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「車の免許も、危ないから――という理由だけでとらせなかったらしい。なんというか、あんな母親と一緒にいたら、窮屈で仕方がなかったと思うんだがな」
歓楽街の中を、ただ【人妻ヘルス】の看板を目印に進む。夜がメインの街であるため、真昼間でも人の気配はまばらで、夜になると人が行き交う通りも
「なんでもかんでも母親に支配されていたんすね。愛情を注ぐことは結構なことっすけど、縛り付けるような愛情は愛情じゃねぇっす。愛情という名の支配でしかねぇっすから」
尾崎が呟くと倉科が苦笑いを浮かべ「珍しくまともなことを言うじゃないか」と漏らす。尾崎は「自分はいつでもまともっす!」と反論するが、残念なことに説得力はなかった。
ようやく【人妻ヘルス】の看板の前へとやってくると、照らし合わせたかのように周囲を確認する。ここに入るところを他人に見られても、まさか地下に監獄が広がっているなんて思う人間はいないのだろうが、あまりにも倉科が周囲を警戒するものだから、それが自然とうつってしまったようだ。
辺りに人がいないことを確認すると、一目散に扉へと駆け込む。薄暗く、じめりとした階段が縁達を出迎えた。
「さて、アンダープリズンに入る前に、二人に話しておかなきゃならないことがある。大事な大事な話だ」
階段を降りると、エレベーターに乗る直前で振り返る倉科。大事な話――なんて言われると、嫌でも身構えてしまう。勝手な行動をとったことによる処分が、まさかこんなところで下されるのであろうか。
「殺人蜂は無事に逮捕することができた。ただし、原因はいまだに分からないが、殺人蜂は事情聴取を受けられないほどに精神を消耗し、重傷を負っている状態だ。幸いなことに広瀬が撮影した動画のおかげで、証拠は充分だ。本人から話が聞けなくとも送検はできるだろう。広瀬の動画では、殺人蜂に襲われる山本の姿が映っていて、刑事うんぬんは関係なく、山本もまた殺人蜂のターゲットにされたものだと、苦し紛れながら話をすり替えることもできた。表向きではお前達のやらかしたことは、上手い具合に隠蔽できたわけだ。ただ――」
倉科はそこで言葉を区切ると、神妙な面持ちで手痛い一言を吐き出した。
「下手をすれば、最悪の結末が待っていたかもしれない。俺にも責任はあるが、やはり勝手に捜査を混乱させた責任はとらなきゃならん。俺の苦し紛れの言い訳が、全ての警察関係者に通用しているわけでもないだろうからな」
これまで考えないようにして過ごしてきたが、はやり処分は逃れられないのだろうか。ようやく、坂田に近付くチャンスを手にしたというのに、これで0.5係の話が流れてしまいでもしたら、何のために刑事になったのか分からなくなってしまう。
「俺が幾ら隠したところで、裏付け捜査を捜査本部が行っていくうちに、お前達が勝手に捜査をしていたことは表に出てしまう。だから、報告すべきところは報告させて貰った。その結果、お上のお偉さんから処分が言い渡された」
倉科は縁と尾崎の間に視線を往復させる。突然、処分の話を切り出された尾崎は体を
「山本縁、尾崎裕二。両名に無期限の謹慎処分を言い渡す」
倉科が静かに言い放った言葉に、辺りの景色がぐにゃりと歪んだ。確かに、勝手に捜査を行い、それが本分である合同捜査本部の捜査を混乱させたことは認める。倉科の努力により、ある程度の隠蔽はされたのだろうが、暴走して殺人蜂と対峙することになってしまったことも認める。しかし、それにしたって無期限の謹慎処分なんて聞いたことがない。それはある意味、懲戒処分のようなものではないか。
「ちょっと待って欲しいっす! それってあまりにも厳しすぎはしないっすか? 結果的に殺人蜂の逮捕に繋がったのに、無期限の謹慎処分なんて――」
尾崎が慌てて反論をした。すると、倉科はなぜだか笑みを浮かべる。
「まぁ、慌てるな。確かにお上のお偉さんから無期限の謹慎処分が言い渡された。ただ、こいつを発令したのは警察署長じゃないし、それよりも上の人間でもない。本来ならば警察と直接的な繋がりがない――法務大臣直々に出されたものだ。あくまでも表向きってことだよ。ここまで言えば分かるよな?」
倉科はそう言うと、足を横に振り出し、音を鳴らしながら両足を揃え、敬礼のポーズをとった。
「捜査一課、山本縁警部補!」
そして声を高々と上げると、そのままの姿勢を保ちつつ目で訴えてくる。こちらがどう反応していいのか迷っていると、倉科が小声で「敬礼、敬礼だよ――」と呟く。普段は敬礼することなんてないし、警察学校以来かもしれない。それでも、縁はうろ覚えで敬礼を返した。そんな縁の姿に、倉科は再び笑みを浮かべると、さらに大きく声を張って、こう続けた。
「本日付けで、貴殿に捜査一課0.5係を命ずる! 法務大臣――
地獄から天国というべきだろうか。いや、この先にきっと待っているのは、決して天国ではないだろう。むしろ、捉えようによっては地獄であるとも言える。縁は敬礼をした格好のまま固まった。どうやら、0.5係への配属が正式に決まったようだ。となるとこれは、辞令交付式の真似事なのだろうか。会場はコンクリートに囲まれていて殺風景であるし、辞令書の交付もないようだが。
「同じく捜査一課、尾崎裕二巡査!」
倉科は体の向きを直し、尾崎のほうに向かって再び敬礼をする。尾崎は笑みを浮かべると、踵を鳴らして敬礼を返した。
「はっ!」
無期限の謹慎処分というのは、もしかしてカモフラージュなのか。0.5係は知られざる係であるがために、表向きには無期限の謹慎処分という形にして、辞令が交付されたのかもしれない。
「本日付けで、貴殿に捜査一課0.5係を命ずる! 法務大臣、三田國義」
尾崎が敬礼をしたまま、ちらりと縁のほうを見て笑みを浮かべた。その表情には希望が満ちていたように思えた。坂田に近付くためだけに0.5形を志願した縁と違い、きっと薔薇色の未来を夢見ているのであろう。
「0.5係は本来、警察組織上に存在し得ない。それゆえに辞令書の交付も行わず、口頭のみの辞令交付となる! また、直属の上司を法務大臣とし、その代理として捜査一課0.5係を兼任している倉科重道警部の指揮下に入る! まだ世には公表されていない試験的な役割であるがゆえに、その激務は計り知れないが、一個人として活躍を期待する!」
堅苦しい文言を、体育会系ばりに声を張り上げた倉科。しかし、それを言い終えた後に大きく溜め息をつき「――だとさ」と笑みを浮かべた。どうやら、法務大臣からの言葉をそのまま伝えてくれたらしい。倉科は敬礼のポーズを解くと「お前達も楽にしていいぞ」と言ってから、さらに続けた。
「堅苦しくてわけが分からなかったかもしれないが、ようは0.5係への正式な辞令が降りたってことだ。ここまでくれば言わずとも分かるだろうが、無期限の謹慎処分というのは、警察内部に対する建前のようなもんだ。いきなり同じ署の刑事がだ――しかも、片一方はキャリアだってのに、同時期に退職したとなると不自然だろ? まぁ、法務大臣の計らいらしいが、やられるほうは堪ったもんじゃないな。実質、処分はあってないようなもんなんだがな」
表向きの捜査一課から、裏側の捜査一課0.5係にシフトする。0.5係が機密の存在であるため、異動をするにしても様々なしがらみがあるのだろう。
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