事例1 九十九殺しと孤高の殺人蜂【エピローグ】1

【1】


 あの事件から数日。連続通り魔殺人鬼である殺人蜂の逮捕は、日本にセンセーショナルな衝撃を与えた。犯人が重症を負ったまま逮捕されたという事実のみが誇張されて報道されてしまったせいで、様々な憶測を呼んでいる。ただ、警察も馬鹿ではなく、その辺りは報道規制をかけているようで、詳細までは報道されていない。逮捕された犯人が、なぜだか重症を負っていたという事実だけが一人歩きしている。今は報道も加熱しているが、喉元過ぎればなんとやらで、きっとしばらくすれば世間から見向きもされなくなり、そして忘れられていくのであろう。


「殺人蜂は警察病院で手当てを受けているが、話が聞けるようになるには時間がかかるみたいだ。重症ではあるが、話ができない状態でもないらしいがな――」


 ハンドルを握る倉科が、ウインカーを上げながら、ぽつりと呟いた。助手席に座っている尾崎がそれに対して口を開く。


「あぁ、自分もその話は聞いたっす。なんでも、精神的に不安定な状態で、支離滅裂なことを繰り返しているとか」


 後部座席に座る縁は、そのやり取りに姉の姿を思い浮かべてしまう。きっと、殺人蜂の精神を壊してしまったのは姉だ。命までは取らなかったが、その代わりに心を殺してしまったのだ。


 現場から引き上げた後、色々とごたごたがあったせいで、帰宅したのは翌日の朝のことだった。すぐにでもベッドに飛び込んでやりたかったが、事情が事情であったため、とにかく姉を問い詰めた。しかし、姉は知らないとシラを切った。息をするように嘘をつくことは姉の十八番であり、本人がどんなに否定しても、縁は姉の仕業であると思っている。


 幸いなことに――というのも妙な話であるが、殺人蜂の傷害の一件については、まだ音沙汰がない。衝撃的な場面に意識が飛んでいたのか、あの時のことは縁自身も覚えていないし、広瀬も気を失っていた。よって、真実を知るのは姉と殺人蜂のみであるが、殺人蜂が話をできる状態ではない限り、真相が明らかになることはないのだろう。刑事という立場からすれば、真相を明るみに出すべきであるが、親族という立場からすれば、やはり明るみに出ないのであれば、それに越したことはないというのが正直なところだ。


 ちなみに、殺人蜂がそんな状態だからなのか、今のところ捜査本部からの呼び出しもなかった。捜査の事後処理がどんな形で進んでいるのか分からないから、何とも言えないのであるが――。


「それにしても、あの広瀬って少年はたいしたもんだな。たった一人で殺人蜂を追っていたらしいぞ――」


 念のためにと病院に搬送された広瀬であったが、かすり傷程度で済んだため、その日のうちに家に帰されたそうだ。その後、事件の目撃者として何度か警察に事情聴取を受けていたはずだが、その詳細を聞かされるのは、これが初めてだった。


「広瀬君は広瀬君なりに、自分の正義を貫こうとしたんですよね――」


 やり方は褒められたものではないのかもしれない。だが、同じように一人で突っ走ってしまった縁は、なんだか他人事のようには思えなかった。


「事情聴取の際に散々説教されたみたいだがな。警察に届け出れば良かったんだが、彼は二人目の犠牲者が出た段階で塾の関係者を疑っていたらしい。たまたま二人目の犠牲者とは、塾で同じクラスだったらしくてな――。立て続けに同じ塾に通う人間が殺されたことから、関係者を疑うようになったようだ」


 広瀬は直感的に塾の関係者の中に犯人がいると考えたようだ。この時点で警察に情報提供をしてくれれば良かったのだが、恋人を失ってしまった広瀬には、きっとそんな余裕がなかったのであろう。それとも、自らの手で仇を討ちたかったのかもしれない。どちらにせよ、警察に届け出るという行為は、高校生からすれば敷居の高い行為だ。一方的に説教をされて広瀬も面白くなかったであろうに。


「彼が様々な授業を勝手に受けるようになったのは、犯人を見つけ出すためだったんですね――」


 広瀬は殺人蜂の正体を掴もうとしていた。そして、殺人蜂が塾の関係者であると踏んだ広瀬は、少しでも多くの情報を掴むために、様々な授業に顔を出したということなのだろう。その過程で恐らく、広瀬は徐々に殺人蜂の正体に近付いていったのかもしれない。


「あぁ、そのうちに、ある共通点に気付いたらしい。犠牲者は全て、一度は岡田の授業を受けていたことがあった。岡田は講師が休んだ際などの代打として壇上に立つことが多かったらしいからな。今思えば、壇上に立ちながら次のターゲットを選定していたのかもしれない」


 岡田は塾の関係者であり、それならば塾の生徒の個人情報を知ることもできたはずだ。それもまた、広瀬が確信を得る要因になったのであろう。


「――あの時、事件の発生現場で彼と会ったのは、もしかすると花を手向けに来ていたのかもしれないっすね。だとすれば、彼に申し訳ないことをしたっす」


 尾崎が後部座席へと振り返り、申し訳なさそうに目尻を下げた。事件発生現場に立ち寄った際、縁と尾崎の二人は広瀬と鉢合わせになっている。彼が逃げ出したため、慌てて後を追ったわけであるが、思い返してみると、彼は花を手向けるために、あそこにいたのかもしれない。いや、まだ供えたばかりだった花と菓子があったから、きっとそうなのだろう。


 車は神座の中心街へと入り、歓楽街が見えてきた。馴染みというにはまだ早い駐車場へと車を止めると、歓楽街の入り口へと向かう。ここを訪れた目的は他でもない。坂田と接見を行うためだ。なんでも、坂田に事件のことを話しておかないと、後でヘソを曲げて面倒なことになるとか。縁達も同行せよとのことらしいが、アンダープリズンに入るための認可はどうなっているのだろうか。


「ちなみに、調べていくうちに分かったことだが、山本と坂田のプロファイリングがおおむね一致したよ。犯人像に関してはドンピシャだった」


 歩きながら手帳を取り出すと、ちらちらと前を見ながら倉科が続ける。


「岡田は大学受験に失敗して現在は浪人生だった。社会に出た経験はなく、アルバイトも塾の講師が初めてだったみたいだ。つまり、学校の世界しか知らなかったって訳だ。浪人生もある意味では学生であると定義できるしな。――実家は第一の事件が起きた相楽にあって、母親と二人暮らしだった。まぁ、その母親に話を聞きに行ったんだが、とにかくごたごたとしたよ」


 恐らく、岡田の母親に直接話を聞いたのは、倉科自身なのであろう。少しばかり視線を宙に投げると、大きく溜め息を漏らした。


「うちの子はそんなことをしない。優しくて良い子なんです――。なんてことを繰り返し主張するばっかりで、話を聞き出すのに難儀したよ。まぁ、俺から見てもあれは過保護ってやつだな。しかも、面白い――というべきか、狂気じみた話も聞くことができた。なんでもな、岡田が悪い女に騙されないようにと、特に女性関係については、ずっと監視をしていたって言い出したんだよ。あの子はママがいれば充分なんだから、他の女を……ましてや殺したりなんてしないってさ」


 その話を聞いて、どこか背筋が寒くなったような気がした。犯人は母親から過干渉なまでの歪んだ愛情を受けていたのだ。


「父親のほうは岡田が小さい頃に亡くなっているらしくてな。その分、岡田に愛情が注がれたんだろうな。普通の感覚だと異常なほどの、歪んだ愛情をな――。子供はいずれ大きくなって自立するもんだ。きっとそれが分からなかったのか、分かっていながら認めたくなかったのか。いずれにせよ、家庭環境のせいで殺人蜂が生み出されたのかもしれない」


 岡田本人の口から聞かずとも、彼が人格を歪めながら育っていたことが如実に分かる話だった。母親の行き過ぎた愛情がゆえに、岡田は恋愛関係に対しても、歪んだ認識を持ち続けていたのかもしれない。

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