はにたりと笑って「狂ってるだろ?」と、皮肉っぽく呟く。倉科は大きな溜め息をひとつ。


「俺達の目の前にいる男とだよ――。こいつは頭のいかれた狂人だが、類は友を呼ぶというべきか猟奇性の強い事件に関しての造詣ぞうけいが深い。犯人の目線に立って物事を考えるから、俺達警察でも思い寄らない真相にたどり着いたりするんだよ。たちの悪いことにな」


 尾崎と縁は文字通り言葉を失ってしまったようだった。信じられないといった様子で、倉科と坂田の間に視線を往復させていた。


「つまり。警察の馬鹿が手に負えないような事件を、この俺が解決してやってるってことだよ。笑えるだろう? 馬鹿みたいに人を殺した殺人鬼に、こいつが頭を下げに来るんだよ。さっきみたいに手土産を持ってなぁ――」


 倉科が暴露する前に、坂田自身がさっさと機密を二人に漏らしてしまう。どちらにせよ、二人に話すつもりではあったが、坂田に先を越されたようで面白くない。坂田はこの事実について、死刑囚でありながら自分が置かれている境遇を、どのように捉えているのであろうか。


「それってつまり、坂田に捜査協力を求めてるってことですか? 九十九人もの人間を殺害した殺人鬼なのに――。表向きでは、すでに刑が執行されているっていうのに」


 ようやくといった具合で、縁が言葉を絞り出した。その口調には驚きばかりではなく、倉科に対しての……いや、警察に対する不信感のようなものが含まれているような気がした。考えすぎなのかもしれないが、なんだか後ろめたい。


「その通りだよ。この件に関して弁明するつもりはない。まぁ、国が全て決定したことであって、警察組織そのものには、本件についての発言権はなかったとだけ言っておこう。言い訳にならんがな。そして、坂田に協力を仰いで猟奇性の高い事件との橋渡しをする損な役回り――0.5係ことハンテンもまた、国が勝手に決めたことなんだ」


 日本国に住んでいる限り、国の決定事項に意がそぐわなくとも飲み込むしかないのが国民の性である。もっとも、こんなに理不尽なことを飲み込まねばならないのは、世の中を探しても0.5係くらいだろうが。


 警察が凶悪殺人鬼の死刑囚に、非合法的ながらも事件解決の協力を仰ぐ。事実は小説より奇なりとは良く言ったものであり、頭の中で整理するのが追いつかないのであろう。尾崎と縁はア然としていた。

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