【2】


「――というわけだ。今度から俺だけじゃなくなるんだから、妙なことでヘソを曲げたりして、こいつらを困らせるなよ?」


 あらかたの事情を説明した倉科の手には、拳銃が握られている。縁の手にも拳銃、そして尾崎の手にも拳銃が握られていた。中身は模擬弾ではあるが、三人から一斉に銃口を向けられるというのは、気分の良いものではないだろう。支給された拳銃もまた、0.5係の証になるのかもしれない。


「――あ?」


 独房に足を踏み入れた時から、ずっとこちらに背を向ける形で、ベッドの上に横になっていた坂田。こちらに顔だけ向けると、実に面白くなさそうな表情を見せた。なんというか、絶賛ヘソ曲げ中のようだ。


「だから、さっき説明した通り、こいつらが正式に0.5係になったんだよ。俺一人になら通用していたかもしれないわがままも、これからは通用しなくなるかもしれない。それに、山本と尾崎にはアンダープリズンに常駐して貰う形になる。――つまり、お前を取り巻く環境も変わるって言っているんだ」


「そんなこと、知ったこっちゃねぇな」


 倉科の言葉に間髪入れずに返すと、坂田は大きく溜め息を漏らして続ける。


「――殺人蜂だって、なんかお前らだけで解決したみたいな流れになってるじゃねぇかよ。お前らより先に俺のほうが犯人にたどり着いていたし、根拠だってあったのによぉ」


 坂田がどうしてヘソを曲げているのかは、大体ではあるが縁には分かっていた。坂田の見解を聞かずに、坂田の知らないところで勝手に事件が解決してしまったからである。もっとも、坂田の見解を聞くタイミングで、縁が殺人蜂に拉致されてしまったせいで、倉科達がそちらを後回しにせざるを得なかったという事情があるらしいのだが。


「そうか――。だったら、今ここで話してみろ。いやぁ、実は殺人蜂を逮捕できたのは、山本が殺人蜂に拉致されたからであって、根拠もへったくれも俺達にはなかった。現行犯逮捕ってやつだったからな。もし、あの時点で犯人にたどり着いていたのなら、何を根拠にたどり着いたんだ?」


 倉科はやや下手したてに出ると、坂田に気付かれぬように縁へとウインクをして見せた。縁もまた、明確な根拠があって殺人蜂に接触したわけであるが、それは黙っておけという意味であろう。坂田がヘソを曲げると面倒なことになる――。ようやく倉科が言っていた意味を理解した。


「はぁ? そこの女だって、根拠があったから殺人蜂に近付いたんじゃねぇの? で、ヘマをしたってことだろう?」


 ヘソを曲げているというよりかは、子どもがいじけているように見える。ばたばたとしてしまったせいで坂田を置いてきぼりにし、勝手に事件が解決してしまったことが面白くないのだ。


 倉科が縁に目配せをしてくる。上手いことを言って坂田の機嫌をとれ――倉科の目がそう言っているように思えた。自分だって根拠があって殺人蜂に接触したのだが、このままでは坂田の機嫌が直らない。心機一転、これから0.5係として二人三脚でやっていかねばならないのに、これでは先が思いやられる。


「あ、えーっと。私の場合は何というか――女の勘と言いますか、たまたま接触した相手が殺人蜂だっただけで――。だからこそ、何の準備もしていなくて、殺人蜂に捕まったわけだし」


 自分でも下手くそな演技であると思う。女の勘だけで事件が解決するのは、二時間ものの推理ドラマくらいだ。それなりの根拠がなければ普通は動けない。もっとも、殺人蜂に拉致されてしまったことは事実であるし、軽率な行動であったことは認めるが。


「勘? 女の勘とか――。お前、馬鹿だなぁ」


 しかしながら、縁の下手くそな演技が、逆に坂田の心を動かしたらしい。ベッドから起き上がるとニヤリと笑みを浮かべ、わざわざ鉄格子のそばまでやってくる。


「そんな調子で0.5係なんて務まるのかぁ? 勘だけで動くとか、どっかのチョンマゲじゃあるまいし」


 坂田はそう言うと、尾崎のほうをちらりと見る。カチンと来たのか「自分だって年に一回くらいは根拠を持って動くっす!」と反論するが、年に一回とはいかがなものか。すなわち、それ以外は全て勘で動いていることになってしまうではないか。


「坂田、山本が今言った通りだ。俺達には根拠というものがさっぱり分からん。お前はどうやって殺人蜂の正体に気付いたんだ? 馬鹿な俺達に教えて欲しいなぁ」


 坂田の調子が戻ってきたからなのか、わざとらしく坂田を持ち上げる倉科。坂田のご機嫌取りまで仕事だなんて、思っていたよりも0.5係は過酷な仕事なのかもしれない。


「くくくくくっ――。仕方がねぇなぁ。こんなことにも気付けないお馬鹿さん達のためによ、俺がわざわざ教えてやるかぁ。全く、先が思いやられるぜ」


 それはこっちの台詞だ――。思わず口をついて出そうになってしまった言葉を飲み込む。ようやく機嫌が戻りつつあるのに、ここで変にこじれると面倒だ。


「チョンマゲから話を聞いた時に、一人だけ明らかにおかしな発言をした人物がいたんだよ。で、蓋を開けてみたら案の定、そいつが犯人だったってわけだ」


 縁が殺人蜂に拉致されている間に、尾崎が捜査の内容を全て話していたことは知っている。尾崎のことだから、本当に思いつく限りの情報を並べ立てたのであろう。物事を綺麗にまとめるのが下手な彼らしい。


 縁はある人物の発言に引っかかりを覚え、殺人蜂の正体にたどり着いた。坂田もまた注目したのは、ある人物の発言のようだった。恐らく、殺人蜂にたどり着いた根拠は同じなのであろう。もっとも、縁は女の勘だけで殺人蜂にたどり着いた、間抜けな刑事でいなければならないのだが。


「お前達とばったり会うことになった殺人蜂――岡田とかいうやつだったか。そいつは、お前達に犠牲者の顔写真を見せられて何と答えた?」


 あの時の光景を思い浮かべる。それこそ、縁が真相へとたどり着いた時と同じように。


「見覚えがない――って、シラを切ったっす。でも、それだけで岡田が殺人蜂だって言い切れるんすか?」


 尾崎はやたらと銃口の向きを調整し、引き金に何度も指をかけ直す。表情がわずかに緩んでいるように見えるから、きっと自分の拳銃が支給されて嬉しいのであろう。これもまた、尾崎らしい反応だ。


「大事なのはそこじゃねぇ。それを前提にして、お前達を塾の中に案内した後、去り際に岡田が発した一言に注目するんだよ。岡田のやつはチョンマゲが礼を言ったことに対して、去り際にこう発言している。――ってな」


 やはり、縁が殺人蜂の正体にたどり着いた根拠と、坂田が殺人蜂の正体にたどり着いた根拠は、全く同じものらしい。なんだか、殺人鬼と同じ発想をしてしまったようで、良い気分はしない。


「ここでチョンマゲに問題だ。ある人が道に迷っていたとする。こいつはごくごく普通の一般人だ。お前も刑事ではなく一般人という設定にしよう。それで、たまたまそこを通ったお前に道をたずねてきた。お前は親切に道を教えてやって礼を言われた。さて――それに対してお前は、――なんて返し方をするか?」


「いや、しねぇっすよ。普通に、どういたしまして――って返すっす」


 尾崎の言葉に、坂田は顔を歪めるほどに笑みを浮かべて、すかさずこう呟いた。


「そうだよな。一般人と一般人同士のやり取りなら、まずそんなことは言わない。では、どうして岡田はそんな言い回しを使ったのか。それは……」


 そこで言葉を区切ると、坂田は縁が答えにいたったものと全く同じプロセスをたどる。


「岡田がその段階で、お前達のことを刑事だと知っていたからだ――」


 その通り。岡田があのような発言をしたのは、縁と尾崎が一般人ではなく、刑事であると知っていたからだ。相手が刑事だったからこそ、いち市民――なんて言葉を使ったのである。だが、ここでひとつ問題が出てくる。すなわち、岡田はどのようにして縁達が刑事であると気付いたのかだ。


「さて、ここでひとつ疑問が生じる。岡田がお前達のことを刑事だと知っていたとして、果たしてどこでそれに気付いたのかだ。チョンマゲの話だと、岡田と会った時、お前達は私服だった。それこそ、チョンマゲにいたっては、刑事だと連想しにくいジャージ姿だ。そして、お前達は岡田に対して、自分達が刑事だと名乗ってはいない――」


 坂田の推測に、縁は頭の中で何度も頷いた。彼の言う通り、岡田に会った時の二人は私服姿だった。もちろん、自分達が刑事であることも名乗っていない。それを名乗ったのは、塾の中に案内された後、安堂に話を聞く際のことである。つまり、縁達が刑事であることを知る要素は、岡田には与えられなかったわけだ。それなのにもかかわらず、岡田は縁達が刑事であると知っていた。それは、犯人にしか知り得ない事実を知っていたからだ。


「では、どうしてお前達が刑事であることに岡田は気付いたのか。それは、お前達が岡田に犠牲者の顔写真を見せたからだ。何も知らない人間ならば、ただの女の顔写真にすぎないが、岡田からすれば、それらは全て自分が手にかけた女達だ。それを用いてお前達が接触してきたからこそ、岡田はお前達のことを刑事だと瞬時に察した。なんせ、これまで殺した女の写真を持って、自分がアルバイトしている塾を訪ねてきたんだからな。どんなに勘が鈍いやつでも気付くだろう」


 あの時、縁達は犠牲者達の顔写真を見せて、見覚えはないかと岡田に問うている。その結果、彼は知らないとシラを切った。しかしながら、その並べられていた顔写真は、全て自分が殺した女子生徒達。表向きは何事もなかったかのように取り繕ってはいたが、犠牲者達の顔写真を持って塾に訪れた縁達を、刑事であると察したであろうことは言うまでもない。


「前情報がない状況なのに、犠牲者の顔写真を見た時点でお前達のことを刑事だと察した。だからこそ、岡田の口からは、いち市民として当然のことをしたなんて言葉が出たってわけだ」


 岡田が発した一言。そのたった一言こそが、殺人蜂の正体を暴いた。縁もこの事実に引っかかりを覚えたからこそ、岡田に疑いを抱いたのだ。


「犠牲者の顔写真を見ただけで、お前達が刑事であると察することができるのは犯人だけだ。逆説的に言えば、犯人でなければ、あの場でお前達が刑事だなんて思わねぇってこと――。つまり、岡田は自らが犯人だって自白していたってことだな」


 坂田は得意げに言い切ると、鉄格子を掴んだ。そして、気味が悪いほどの笑顔を見せる。さながら檻に入った猛獣である。


「それにしても、五人の人間が死んでいながら、粗末な事件だったなぁ。岡田とかいう奴も調子に乗った挙げ句に自爆したんだからよ。馬鹿としか言いようがねぇ――。いざ蓋を開いてみたら、ここまでつまらねぇとは思いも寄らなかったぜ」


 坂田は九十九殺しの殺人鬼――。それを彷彿させるような一言を、坂田は満面の笑みで続けざまに言い放った。


「まぁ、いい暇つぶしにはなったがよ――」


 五人もの人間が殺された事件であるのに、坂田にとってそれは大した問題ではない。彼にとって興味の対象となるのは、事件そのものであって、犠牲者のことなど頭にないのだ。人を人と思わず、だからこそ追悼の意を示すこともない。思わず口を挟んでやろうと思ったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。どうせ噛み付いたところで、そもそもの感覚が普通ではないのだ。持っている価値観自体が異常であるため、諭そうとしたところで徒労に終わるだろう。


「ただ、俺ならもっとスマートに殺ってたなぁ。岡田が五人殺している間に、俺なら十人は殺ってる――。まぁ、岡田は程度の低い殺人鬼だったってことだな」


 坂田はふと真顔を見せると、しゃっくりをするかのごとく「ひゃっ!」と音を発し、それが皮切りだったかのように笑い始めた。握ったままだった鉄格子を揺さぶりながら――。元より普通の人間だとは思っていないが、この狂いようは異常というカテゴリーを遥かに超越している。彼を見ていると、何が正常で何が異常なのか分からなくなりそうだ。引き金を思わず引いてしまいそうになってしまった。


 もう慣れてしまっているのか、深く溜め息をつくだけの倉科。坂田の狂気に触れて、少しばかり戸惑っているかのような尾崎。そして、複雑な事情を抱えながらも、坂田に一歩近付くことができた縁。


 これからどうなるのだろうか――。自分の中に眠る復讐心と、まるで手のつけられない姉。そして、試験的な試みである0.5係。坂田の笑い声が響く独房で、縁は一抹の不安を抱かずにはいられなかった。


 ともあれ、これが山本縁と坂田仁の出会いとなった事件であることだけは間違いなかったのであった。



【事例1 九十九殺しと孤高の殺人蜂 ―完―】

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