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 やはり思った通り、第一発見者に疑いがかかる余地はなさそうだ。手口から見て、誰が見たって同一犯であることは確定。事件として報道されておらず、世間には一切公表されていないのだから、模倣犯という可能性はゼロに等しい。まずは第一発見者を疑え――などというセオリーは通用しない。いいや、これは常軌を逸脱した猟奇殺人事件。そもそもセオリーなんてものが通用するものではない。


 さてさて、ここからどう話を広げるべきか――。安野達から向けられる期待がプレッシャーとなってのしかかる。もちろん、本当のことは言えない。まさか、この事件の捜査に九十九殺しの殺人鬼が加わっているなどとは、口が裂けたって言えなかった。自分達は単なる橋渡しでしかないなど、例えそれが機密ではなかったとしても言い出せる空気ではない。


 できる限り写真を見ないようにして資料を見直し、自分に向けられる期待に応えようと頭を働かせる。応援という形で――しかも、猟奇殺人事件のエキスパートなんて設定がある以上、適当なことも言えない。尾崎は酒が入っているせいで頼りにならないし、変な対応をしてしまうと安野達に不信感を与えてしまう恐れがある。性質上、仕方のないことなのかもしれないのだが、0.5係という立場は決して楽ではない。


「ママ、遅くなってごめーん。思った以上に店が激混みで」


 そんな縁に助け舟を出したのは、尾崎ではなく別の第三者だった。店のドアが開くと、そこには買い物袋をぶら下げた、青いドレス姿の女性が姿を現した。客がいないものだと思っていたのだろうか。振り返った縁達を見て、はっとしたような表情を一瞬だけ見せると、笑みを浮かべて頭を下げた。


「いらっしゃいませぇ」


 ――猫なで声というのだろうか。なんとなく人にこびるような声質に、申し訳ないが同性として、ほんの少しだけ不快感を抱いた。本人にそんなつもりはないのであろうが、このようなタイプは学校のクラスに必ずいたように思える。それがわざとではなく、デフォルトであったりするからタチが悪い。きっと自分でも気付かないうちに損をしているタイプなのだろうな――青いドレスの女性の姿に、そんなことを思った。ここは夜の店であるから、職業柄というのもあるかもしれない。そう考えると、つくづく水商売というものは大変な仕事なのであろうと思う。縁には逆立ちをしたってできない仕事だ。


「あー、安野さん。久しぶりー」


 青いドレスの女性は、買い物袋を手にカウンターの中へと入ると、バックヤードに消える間際に安野のことに気付いたのか、親しい感じで手を振る。買い物袋を持ったままだから、シャカシャカとビニールが擦れて音を出す。


 バックヤードへと消えて行った女性は、きっと買ったものを置きに行っただけだったのであろう。すぐに戻ってくると、ママの隣へと立った。


「彼女がさっき話に出たミサトちゃんだよ。この店じゃ、かなりの古株だったんだがなぁ――辞めるんだって?」


 事件の大まかな話は終わっていたし、少しばかり重苦しくなってしまった場を和ませるつもりなのか、安野が事件と全く関係のないことを口にした。


「――ようやくデザインの仕事のほうが軌道に乗ってきたし、そろそろ本腰を入れようかなぁって思って」


 ミサトはそう答えると、実に嬉しそうな表情を浮かべた。人間というものは、誰しもが夢を抱く。それを実現して一生付き合っていける人間は一握りではあるが、少なくとも彼女はその第一歩を踏み出したのであろう。もっとも、誰しもが輝かしい夢を抱き、前向きに夢の実現を目指すわけではないことを縁は知っている。どちらかといえば、縁自身が後ろ向きな理由で刑事を志したのだから――。こんなことを言ったら、本当に刑事を志している人に悪いような気もするが、縁は夢と希望を持って桜の代紋を背負ったわけではないのだ。


「それにしても、安野さん――今日は両手に華じゃないですかぁ。女の人を二人も連れてどうしたんですかぁ?」


 ミサトが縁と先生のほうに視線を往復させ、やや含ませたような口調で問う。安野は溜め息を小さく漏らし「そんなに俺が女連れだと珍しいか?」とぼやく。それに対して麻田が「まぁ、普段から女っ気が全くないから」と、これまた悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「あー、こっちは法医学の先生。で、こっちは俺と同業者――刑事だよ」


 安野が簡単に先生と縁を紹介する。先生は「――どうも」と頭を軽く下げ、縁も小さく会釈をした。


「ということは――こちらの方も警察関係の方ですかぁ?」


 続いて尾崎のほうに首を動かすミサト。その際、左耳から妙に沢山のピアスがぶら下がっていることに気付いた。軟骨辺りにずらりと並んだリング状のピアスが、なんだか痛々しく見える。


「自分、尾崎っす!」


 さして飲んでもいないはずなのに、なんだか呂律の回らない様子で敬礼をする尾崎。そんな尾崎にクスッと笑ったミサトが向き直ったが、どうやら右耳は控えめに数個のピアス穴が空いているだけのようだった。やはりデザイン関係――言い換えればアーティトというものは、奇抜なファッションを好むのであろうか。どうせ開けるなら、両方とも同じ数にすればいいと思うのは余計なお世話なのかもしれない。


「あ、それじゃあ――」


 ミサトはそう言うと、カウンター下から名刺入れらしきものを取り出し、そして尾崎に向かって名刺を差し出した。


「自分、太田美里っす!」


 尾崎が名刺を受け取ると、ついさっきの尾崎の真似なのか敬礼をするミサト。尾崎は「よろしくっす!」と、これまた大袈裟に敬礼を返す。やはり、この店では源氏名という制度が撤廃されているのか。夜の店としては、随分と珍しいような気がする。


 ミサトは尾崎に続いて、安野、先生、縁、麻田に名刺を配る。最近になって一新されたという名刺で、しかもデザインしたのがミサト本人ともなれば、それを誰かに配りたくて仕方のないのは当然のことなのかもしれない。名刺を受け取る際に「山本です」と軽く挨拶を交わした。


 ミサトは名刺を配り終えると、安野に向かって「私も貰っていいですかぁ?」と、返事を聞く前に水割りを作り始める。安野に聞いたのは社交辞令であり、むしろ勝手にいただいても構わないというスタンスなのかもしれない。ボトル棚の一列を占領しているという安野のキープボトル。口には出さないのであろうが、店としては迷惑なのかもしれない。


 空になった尾崎のグラスにも焼酎が追加され、まだ半分ほど残っていた縁のグラスにも、並々と水割りが作られた。安野、麻田の飲み物も、慣れた手つきでミサトが作る。先生のところにも烏龍茶が追加された。改めて全員の飲み物が揃い、そしてミサトを交えて乾杯した。


 もう事件の話はしないのだろうか――。そう思いながらグラスに口をつけると、電話の着信音らしきものが隣から聞こえた。足元に置いていた鞄を漁ると、スマートフォンを片手に立ち上がったのは先生だった。


「ちょっと失礼」


 先生はそう言うと、店の外へと出て行った。それを見送ると、ミサトの名刺をまじまじと眺める安野。この店の常連であるみたいだし、ミサトはここの古株らしい。そんなミサトが辞めてしまうのことに感慨深いものがあるのかもしれない。もしかすると、娘を送り出す父親のような感覚なのかも――。少しばかり嬉しそうに名刺を眺める安野からは、そんな雰囲気が漂っていた。そんな安野だったが、名刺に顔を近付けると「ん?」と声を漏らす。


「ミサトちゃん。これ――名前が間違っていないか? 確か君の苗字は【大田】じゃなくて【太田】だったろ?」


 ミサトと初対面である縁は、当たり前ながらミサトの苗字が間違っているなどとは知らない。しかも【大田】と【太田】は読み方が同じであるからなおさらである。常連の安野だからこそ気付けたことなのであろう。

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