彼と出会ったのは、恐らく偶然だったのであろう。尾崎と一緒に進学塾を訪れた際に、たまたま彼が塾から出てきて、そして偶然にも縁達が声をかけたのだった。あの時の縁と尾崎は、まさか声をかけた張本人こそが殺人蜂であるなど、思いも寄らなかった。あまりありがたいとは思えないが、これも巡り合わせだったのかもしれない。


 甘いマスクに爽やかな出で立ち。小洒落た格好をしていた彼は、縁の思い描く犯人像とかけ離れていた。しかしながら、人のコンプレックスというものは、他人には分からないものだ。もしかすると、彼は彼なりに、心のどこかに闇を抱いていたのかもしれない。その答え合わせは、彼を逮捕してからじっくりと聞き出すしかない。


 縁は手錠を取り出そうとして、自分が私服姿だったことを思い出した。当たり前だが、プライベートで手錠を持ち歩く趣味などない。これでは、殺人蜂を拘束しようにも拘束できないではないか。急いでいたとはいえ、一度署に寄るべきだったのかもしれない。


 どうしていいのか考えあぐねている間に、岡田が急に我に返ったかのごとく、すっと立ち上がった。岡田のすぐそばにアイスピックが転がっていたことに気付いたのは、次の瞬間だった。奪いに向かおうと思った時には、すでにアイスピックが岡田の手に握られていた。


「おかしいんだよなぁ。ほら、僕って外見は悪くないと思うんだ。それなのに、彼女ができたとかさ、バレンタインにチョコを貰ったとかさ、そんな話題は顔面偏差値が僕よりも低い人間のものなんだよねぇ。それで、どいつもこいつも、僕を心の中で馬鹿にしてるんだよ。彼女の一人すらできない童貞野郎って――。チョコのひとつさえ貰えない嫌われ者だって。おかしいよねぇ。世の中はおかしいんだよねぇ」


 まるで人が変わったかのごとく、アイスピックの先端を指で弄くり回す岡田。さっきまでの態度が嘘だったかのように、小さく溜め息まで漏らす始末。その姿を見て、縁は岡田の歪んだ心の闇を見たような気がした。


 ――高嶺の花という言葉がある。これは美男子や美女に対して使われる言葉で、自分には手が届かないような相手を指す。もしかすると、岡田はずっと高嶺の花であって、それを本人が勝手に歪んだ解釈をしてしまったのかもしれない。


「寄ってくる女は僕とは釣り合わない不細工ばかり。どうして、その顔面凶器で僕に言い寄ってこれるのか知りたかったよ。きっと、みんなで僕を馬鹿にしているんだ。馬鹿にして、どこかで楽しんでいるんだよ」


 急に冷静になったのが妙に恐ろしかった。歪んだ闇を、知っているかのように自己分析する岡田に寒気がした。さっきまでは発狂していたというのに――。その両極性が岡田の異常さに深みを与えていた。


「本当に、おかしいよなぁ。僕はずっと待っているのに――。どいつもこいつも僕を無視して、僕よりも劣る男と付き合う。中学校の頃のあの子も、高校の時のあの女も――僕の気持ちなんて無視して、他の男と付き合ったんだ! あぁ、きっと僕のことを馬鹿にしていたに違いない。僕を見下していたに違いない。こっちは待ってやっていたのに! 普通、こっちが待ってたら声をかけてくるのが当然だろう!」


 この男は、心にずっとコンプレックスという名の魔物を飼っていた。曲がりに曲がった解釈しかできぬ、理解力に乏しい魔物を。


 きっと岡田は、今まで受けの姿勢でしか恋愛と向かい合えなかったのであろう。その気になれば、どんな女性でも手に入れることができるような容姿でありながら、ずっと待つだけの恋愛だったのだ。女性との接し方は母親との関係性が影響を及ぼすことがある。きっと、身の回りのことは何でもやって貰って、無条件に愛情を注がれながら育ってきたのだろう。だから――女性のほうから何でもしてくれるという間違った認識を抱くようになってしまった。


 加えて岡田には他責傾向が伺える。こうなっているのは自分のせいではなく、他人のせい。生きて行くうえで、自分にとって面白くないもの、都合の悪いことは、自分のせいではなく他人のせいで生じている。そのように強く思い込んでいるのだ。自分に恋人ができないのも――容姿が整っていながら女性が寄ってこないのも、全て自分ではなく誰かのせいなのだ。


 実際に岡田がどのような家庭環境で育ったのかは分からない。しかしながら、家庭環境は人格の形成において、大きな部分を占める重要な場所でもあるのだ。


 母親から過剰な愛情を受け、常に干渉されながら生きてきたであろう岡田は、何でもかんでも女性にして貰って当然という認識を植え付けられた。恋愛という一面においても同じで、何もせずに待っていても、女性のほうが動いてくれるという、間違った認識を持ってしまった。


 当然、実際のところの恋愛事情は、必ずしもそうではない。男性のほうから動かねば実らない恋なんて腐るほどにあるのだ。むしろ、そのほうが圧倒的に多いはず。その現実とのズレが、本来ならば抱くはずもないコンプレックスを岡田に抱かせてしまったのであろう。


 そう――女性に不自由しないように見えながら、その容姿が淡麗であるがゆえに異性が尻込みをしてしまい、そして敬遠されてしまった不遇の男。そして、歪んだ愛情の注ぎ方をされたがゆえに、ねじ曲がった認識を持ったまま成長をしてしまった結果、彼は殺人鬼と化してしまったのだ。


 人は誰しもがコンプレックスを抱いている。誰もが羨むような容姿の持ち主であっても、周りから見れば完璧な人間のように見えても――。


「そんな勝手な理由で五人もの人間を殺すなんて、許されたことじゃない……」


 広瀬をかばうようにしながら、岡田との間合いを保とうとする縁。放った一言が気に障ったのか、岡田はまたしても人が変わったかのように声を荒げる。もはや、感情の起伏なんて言葉では表せないほどの変わりようだった。


「う、うううううっ! うるさいっ! ママはそんなこと絶対に言わないぞ! やっぱり、ママ以外の女は糞だ。畜生だ! こここここっ、殺されても仕方のない生き物なんだ!」


 コンプレックスが歪みに歪んだ結果、その恨みは世の中の女性へと向けられた。自分に言い寄ってこない女が悪い。自分のことを見ない女が悪い――。そのように自分の責任を他人へと転嫁し、それが凶行にいたる引き金になってしまった。


「なら、ママと付き合えば良かったじゃないか。ママと結婚すれば良かったじゃないか! そうすれば、雪乃は――雪乃は死なずに済んだのに!」


 岡田の声をかき消すかのごとく、広瀬の怒号が響いた。岡田の自分勝手な言い分に、堪忍袋の緒が切れてしまったのであろう。縁の背後からは、獣のような荒い息が漏れていた。


「雪乃? あぁ、あの好き者の女かぁ。最初は嫌がっていたけどさぁ、随分と楽しんでいたみたいだよぉ。死ぬまで、ずっと体をビクンビクンって痙攣させてさぁ。あんなのを淫乱って言うんだろうねぇ」


 またしても人が変わったかのごとく、静かな口調で淡々と漏らす岡田。浮かべられた笑みからは、自分のやってしまったことに対する罪悪感など一切感じられなかった。むしろ、自分のやったことを誇らしげに、それこそ自慢するかのごとくのたまっていた。


 狂っている――。いや、人を五人も殺しているのだから狂っていて当然なのであろうが、それにしたって歪んだ価値観だと思う。この男は、殺人そのものを性行為にすり替えているのだ。つまり、彼の原動力となっているのは性衝動。恐らく、これまで生きてきた中で抑制されていた性の観念が変異し、殺人という行為にすり替えられてしまったのだろう。


「――この野郎っ!」


 岡田の動きを警戒するあまり、背後にいる広瀬への注意が薄れてしまっていたのだろう。縁の脇をすり抜けるかのごとく広瀬は飛び出すと、アイスピックを持った岡田へと飛びかかる。恋人を殺され、そして岡田本人の口から恋人のことを愚弄するような言葉が出たせいで、とうとう我慢できなくなってしまったのだろう。広瀬のことをもっと気にかけておくべきだった――と後悔しても後の祭りだ。か

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る